何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2008/11/30 (Sun) 孝蔵主とか


 「川副文書」なるものが存在していることを、ちょいと知りまして…よ、読みたい!でも、読むには東京大学史料編纂所に予約をとってから行かないといけないらしく。しかも、影写本とのことなので、日本語で書け!と言いたくなる(日本語です)あの崩し文字そのままのものを読まなくてはならない気配ぷんぷんでして…む、無理だ…おいちゃんにあの文字を読む勇気は無い、けど、読みたい!← せいぜい変体かな位しか読めないのに!今ほど、自分の技術の無さを悔いたことは無いです。あれか、歴史系の学科に通ってる友達無理やり連行してって読ませるか(止めなさい) なんかこの間、あののたくったような文字読んでたし!大丈夫、いける!(…)
 何やら、その川副文書を出典として、大日本史料に「羽柴秀吉、川副徳の母、並に其一族の居屋敷の地子及び諸公事を免除す、」という記述があるらしくて。川副徳という人は多分、秀吉の別妻に数えられている川副徳子さんのことだと思うのですよ。徳さんは、孝蔵主の姪らしいので(後に孝蔵主の養子になる重次の父・正俊の娘という話も、あるような無いような)その母ということは、孝蔵主にとっては義理の妹やら姉やらに当たる人ということで。多分、この公事免除は、徳さんが秀吉の別妻だったことに関係してるのかなぁ。てことは、天正12年の書状なので、これより前に徳さんは秀吉の別妻になっていることに?これだけでそう妄想するのは早計かな……。
 孝蔵主関係ですと、ネットを漁っていると、孝蔵主の養子になる重次に三成の娘が嫁いだだとか、茶阿局と親戚だとか、色々調べたくなることが出てきてふぉおおってなります← 茶阿局との親戚関係は、山田氏を調べればなんか出てくるかな。出てくると良いなぁ。ただ、時慶さんの嫁さんが孝蔵主の妹だというのは、さすがに信じがたいのですが。いくら孝蔵主自身に権勢があったとはいえ、六角家の家臣だった蒲生家の、更に家臣の家柄な川副家の娘が、公家に嫁げるのかなぁと。何かこう、悩みます。

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2008/11/29 (Sat) 少々遡り


 ちみちみ読んでいるせいで、まだ読み終わっていない「浅井氏三代」をちょいと読んでいましたら、1500年代前半から半ばの近江が地味に熱かった…!京極高広が地味に気になったりしつつ…なんかこう、高飛車で京極家の誇りと意地だけを糧に必死にあがいてる子というイメージが勝手に← でも、生年も不明で死没年も不明ってあなた。そもそも、どうして、高清は長男の高広じゃなくて、次男の高吉に家督を譲ろうとしたんだろうとか謎がこう、もりっと。取り敢えず高広は、亮政=浅井のデカブツ、六角定頼=六角のジジイ、京極高吉=愚物、って呼んでれば良いんじゃないかな!
 小谷で饗応を受けた時に見かけた、明政と幼久政の仲の良い兄弟みたいな姿にちょっと歪んだ心境を抱いていれば良い(お前) 高広と高吉の、大野兄弟がとても仲良く思えてくる位最悪仲な兄弟も色々と美味しいですね!←

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2008/11/28 (Fri) 欲求願望


 何だかとても、大坂面子で暗い話が書きたいです(…) 譜代でも牢人でも、どうしようもない感じの、はい← 色々妄想すると、滅茶苦茶暗くなるのが、治徳×大助なんですがぶっちゃけ、治徳→→→大助なんですが。どうするよ24歳。大助は何かこう、お母さんから送られてきた「再び生きて会いたいのは山々ですが、父の最後を見捨てて生きて戻ってはなりません。同じ枕に討ち死にし、真田の家名をあげるのです」っていう手紙が、重いんだぜ…!逸話なんで、本当にこんな手紙が送られてきていたかは知りませんが← 取り敢えず、拙宅での大助の頭は 幸村=真田家<<<<<<<<<<<<<<<<<<他(皆大好き。おとんの次に) で、出来あがってるのではないでしょうか(お前) ここら辺絡めた、物凄く暗くてどこまでも救いようの無い治徳→→→大助が、書きたい。いつか!
治徳はとことん、めためたに、したいんだ。(…)

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2008/11/27 (Thu) 関係修正


 「細川家記」+ネットでごそごそ漁った結果を統合すると、永翁ってもしかして竹田定加の息子じゃないかもです。というか、定加の息子じゃない可能性が高いというか。定加の息子で、「寛政重修諸家譜」に「豊臣秀頼につかえ、元和元年五月大坂城に籠りてうち死す」と載っている、竹田定白とごっちゃにされてしまっているっぽいです。多分、「細川家記」に載ってる「梅松軒の子」というのが正しいんじゃないかなぁと。竹田梅松軒は、忠興のお母さんの甥っこに当たる細川家縁戚の人なので、「細川家記」の方が気分的に信頼できるんじゃねと(気分か) もしも本当に永翁が梅松軒の子だとしたら、永翁にとって幽斎は、義理の大叔父さんに当たるわけで、秀吉が自分の詠んだ和歌を幽斎に届けて返歌を貰うお使いに永翁が用いられていたのも、ここら辺の親戚関係がちょいと関わっていたりして。思いっきり妄想ですが← それから、一番上の兄が細川家の家臣になっている上、二番目の兄も徳川方ということになりますね。

