何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/01/31 (Sat) 拍手お返事



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 中々お礼の小話が更新出来ず申し訳ないのですが…。追記に、お返事をさせて頂きます。

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2009/01/31 (Sat) 日記とか



 夏の陣終った直後辺りの『義演准后日記』の記事を読むと、胸が切なくなるというか、呼吸不全になる(病気です)
 5月15日の記事で、「将軍様は昨日伏見城へお入りになった。女子供を取って陣衆は帰ってきている。浅ましき(超意訳)」とあるのですけれども、あさましき体にて候とかでなく、「あさましき」て淡々と書いてあるのが逆に読んでてきます。同じく『義演准后日記』の5月9日の記事には、「雨、秀頼様の確かな最期を聞かず。御母についても同じである(超意訳)」とあります。別の日記、例えば『梵舜日記』とかには、はっきりと「秀頼公自害」的な内容が書いてあるのを考えると、義演さんは、秀頼と茶々が死んだのを信じたくなかったのかなぁと。義演さんが、小さい頃の秀頼に手ずからお菓子を貰ったことについて、慶長3年3月16日の記事で「秀頼様より手ずからお菓子貰っちゃったよいぇっふー!」な風に書いてるくらい、秀頼様大好きオーラ出しまくってるのを考えると、そんな風に邪推しちゃうんですよね。
 夏の陣の後、秀吉の法要まで営んじゃう義演さんが何でそこまで豊臣家に肩入れしていたのか、逆に気になってきます。
 あと、もう一つ切なくなったのが、忠興が家中へ夏の陣の直後送った手紙で、一切、興秋のことについて触れていないことです。治長に関して「今回の大野修理の手弱さはどうしようもねぇな。死体の上に恥じを上塗りしても、仕方無いことだよね(超意訳)」な、忠興ひでぇwwwwなこと書いてる余裕があるのなら、興秋のことにも触れてあげてお父さん!まだ貴方の息子生きてるのよこの時!← それとも、敢えて触れなかったのかな。『花鳥の乱』読んだせいで、この父子の愛憎ぶりは如何ともしがたいことになってるんですけど脳内で(…)

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2009/01/30 (Fri) 年とか



 定頼の還俗は、お父さんが死んだ年(1520年)なの?それともお兄ちゃんが死んだ年(1518年)なの?どっちなの?おおおお!分からん!← 細川晴元に嫁いだのが義賢のお姉ちゃんなら、1518年還俗が一番自然な上に…1518年還俗と書いているサイトさんが多い、ような。でも、1520年還俗も個人的に捨て難いというかなんというか。気分的に(気分か) お兄ちゃんの氏綱にしても、死没する原因になる戦での負傷が、細川家の内紛?に巻き込まれた時のものなのか、第二次伊庭の乱でのものなのかが、これまた色々と違うのですけども!ただ、細川家の内紛に巻き込まれた時の負傷とするには、その後妙に元気な気がするんで、やっぱり伊庭の乱の時の負傷なのかな。細川家の内紛が起こった時、さっさと近江に帰ってしまう氏綱お兄ちゃんが大好きです← 第一次伊庭の乱の時に散々、細川政元には煮え湯を飲まされてたっぽいので、ざまぁwwwとか思ってたら嫌だなお兄ちゃん。
 にしても、甲賀の忍はちょくちょく使うわ、日本で最初に楽市を始めるわ、定頼は何であんなに良い男なんだろうか(素面です)(…) 
 そういえば、近江の高島郡に饗庭村という村があったそうなのですが、饗庭さんと何か関係あるのかしら。高島郡と言えば、饗庭さんのお父さんである明政の居城・海津城があった場所ですし。何かあり、そうな?そうでもないような?