 あと、ちょっともりもり妄想した結果、海津局さんの息子の直政は1600年生まれで通すことにしました。だ、だって、色々年齢計算しながら設定していくのが面倒になったんだ!(お前) 大丈夫、海津局さんなら超高齢出産でも産める!大丈夫!← 江もそういえば、結構な姉さん女房だったよねっていうことを思い出したので、海津局さんは政高よりも七歳位年上な妄想で。むしろ、直政と明石さんの娘との、小さな恋のメロディを妄想したくなっげふんごふん。なので、流石に15歳←30代を押しとおす勇気は無かったので(…) 長秋には、この間のSSSとは逆で、直政の良いお兄ちゃんになってもらおうかなと。直政は、14歳(数えで15歳)の時に目へ焼きついた長秋の背中が終生離れないと良い。ぶっちゃけ、長秋だけと言わず、重成のも弘定のも明石さんのも政高のも、他諸々女の人たちも含め大坂方で戦った人たちの背中が焼きつければ良いじゃない!……はい、直政に相当夢見てます← 
 残された人たちの話も、大分妄想が膿んで来ました(…)

 ということで、追記に修正版長秋+直政の関係でSSS崩れをば。

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2008/11/25 (Tue) ネタ


 今ちょっと、アルコールと油が胃の中でえらいシェイクされてるんですけど…ごめんなさい、もう調子乗らないから許して(…)
 取り敢えず、ちょっと前に大日本史料集他諸々から拾ったネタになりそうなことを箇条書きに。

・「言い分があるなら切れ!ただし切り殺してくれるな!」な、治長の明らかにてんぱってるだろうお前発言。
・「修理は黙れ!内蔵助は行儀が悪い!」な、おかん北川さんの発言。
・「そんなことしてるのなら、二人して刺し違えちゃいなさい!」な、おかん北川さんの発言その二。
・「左衛門佐の仕業だとするなら、なお許せねぇ」な、出丸乗っ取られた又兵衛の発言。
・二人揃って、秀頼から羽織を貰う又兵衛と幸村。
・小幡官兵衛が徳川方の間者であることを治房に伝えるよう、妙心寺の人から頼まれる団右衛門。
・喧嘩してめためたにされる長秋。

 何でこう、ネタの宝庫なんだろう奴らは←

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2008/11/23 (Sun) なんかそういう話



 大学の先輩に、三重県からきた人がいまして。その人と今日話していたら、信様が一向一揆と戦った伊勢長嶋の近くにあるホテルはどうも出るようで(笑 そうえいば、オカルト系の掲示板でも、大阪城が「出る」スポットの一つに数えられていたような。探せば、そういう噂のある城とか、戦場跡とか、たくさん出てきそうですよね。

 そんでは!明日は、昼まで寝ていたいのに5時起きとか、ちょっと個人的にありえない時間に起きなくちゃいけないので!ちょっくら寝てきます!

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2008/11/22 (Sat) 図録とか書状とか


 そういえば、ちょっと前なんですけど、大阪城からも図録が届いたんですよ!もう、書状が、えらくはすはす、する←
 秀吉が、お伽衆の有馬則頼さんへ送った朱印状なんですけど、要約すると、
「もっと早く病気にかかったって教えてきたら、医者に診せたのに何で言わないの!関戸に施薬院と祐庵(秀吉の侍医)がいるから、すぐに呼んで診てもらえ。とにかく養生するんだよ!治ったら、一、二も無く俺のところへくること!本当に、施薬院と祐庵を呼んで養生しなくちゃ駄目なんだからね!あと、満介(則頼さんの息子)も傍に置いて、ちゃんと養生に精を入れること!油断したら処罰するぞ!」
 ………すごく、ツンデレです……。
秀吉にそんなツンデレ要素があったなんて、おいちゃん知らなかった。あれかな、初対面の人にはデレデレで接して、馴れた人だとツンデレに移行するとか?(知らないよ) あとは何だか、秀吉って本当に花が好きなんだなぁと。お茶に関しても、花に関する話が結構残ってるし、吉野の花見での歌会でも、お題が全部花に関するものって。いや、まぁ、花見だったから花に関するものにしたんだろうけども←
 それから、冬の陣が始まる前の、治長の名前が出てくる書状も載ってて、おおおおお!と。秀頼の側近が青木さんに送った書状らしいんですが、大坂城にやってきた織部を治長が出迎えたらしく。師弟!師弟!次の日の朝、片桐さんの屋敷へ行ったらしいので、大坂城に到着した日は治長の屋敷に一泊してると良いなと。あと、この書状を書いた秀頼側近の人の名前が、重□となってまして…□の部分が、成の、重成だとちょっと面白い。
 他にも、利休が秀吉に向かって「絶対、あの一揆の裏では政宗が糸引いてるに違いないんですよ!」発言したことを、利休自らお友達に報告する書状があったりで、おおうと。ちょっと、意外と俗っぽいんだぜ利休(…)

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2008/11/21 (Fri) 19日のこと


 PC版においてある年表に、やっとこさ、今福・鴫野の戦いが突っ込めまし…た…。ただ、史料をちゃんと読めたわけではなく、ざーっと目を通しただけなので、参戦した人が地味に変わってたり増えてたりするかもしれません← あと、19日の穢多ヶ崎砦やら、木津口砦やら呼ばれる場所での、VS蜂須賀の至鎮さんとの戦いなのですが、明石さんが秀頼の所に行っていて不在と書いてあるものと、治房と薄田さんが籠ってたとするものの、大体半々の割合なんですよね。あと、薄田さん持ち口の博労淵も近く、治房持ち口があったらしい道頓堀筋辺りに砦があったぽいことから、明石さん不在の砦に至鎮さんの兵がやってきたのに気づいて取り敢えず突っ込んでみたけど、負けちゃったよ!ということかもなぁと…。取り敢えず、年表には、明石さん不在だったことと、砦にいたのが治房と薄田さんだったこと両方書いておきました。治房と薄田さんをやっつけたよ!な具合にちょいちょい書いてるものがあったので、あの二人が籠っていた可能性はゼロじゃないかもなぁな感じで…はい←

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2008/11/21 (Fri) 直政悲喜こもごも


 直政←長秋に萌えた勢いで、ちょっと直政について書いてないかなぁと、「寛政重修諸家譜」の三好氏の欄を探していたら書いてあったんですが。年齢が、寛永7年に死没の30歳って…え、夏の陣の時に15歳ということでしょうか!?お父さんの政高は、夏の陣の時死没の享年55歳とありまして、そうなると、小谷城落城の時には、13歳ということに…。海津局さんが、姉さん女房という可能性もなかりしもですが、流石に10歳以上歳が離れてることは無いかなぁと。男女逆なら別ですけど。そうなると、もしもこの享年が正しかった場合、海津局さんは十代半ばで、饗庭さんはそれより下な具合に?もしかしたら、小谷落城の時点ではまだ結婚はしていなくて、許嫁な感じだった、とか?明政が、海津局さんと結婚させる予定で、甥っこの政高を養子にしたけど、結婚をしない内に小谷城落城とか…おおおお、わ、分からない!そもそも、この享年が合っているかも分からない!← お姫様の遊び相手という役割でも、乳母と呼ぶこともあるそうなので、どんな年齢でも饗庭さんが茶々の乳母という事実は揺らがないのですが…。
 ただ、その、あれです、ちょっと年齢に首を傾げながらさらーっと読んでたんですけど、直政の項で、
「妻は豊臣家の臣明石掃部助全登が女」

 明石全登が女

 明石さんの、娘

 ………えええええええええええええええええええ!?
明石さんって、掃部頭じゃないのかしらとかしたい突っ込みは置いときまして、え、ちょ、ええええ?しかも、ちゃんとその明石さんの娘との間に、子供もいて、その子が家を継いでるっていう…。もしも夏の陣の時15歳と考えると、冬の陣の辺りでなんやかんやあって、娶せられたんでしょうか。ただ、饗庭さんを、江の侍女としていたり、久政の享年を62歳としていたり、完全に正しいとは言い切れない史料なので、妄想の参考程度に留めておこうかなぁと。でも、直政←長秋を、直政15歳の長秋30代でやらかすと、すごく、アブノーマルです(…)

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2008/11/20 (Thu) 唐突に


 何でだろう…凄く唐突に、浅井直政←長秋の波が来た…!従兄弟って、凄く美味しいと思います(笑顔) あっちこっち、冗談で手を出す振りをしている長秋の本命が、実は直政(饗庭さんのお姉さんで、同じく茶々に仕えて、役後は千に仕えた海津局さんの息子)だと良いよねっていう妄想がこう、びびっと。……すみません、病気です。やっぱり、長秋は饗庭さんの息子(父親がどうにもこうにも不明なので、妄想養子設定は変わりませんが)(…)で、30代で行こうかなと。糺治房と幼馴染みにしたい欲望には、勝てなかったんです。この三人は、きゃんきゃんやってれば良いと思う。糺は、重成とのセット行動が多いですけど。何でだ…秀頼の趣味?(違うと思う) 普通に乳母兄弟同士だからですね、はい←
 というこで、追記に、直政←長秋でSSS崩れをば。

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2008/11/19 (Wed) 土下座這いずり


 またちょいとPC版に置いてある年表に色々追加してきたのですけど、最近、年表しか弄れてなくてすみません…!あまりの自分の遅筆っぷりに、そろそろ土下座で這いずりたくなってきました。あともうちょっとなので、頑張ります!(本当にな) そういえば、年表弄りながら気づいたんですけど、もう冬の陣真っ最中なんですよね。本格的な衝突は未だ無くても、小競り合いはちょこちょこありましたし。19日はあれですね、治房と薄田さんが、蜂須賀の至鎮さんにぼこぼこにされる日ですね!頑張れ治房と薄田さん!←