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2009/01/29 (Thu) ごちゃっと



 ネットでごちゃごちゃ漁っていたら、定頼の嫁さんが「呉服前」という人であるというのを見かけたのですが、この人が義賢のお母さんらしい蒲生氏の人なのかしら。でも、何が出典なのか分からないので、何とも言えないのですけれども…。定頼くらい地位のあった人の嫁さんなら、もっと戒名とか残ってて良さげなものなんだけどなぁ。いや、残ってるけど私が調べ損ねてるだけか← 蒲生氏は蒲生氏だけど、本来なら定頼の嫁さんにはなれない庶流も庶流の人だったりして。1523年に起こった蒲生家の家督争いに、定頼が二、三枚噛んでいるので、そこら辺関係で協力要請的な意味も込めて蒲生高郷が嫁がせた、とか?義賢の生年が1521年であることを考えると、少なくとも1520年以前の輿入れで、その頃から高郷と秀紀の間に不和が生じていれば考えられなくもーないようなーそうでもないようなー(…)
 あと、細川晴元が義賢の姉婿であるというのを何か見かけたんですが、晴元で嫁いだ定頼の娘が、義賢の姉であるっていう史料があるのかしら。いや、定頼の還俗が1520年なので、1521年生まれな義賢にお姉ちゃんがいたとなると、一応まだ僧籍にある定頼が子供こしらえてらということになってしまうので。……いや、あり得なかったとも、言えないですけども← 晴元に嫁いだ娘が妾腹っていう可能性もあるしなぁ。ただ年齢だけが根拠だったりするのなら、1522年生年の義賢の妹に設定しても、婚約当時は9歳ですが、実際に結婚する歳は15歳になるので別に妹婿でも、良いような。六角関係はネット情報にしかまだ頼れていないのが歯がゆいところです。
 ついでに、定頼についてネットで調べてる途中、治長の娘が金森可重室と書かれているのをみかけたのですけども、ええええええええ?可重室というのはあり得ないとして、その子供の重近なら可能性があったりするのかしら…。父親の可重は古田織部に師事していたらしいので、治長とは織部の弟子同士。んでもって、wiki曰く重近は冬の陣の時、父親が徳川方につくのを批判したせいで廃嫡されたとか何だとか。でも、金森可重室っていうこと自体、何を元にしてなのか分からないので、妄想にとどまるしか無いのですけども!願望を吐くなら、治長の娘の一人が重近に嫁してると良いな、と。葛葉にしろ、治徳にしろ治安にしろ薄幸過ぎるんで!一人ぐらい幸せになってる子がいたって!(お前)

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2009/01/28 (Wed) 清海の爺ちゃん



 六角妄想を熟成させていく上で(…) 中央政権に深く関わってた三好は避けて通れない道なのですが、ちょこっとだけ、清海の爺ちゃん政康時代も、定頼と微妙に接点があったことに萌えました← 摂津江口の戦いで定頼が味方していた三好政長の子供が、清海の爺ちゃんこと三好政康だったとか。ということは、親の仇に仕えたということになるのでしょうけども、清海の爺ちゃんは長慶のことが大好きだったら萌える(お前) 最初は敵愾心を内に殺して、利害関係のもと仕方無く長慶に臣従してたけども!けども!!な、具合で一つどうでしょう(どうって) 拾ってくれた秀吉に恩義は感じつつーの、一番敬愛しているのはどれだけ経とうとも、長慶ただ一人的な。幸村は長い長い人生の中で出会った、最後の遊び相手かなぁ、とか、はい← 幸村だけじゃなくて、真田隊の面々(与力も含めて)が最後の遊び相手的な?清海の爺ちゃん、寂しかったんでねぇかな…同時代を生きてた人、もう殆ど他界してるんだものなぁ。
 久秀の孫娘である阿古局さんを見たら、久秀の顔思い出して蕁麻疹出てれば良いじゃない!と前までは思ってたんですが、いっそ、久秀の面影がある阿古局さんに、晩酌の相手してもらってれば良いじゃないと思い直しました。酔いが回ってきたら、久秀に話しかけるように阿古局さんへ喋りかけてたらどうよな具合で。そんなこと妄想したら、ちょっとだけ涙ちょちょ切れたからなんですが← 三好も勉強してみよう…かな…(どんだけ自分の首締めたら気がすむのかと)

追記:清海の爺ちゃんに弟がいた、だと…!いや、弟がいたこと自体は不思議でも何でも無いのですけど!没年が寛永8年の96歳って、とんだ長寿モンスターだぜこの兄弟!この政勝さんという人が、法名・為三で、真田十勇士である三好伊三入道のモデルになったんだとか。ただ、為三の爺ちゃんは徳川方だったみたいですが。大坂の役にも徳川方として出陣したらしいので、もしかしたら清海の爺ちゃんとガチンコバトル!なことがあった…かも?(さぁ) 政勝さん関係は全部wiki情報で申し訳ないですが。



 