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2008/11/18 (Tue) 図録到着


 長浜城歴史博物館から、頼んでいた図録が届きました!「戦国大名浅井氏と北近江―浅井三姉妹まで―」は、まだじっくり読めていないのですが、肖像画やら何やらに、おおおおと。浅井氏についても書いてあったので、しっかり勉強しなくては。
 そんでもって、ちょっと逸れるんですが、この図録の中に浅井家臣の奥さんの肖像画も載っていたんですよ。法体ではない姿でして、でも、賛によると追善の為にその子供が描かせた代物らしく…今まで私、女の人の法体じゃない肖像画で、生前に描かれたものを見たことが無いんですよね。茶々のものだって良く言われる肖像画も、本当に茶々の肖像画かも分からないし、そもそも死後かかれたものだし、良く見る市の肖像も、死後茶々の命で描かれたらしいし、お犬方の肖像画も、死後その夫が描かせたものですし、私が知らないだけで生前に法体姿でなく肖像画が描かれた女性もいるかもですが、取り敢えず今の段階では知りません。というわけで、治長嫁の肖像画ってどうなのかなぁと(結局そこか) そもそも、治長嫁がいつ亡くなったかも不明なのですけど、もしも夏の陣後(もしくは夏の陣で、一緒に自害)だったら描かせたのは葛葉で、大坂の役よりも前だったら、治長かなぁ妄想がもりっと。というか、他に描くことを依頼しそうな人がいない…。治徳と治安は自害と刑死ですし、まさか治純ってことは無いだろうし。あ、嫁さんの方の家系の人っていう可能性もあったか← と、取り敢えずその線は置いときまして!(お前)
 そこから更に妄想を繰り広げますと、葛葉17歳死没説でいった場合、千の侍女をしていたかもしれないにしても経済力の問題で、葛葉が描かせたというのはどうかなぁと。となると、大坂の役以前に亡くなり、治長が肖像画を描かせたというのが、個人的にしっくりくるのですが、どうでしょうか(どうって) 単にそっちの方が萌えるだけとも言げふんごふん。治長が描かせたのだとしたら、治長から嫁さんへの愛情を感じて、えらくによによするんです← 
 んで、別の図録ですと、豊国社の分布図を見た瞬間に、やばかった。おいちゃん、切なくなり過ぎた…。大名によって自領内へ勧請された豊国社が幾つかありまして、そのラインナップが、
・陸奥、弘前城
・加賀、金沢
・近江、佐和山城
・安芸、国泰寺
・阿波、小松島
・肥後、熊本
・筑前、神屋宗湛宅
 な、訳ですよ。どんなコメントをして良いのか。
何で弘前城にあるの、な突っ込みもしたいですし、佐和山に豊国社作ってる三成に悶え転がりたくなるし、豊臣VS徳川の気運が高まってきてる慶長19年に領内へ勧請する、蜂須賀家の猛者っぷりにうわおとなるし。熊本にまで持ってきた清正にきゅんきゅんするのは言わずもがなでして。問題は、おま、あれだ、筑前。神屋宗湛宅て、宅て何なの宗湛!家にまで持ってきますか秀吉を!?(別に秀吉持ってきたわけじゃ)(…) しかも、「大名によって自領内へ勧請された豊国社」というのを忘れちゃいけないわけでして…筑前の領主って確か、え、な、長政?関ヶ原の前か後かによって、長政or秀秋なんて、ある意味物凄い二択になるのですけど。長政だったら、あれだ、そんなことしてるから冬の陣の時、江戸留守居かっくらうのよ!とか言いたい。凄く言いたい。

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2008/11/16 (Sun) 戦国オンリー


 桐生もクイさんも、バイトやら仕事やらが忙しいらしく、戦国オンリーどうしようかなぁ一人で行こうかなぁと悩んでいた所に、密木なつさんが一緒に行ってくれるとのことで!なつさんと二人で行って参りました。早速、ホームをそれぞれ一番線に行ってたり四番線に行ってたりで擦れ違ったり、ビッグサイトに着いたら着いたで、スーツの方々に紛れ、東館に行ってしまっていたり…もう、ほんと、ごめんなつさん!一度東館の端まで行ったあと戻るとか!どうにかオンリーの会場にたどり着いた後も、物凄い勢いで方向音痴っぷりを発揮してました(…) ほんと、ごめんなつさry 
 ですが、目的の本も入手できましたし!チキンハートに延髄蹴り入れながら、大好きなサイト様の管理人様方へ差し入れをお渡しすることも出来たので、万々歳かなぁと!変な女が押し掛けてしまってすんません、ほんとすんません!
 お昼を食べた後、そのレストランで二時間半位粘りながら、なつさんの秀吉デザインに色々口出すのが、楽しすぎた…!(お前) 白昼のレストランで、ビッチビッチ憚ることなく口にしていた二人組がいたら、それはきっと私となつさんです← なつさんとこの、半秀←秀長に滾り過ぎた。三人揃いの絵、はすはすしながら待ってます(超私信)

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2008/11/16 (Sun) 拍手お返事



 いつも押して下さり有難う御座います!
 追記に、ブログ拍手お返事をさせて頂きます。

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2008/11/15 (Sat) 本


 長政の小説も読み終わったので、浅井氏の勉強をしっかりやろうと思い、人物叢書から出ている「浅井氏三代」という本を読んでいるのですが……始まりが応仁の乱からって、ちょ、おま!どうしてそんな苦手な所から始まるの!ですが、お陰で、頭の中でごっちゃごちゃになっていた、京極氏の内紛みたいなものが分かったような、やっぱり分からなかったような。取り敢えず、亮政のお父さんが、亮政9歳の時に戦死していることは分かりました。何だか、荒事は当主の直政ではなく、亮政のお父さんの直種が担当してたっぽいのでしょう、か?ちょいと時間かかりそうなんですが、ちょこちょこ読み進めていこうかなぁと。

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2008/11/14 (Fri) 書状とか


 PCサイト版にこっそり置いてある大坂の役年表を地味に更新しました。やっと、家康が京を発ってくれたんだぜ…!(お前)
 このペースで、夏の陣まで辿り着けるのか凄く不安になってきました← 色々書状を読んでると、この時期の正純と金地院さんが過労死しないか心配になってくる。あと板倉さん。大抵の書状に、正純と金地院さんのサインがあるとか、おま。それ言っちゃうと、大坂方からの書状だと、大抵のが有楽と治長のサイン付きなのですけど。何故か、島津家に味方してくれよ!て何通も送った書状は、ほぼ治長サインだった←
 何だか金地院さんサインの書状ばっかりなせいで、天海さんが働いてたのかえらく疑問に思えてきたんですけど…働いてたのかな、天海さん。金地院さんに全部丸投げだったらどうしよう。金地院さんが、私の中で萌えキャラ化するぞ!むしろ、既に萌えキャラ化してるんだぜ!初めて徳川家中の人できゅんときたのが金地院さんだったとか、何だかもうどうしたら(知らないよ) 鐘銘事件のいちゃもん付けたのは金地院さんだっていうのをどっかで見かけた気がするんですけど、主人の悪名を肩代わりしてる感じがするなぁと。あと…その…正純と仲良しだと良いというか、この二人の歳の近さにちょっと滾った。二人揃いでサインしてる書状も多いし、何だか悪友同士なイメージがちょいとばかし。手を出せる余裕は今のところまったく無いのですけど(…) えけーさんと合わせて、まさかの二坊主萌です←

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2008/11/13 (Thu) 読み進め中


 初めて浅井の長政の小説を読んでいるんですが、亮政のタフさ加減に噴いた← この人、絶対に殺されても死なないタイプだよ…何度六角に敗北しても挑み続けるって、すげーや亮政。おかげで何だかこう、タフネスマッチョなイメーシが。小さな頃の久政と阿古さんを俵が如くに担ぎあげて、遊んであげれば良いんじゃないかな!(お前) こんな、敗北しまくっては挑み続ける旦那を支え続けたわけだから、蔵屋さんと馨庵さんの妻コンビも凄い人達だったんだろうなぁと思ってしまうわけですが。ただやっぱり、天文やら大永やらの辺りは勉強不足過ぎて頭がこんがらがります…。京極家は、もうちょっと判別のし易い名前に変えた方が良いと思います!(無茶言うな) ただ、あれだけ没落していた京極が、何だかんだで最後まで生き残ってるのが面白いというか。高次って、運が良いのか悪いのか良く分からないよね(…) あと、絶体絶命な亮政の救援に来る朝倉家が格好良かったです。宗滴格好良いよ宗滴。

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2008/11/12 (Wed) 家系とか


 また懲りもせず、今度は「系図纂要」を漁っていたんですが、長秋に関係する家、なのかな?というものをちょいと見かけまして。京極の龍子さんに関係する家系であることは、間違いないんですが。この家系の嫡流を継いでいる人が、龍子さんが秀吉の妻になる前に嫁していた元明さんである模様です。そんでもって、その傍流に当たるのが長秋の家なんじゃないかと。傍流も傍流なんですが…元明さんから前々々代の弟が、始まりのようで。長秋とは、関係無いのかもしれないんですが、元明さんの傍流を汲んでいる内藤政勝という人が、通称新十郎で、しかも5月7日大坂にて討ち死にしたらしいです。その子が東福寺に入寺しているところを見ると、豊臣方だった線が濃厚なわけで…長秋と関係あるような、無いような。以前見かけた史料では、長秋の父親を若狭牢人衆と書いていまして、嫡流の元明さんはちょっと色々あって流浪してた時期があったんで、それと合わせて考えてみると、もしかしたら?かなぁと。ちょっと、もしかしたら名前が違うだけで長秋本人かなと思わないこともなかったりあったりなんですが(どっちだ) 討ち死にした日付がちょいと違うので、長秋のお父さんかも?と。にしては、長秋の名前がどこにも見当たらないのがあれですが…。というか、長秋のお母さんは一体、饗庭さんと刑部卿さんのどっちなんだい。このままいくと、刑部卿さんの子供だけど、饗庭さんが養子にしたなんていう、とんでも設定にしてしまいそうです←

 あと、孝蔵主の家の川副氏について、別の本なのですが載ってたので舐めまわすように眺めてました。どうやら、弟が山崎の戦いで戦死しているようで……妄想が、もりっと(お前)

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2008/11/11 (Tue) 連れ添い人二人


 ちょいと大日本史料から離れて「寛政重修諸家譜」を見ていたら、糺の連なる家系と思われる家が載っていまして。糺のお祖父ちゃんって、久秀に仕えてたのねーと。その息子達の代で、久秀の元を離れて義昭に仕えたと。糺のお父さんも、糺にとって伯父さんに当たる人も二人揃って一緒の城に暮らしてたのだけれども、義昭が信様に真木嶋で負けた後ばらばらになっちゃったぽいです。糺の伯父さん(この人が長男らしい)は、浜松まで流れて家康に仕えた一方、糺のお父さんは信様に仕えて、その後秀吉と。糺の従兄は、冬の陣の時も夏の陣の時も、秀忠の供をしていたんだそうです。夏の陣の時は、首級を一つ挙げる働きをしたやら。治長もそうですけど、結構、身内が徳川にいる譜代っていそうだよなーと。もしも、糺の従兄が岡山口じゃなくて、家康の下でっつーことで天王寺口にいたら、糺とガチでやりあうことになってたかもなんだよね妄想が、ちょろっと(…) 治長は、治純が徳川方にいたせいで内通を疑われた話があるらしいんですが、糺はそういうの無かったのかしら。あんまり、従兄とは親交が無かった、とか?(さぁ) 親交があったら、えらく萌えるのになぁ←

 追記に、何だか書きたくなったので、茶々+饗庭局で小谷城時代SSS崩れをば。饗庭局→大蔵卿局が前提となっていますので、ご注意下さい。

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2008/11/10 (Mon) 読了と感想


 「茶人豊臣秀吉」読み終わりました。
うん、ご免殿下…私殿下のこと誤解してた(お前) 秀吉はお茶のことも、派手に黄金で良いじゃーん!寂の精神?超俗の美学?何それ美味しいの?な感じだと思ってたんですが、全然そんなことなかったです。利休の推し進めようとした「冷・凍・寂・枯」を理解していたからこそ、利休提唱の創作茶の湯を推し進める役割を演じたわけで。黄金で派手に行こうぜ!というのは、秀吉が行った茶の湯のほんの一端に過ぎなかった模様です。利休流の唐物に囚われない茶の湯をすることもあれば、利休よりも前の紹鷗流の、唐物第一主義を取る伝統的な茶の湯もすると。加えて、茶屋(座敷よりもあけっぴろで大衆的色合いの強いとこ)での、自由気侭なお茶もしたりやら。秀吉の黄金の茶室は、造り的に茶屋だったらしいので、最後の自由気侭なお茶のカテゴリに入るのかな。あと、古田織部流のお茶は、利休よりも、秀吉にそのルーツが見えるとか何やら。天目に、でんと茶入れを入れるのは、古田織部が好んで行って、織部流の人も好んだようなんですが、一番最初にこれをやらかした記録が残るのは、秀吉らしいです。
 唐物第一主義をとる、徳川家も含めた武家の茶の基礎を定めたのも、どんなに利休の創作茶の湯が流行ろうとも、紹鷗流を頑なに用い続けた秀吉っぽいねぇな感じらしいです。…ほぼらしいですで括ってて申し訳ないです。孫引きも良いところなんで!←
 ただ、あれです、真面目な目でばかり読んでいたわけもなく!宗麟にお茶を点てる間中、ずーっとくっちゃっべってる秀吉にはあはあしたり、神谷宗湛と秀吉のやり取りにえらくはすはすしたり。何!あの可愛い生き物!宗湛相手に、「花を生けてくれなくちゃ、帰さないぞ!(超意訳)」って…お、おまぁあああ!(黙れ) 宗湛→秀吉って、ありですかげふんごふん。この本を読んでると、商人達が気になってくるなぁと。というか、信様に用があって上洛したのに、ばったり信様から名物の茶器を貰った秀吉と遭遇しちゃった上に、茨木城でお茶しようよ!とか誘われて、そのままお茶をしにUターンする津田宗及にきゅんときた。でも、宗湛→秀吉は本気でありだと思う(…) 秀吉は、宗湛に、甘すぎる。秀吉が宗湛の手をとって、茶室に上がらせてあげてる話を読んだら、動悸が止まらなくなった(病気です)
 あと、長曽我部の元親さんが利休と共同でコントの脚本書いてた。…あれは、あれはコントだろう……。

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2008/11/09 (Sun) 諸々と


 PC版サイトのbkmに、オフ友のサイトを貼らせて貰いました。まさか、同じ大学で創作戦国に手を染めている人に出会えるとは…!お互い暴露した瞬間に笑いが止まらなくなったのも、良い思い出です← ブルータス、お前もか!みたいな(…)
 そんでもって、まさか、長浜城歴史博物館で、「浅井三代と北近江」なんて素敵過ぎる展示をやっていたなんて!浅井一政さんの妹が作ったらしい、浅井亮政蔵屋夫妻の木像生で見たい!行きたい行きたい駄々を捏ねても、旅費が湧いて出てくるわきゃ無いので…泣く泣く図録で我慢しようと思って、博物館の販売物一覧を見たんですが!ほ、欲しい図録が多すぎる!今回の展示図録に当たる「戦国大名浅井氏と北近江―浅井三姉妹まで―」は必ず買うとして、秀吉関係やら三成関係やら、意外どころで田中吉政やら、私の財布にインフルエンザになれとでも言っているんですか。財布と相談した結果、取り敢えず秀吉関係の図録を網羅してしまおうかなと。ノー秀吉ノーライフを地で行ってます(…) 三成は、懐がまた暖かくなった頃に、売り切れていなければ!そういえば、図録一覧みて思ったんですが、小堀遠州って北近江出身だったんですね。知らなかった(お前) 海北友松もそうだし、北近江は何やら豊作なような。
 色々と話が飛んで、いい加減にしろよお前状態なんですけれども、「宗湛日記」でちょいと気になることが…。慶長二年正月二十四日の内容で、秀吉が秀秋の悪政を確かめる為に、神谷宗湛含め博多衆を茶会に呼んだやら何やら。偽書疑惑もあるみたいなんですが(wiki曰く)、それは取り敢えず置いておきまして、もしこの茶会の目的が書いてある通りなら、色々と興味がそそられるというか。秀秋の悪政が本当だとしたら、妄想が掻き立てられることも無いんですけど(…) 悪政が嘘だとして、それなのにその話が秀吉の耳に入っていたのなら、誰がその嘘を吹き込んだんだい?みたいな妄想がこう、もりもりと!(お前) 秀吉と秀秋の話もちょっと書いてみたいなぁ…きっと、とことん歪んでる秀吉が書ける。

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2008/11/08 (Sat) 譜代衆とか


 同時進行すぎて逆に進まないよお前ぇえな話と、やらなくちゃならないこと個人的メモ。

・豪+秀家+明石さん
・又兵衛×治長
・重成×青柳
・「狐の霍乱」小西視点
レポート

 あああああああレポートなんて滅んでしまええええ!
大日本史料漁って、によによしてる場合じゃないんだよ…分かっているよ…。でも、やっぱり面白くてついつい漁ってしまう。米村さんの三男らしい、米村市之丞という人が、(読み間違いをしていなければ)戦死してるかもとか。米村さんの夏の陣後の話を読んでも、娘は出てきても息子が出てくることが今のところ一度も無いので、この三男以外も戦死したりしてたのかなぁ…。そういえば、嫁さんの話も出てこないような気が。娘は出てくるのに。
 でも、今日読んでて一番のヒットは、「実は怖い譜代衆」てタイトル付けたくなる話というか、何であんな時だけチームワーク発揮するんだよあいつらwww
 南条さんが裏切ってるよ!ということを重成が秀頼へ報告する→秀頼から糺へ捜査命令が出る→誰の案内も無く、スムーズに南条さんの持ち場へ行った糺は、普通よりも隙間の広く置かれてる矢とか防ぐ板?を見て、微笑み、「ちょっと隙間が広すぎるんじゃないかしらぁ?もうちょっと、狭くしなさいよぉ」とかのたまいつつ、堀まで覗き込んだりして、南条さんが裏切る予定だった証拠をゲット→このことを上へ報告→治長の屋敷へ、南条さんのお父さんが呼ばれる→玄関で待ち受ける治長→息子さんのことを色々告げておきながら、お父さんに関してはお咎めは無く、元の持ち場へ返す→南条さんのお父さん、死に物狂いで打って出て、討ち死に→丁度その頃、薄田さん(怪力)と糺(1対6に勝利した男)の二人がかりで南条さんを締め上げる→殺される南条さん→ちなみに、南条さんの持ち口だった場所は、又兵衛の持ち口になる。更に、裏切りが露見したことを徳川方へ知らせないよう工作するとか、おま。これが後々、真田丸とかでのごたごたに繋がっていくと、わかっちゃあいるんですけど。
 ……地味に、地味に怖いんだぜ…。だけど、「微笑む」糺に、きゅんきゅんきちゃったのは秘密です← あそこで、あそこで微笑むかお前!

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2008/11/07 (Fri) 大野二代目とか人質とか


 夏の陣ちょっと手前で治長が暗殺されかけた後、家中のことを治長が復活するまで取り仕切ってたのってもしかして治徳かなぁと妄想したら、ちょっと滾ってきた← 左脇を思いっきりぶっ刺されたとか、脇腹を思いっきりぶっ刺されたとか史料によって刺された箇所が違うんですけど、どちらにせよ気を失う大怪我だったことは間違いないっぽいんで、当主がんなことになったら、家を纏める役目は治徳しかいないかなぁと。犯人の亡骸を磔に晒して、こいつの身元知ってる奴には賞金くれてやるぞな案を出したのも治徳だったらすごく、良い← 何だか、治長が冬の陣講和の時、嫡男を出せって言われても、頑なに治徳を出すことを拒んで治安を出したのは、自分に何かあるかもしれないのを予想してたのかもしれないようなそうでもないような。「影武者徳川家康」の治長は講和が成った後、俺殺されるな多分、とか米村さんにぽろっと零してたらしいですけれども← どちらにせよ、いざ自分に何かあった時、治徳に家のことやら何やらを託すつもりだったのなら、何かちょいとくるものが。でも、未だに謎なのは、治長が治安を出す更に前に出そうとした幼童って一体何者…。男とも女とも書かれていないんで、もしかしたら葛葉かもなぁ妄想がもりもり進んでます。女なら、もしも講和が破れた後も命だけは助けて貰えるかもしれない、な考えだったとか?事実、勝永が山内家に差し出した妻子の人質は、勝家の弟に当たる息子は殺されてるけど、妻と娘は助けられてるっぽいし?あれ…違ったっけ、殺されてたっけ(お前) 
 にしても、治安はどこで刑死したんだろう。死を賜るとしか書いてないって、ちょ、おま。亡骸は治純が引き取ったと信じたい。

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2008/11/06 (Thu) 発掘物


 片付けが、終わらない…!そうか、私の部屋って魔境だったんだ(ああああ) もう、出てくる出てくる消したい過去に、わあああああってなります← そんな、そんな写真があり得ないことになってる高校時代の学生手帳なんて発掘されなくても良いのよ!
 戦国はまりたての頃に読んでた本まで出てきまして、その秀吉オンパレードぶりに我ながらドン引いた。いや…うん……見事に引きずり込んでくれたのは秀吉だったからなぁ。ちょっと懐かしくて適当に読み返してしまったら、そういえば秀長があり得ないキャラしてた本にぶち当たりました。本能寺の変が起こった直後辺りで、「丁度良いし、ねねのこと見殺しにしちゃおうかお兄ちゃん(超意訳)」なんて言う秀長嫌だぁあああ!(お前) 丁度良いって何が丁度良いんだよお前ぇえ!当時は秀長のことも良く知らなかったんで、さらっと流してたんだよな…うん…。ただ、あの秀長は秀長で良いキャラしてると思げふんごふん。んでもって、やっぱり骨の髄まで秀吉好きーが沁み込んでいるなと本を眺めながら思っちゃいまして。秀吉が単純に、明るくて人誑して派手な出世人!ていうだけじゃ、ここまで好きにならなかっただろうなーと。晩年の陰惨なまでの仄暗さがあるから、ここまで惚れこんじゃったんだと思います(それもどうよ) じゃなくちゃ、携帯に桐紋のシール貼ったりしないんだぜ☆ ……やっちまったんだ。ついにやっちまったんだ。ぺたっと。三つ盛亀甲も貼ろうかどうしようか悩んでる辺り、やばい気がしてきました。豊臣家と浅井家は俺のジャスティス。

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2008/11/05 (Wed) 脳内妄想


 家の外にも出ず、ちょっと部屋の片づけをしながら(あまりにも汚くて、探しものが見つからない)(…) 七手組頭の人たちどうしようかなぁと考えていたんですが、速水のお爺ちゃんはもう、マイナスイオンが絶えず出てる人で、クイさんと桐生に持ちかけてみようかなと← 清海入道のお爺ちゃんと縁側でほっこりお湯でも飲んでれば良いと思う。うん、お湯。お爺ちゃんはお爺ちゃんでも、清海入道のお爺ちゃんの方が圧倒的にお爺ちゃんですが。いや、89歳って…。清海入道のお爺ちゃん妄想も止まらないんですけどね!松永久秀の孫娘に当たる阿古局を見かける度に、蕁麻疹が出るとか。いや、阿古局は、久秀に通じる所のある面立ちだと萌えるなと← 清海入道のお爺ちゃんって元・三好三人衆だし…久秀の名前を聞くだけで、鳥肌がぞわわわみたいな←← でも、天王寺口の戦いで幸村の下にいたってことは、真っ赤な具足をつけていたのかしら。全身赤で固めて、奮戦した果てに討ち死にする89歳って格好良いよなぁと。数え年だと90歳だぜこの人。
 速水のお爺ちゃんの他は、皆真面目そうだよなぁという印象が強すぎて、余り固まっていないんですけど、伊藤さんだけは物凄い勢いでキャラ付けが脳内でされてってます(お前) 何か、その、采配秀秋タンの劣化版みたいな感じになってしまいそうでして…要相談ですねこれは。実は内通していたのに、何食わぬ顔で組頭やってるって、美味しすぎるだろうこの人。

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2008/11/03 (Mon) 編構成


 今書いている話が、終わりません…!(お前) 「茶番のすゝめ」ですが、予定外の前編中編後編仕様になりそうでしてぶっちゃけなります!ままままさか、こんなに長くなるとは予想外でして…あれこれ詰めてったせいですね、分かります。ということで、後編ならぬ中編は、日をちょっと跨いだ辺り頃にはアップできそう、です!中編だとそうでもないんですが、凄く、大助が治徳のアイドルです(やっちまった)

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2008/11/02 (Sun) お茶的な


 「江戸・東京の茶の湯展」に行ってきました。戦国時代とか江戸初期のものよりも、江戸中期辺りからのものが多い印象だったんですが、秀忠が忠興に与えた茶入とか、家光が政宗に与えた茶入があって、一人テンション上がってました(…) でも、人が多すぎてあんまりじっくり眺めることが出来なかったので、ちょっとしょんぼりです← もっと舐めまわすように眺めていたかった!(止めなさい) そういうの関係無く、茶道具はやっぱり綺麗だなーと思うんですが。茶碗よりも、茶入にときめきます。理由は特に無く!← 売られてた茶入に物凄くはあはあしたら3万とか書いてあって、おもちゃ売り場に居座る子供状態になってました(…)
 んでもって、何故か帰ってくる頃には「茶人豊臣秀吉」という本を買っていた不思議。……う、売ってたんだ!殿下が買ってくれって囁いたんだ!(あああああ) まだ最初の方しか読めていないのですが、かなり面白いです。茶人っていう視点から秀吉を見た本が中々無いからかもしれないんですが、いっそ利休との二人三脚ぶりに涙がちょちょぎれそうになる。
 今の所興味深かったのが、茶室の広さについての話でして、天正年間は二つに分かれてたみたいです。本数寄者(お高い唐物の道具を1品でも持ってる人)は四畳半の茶室、侘び人(お金が無く、唐物の道具を持てない人)は三畳の茶室を使うよう、室町から続くルール的なものが天正年間まで存在していたとか何とか。本数寄者には、津田宗及とか今井宗久とか勿論利休も含めて、堺の豪商も含まれてたっぽいです。でも、そのルールに疑問を抱いたのが秀吉と利休で、二人がタッグを組んだ天正11年から、三畳でお茶しないかい!な働きかけが始まって、天正14年、15年辺りにはもう、結構な人が唐物を持っていても三畳の茶室を作るようになってた。…らしいです。利休の創作茶の湯が怒涛の如く広がっていったのも、この頃だとか。あれ、むしろ三畳にすること自体が創作茶の湯の一環?だったかも…です(しっかり読め)
 面白いのが、秀吉の作った黄金の茶室が三畳だったことでしょうか。まだ本数寄者でも三畳の茶室を用いることが浸透していない頃に、お金の無い人が使う三畳の茶室を黄金で作るとか、色々面白すぎる。何かもう、どこまでも秀吉だなぁと(笑 

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2008/11/01 (Sat) 部屋とか


 歴史群像名城シリーズの大坂城編を買ったんですが、これが中々良い感じです!大坂城の口の名前とか、全体的な形とか分かる上に、表御殿と裏御殿の作りも絵にされていて、参考になります。特に、奥御殿の部屋に御焼火の間なるものを見つけた時はふおおおと。「浅井一政自記」に出てきたんですよ、御焼火の間って!つまり、ここで秀頼に謁したってことは、一政さんは奥御殿に入って物事のやりとりをしていたわけで…男の人も入って良かったんですね、奥御殿。多分、奥御殿の更に奥に当たる居住スペースには入れなかっただろうけど。ただ、同じく「浅井一政自記」に出てきた、帝鑑の間というのと、消息の間というのが見当たらない…。帝鑑の間は、江戸城では大名の詰所だったようなので、大坂城でもそれに当たる部屋がそうなのかしら。消息の間も、消息を辞書で引いたら、取次という意味もあるようなので、どっちも詰所?あれ?← わ、分からない!(結局それか)

 そういえば、治長って修理亮じゃなくて、修理大夫だったのかな。書状を載せているのを見ると、大修理大夫って書いてあるんですよね。いっそのこと、そこまで書くのなら「野」も入れろよと言いたい。すごく言いたい。

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