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2009/01/27 (Tue) 拍手お返事



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2009/01/27 (Tue) 饗庭さん


「曾根崎心中」を狂ったようにリピートかけて聞いていたら、段々、饗庭局×大蔵卿局の歌に聞こえてきた罠。「いとしかわいと締めて寝し 肌に切先を突き立てん」の部分が流れる度に、脳内で饗庭さんと大蔵さんに変換再生されて、うわああああ!てなります← 愛しい可愛いと抱きしめてって、おま…!な具合で、はい。最近、饗庭さんの清水谷時代から自害までを悶々を妄想してるんですが、
 小谷落城(父親戦死・実家滅亡)→北ノ庄落城(二度目の落城経験)→大津城へ龍子さん救出の使者として向う(実質上敵地にGO)→大坂落城(三度目の落城経験・自害)
 な、史実での出来事を知ってしまうと、自害の時は、やっと終わった、な心持だったりしたのかなぁとか、色々考えてしまいまして!饗庭さんについて妄想し始めると、終わりが見えません(…) 市に対して、どんな感情を抱いてたんだろう、とか。浅井滅亡の時、饗庭さんは取り敢えず十代半ばな辺りの年齢でいくつもりなので、まだまだ青い生娘な部分があったりするんじゃないか妄想があったりします。長政が人間として大好きな女の子、的な。「大きくなったら、新九郎さんみたいな人になるよ!」と言わせたい← なんで、浅井滅亡直後は、帰る場所のある市に対して、何かごちゃごちゃしたもんを抱えてたら滾ります。そこを、がつんと実宰院様に叱って頂きたい(お前) それでも浅井の姫ですかと。
 何にしろ、うちの饗庭さんだと、最期も笑って死にそうだよねな結論に至るんですが(身も蓋もねぇ)

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2009/01/26 (Mon) ちょいと


 六角関係を調べていったら、芋づる式に能登畠山と北畠が出てきました。あれ、何だこのデジャヴ。浅井を調べてたら、六角と京極が芋づる式に出てきて泣きを見た時を思い出しました(… あと、北畠から、何故か赤松も。あああああああ!(落ち着け) 軽く発狂できそうなんですけど、文亀~天文の人たちがやったら格好良くて困ります。赤松の女帝に全俺が惚れた。足利義晴の幼少時代に涙がちょちょ切れた。

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2009/01/25 (Sun) 妙心寺展


 20日のことなので、もう5日も前になってしまうのですが、「妙心寺展」に行ってきました。妙心寺の塔頭も含めて、所蔵している貴重な品々が展示されるとのことで、治長嫁の肖像画が展示されてたりしないかなぁ…と淡い希望を抱きながら行ってみたのですが、やっぱりというか、なんというか、ありませんでした← 同じ三名幅の細川昭元夫人像を拝むことはできましたけれども。一生の内一度で良いので、治長嫁の肖像画を拝んでみたいものです。治長嫁の肖像画を所蔵している雑華院ですが、どうやら開基が利休七哲の一人に数えられている牧村利貞さんらしく。治長嫁の肖像画が雑華院にあるのは、治長のお茶関係の繋がりでごちゃごちゃあったから、な理由だったら萌えるなと。はい、結局そこに行きつきます(…) 治長嫁の肖像画が寺宝になっているのが、何だか妙に嬉しかったりします。治長の宝を描いた肖像画が寺の宝になったんだよ!的な、うん、我ながらとても気持ち悪い。
 そんでもって、「妙心寺展」にて、治長嫁の肖像画はありませんでしたが、鶴松の遊んでいた玩具と小さな鎧と、氏郷が鶴松誕生祝いに贈った刀が展示してありまして。何か、鼻の奥がつーんとしかけた← あああああああれは何だか色々といけない!切なすぎる!秀吉、可愛がってた小姫の病没と鶴松の病没のダブルパンチ喰らってるんだものなぁ……。
 他にも、南蛮寺で使ってた鐘もあったりして、この鐘の音を右近さんや小西も聞いてたかもしれない!と思ったら、何か滾りました。禅宗のことについても、ちょこっと勉強できたような。禅宗は師弟関係を重視するので、師匠から弟子へ、袈裟?が受け継がれていくらしいです。ということは、恵瓊さんが使ってた袈裟は恵心さんから貰ったものなのかなぁとか、霊真が使ってた袈裟は恵瓊さんから与えられたものなのかなぁとか色々考えていたら、何か挙動不審になりました(お前)
 ちょこっと展示替えがあるらしいので、その後、またもう一回行ってみようかなぁと。展示替えされた後に展示される、海北友松の絵が見てみたい。

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2009/01/24 (Sat) 何かごちゃっと


 六角繋がりで、近畿辺りの名家についてを、薄く浅く、ちょこちょこ読んでみたりしてるんですが、北畠家についてもちょっと読みまして。北畠時代の信雄のことを妄想したら、ちょっとだけ鬱になった(…) というか、良く考えたら、何か、この子、重い← 具教さんを討った時、どんな気分だったんだろう。何か「狂気の父を敬え」が読みたくなってきました。……ちょっと気になってたりします、この本。そんでもって、信雄の嫁になった、具教さんの娘・雪という人と、信雄の間に生まれたのが小姫という説を見ました。具教さんの嫁さんは定頼の娘なので、雪さんがもしも定頼娘の子だったら、小姫は六角の血を引いているということにもなるわけで……萌える← 秀吉の養子達の中で、北畠+六角な、一番良いとこの血を引いてることにもなりますが。智仁親王は別次元なので除きます(お前)
 具教さんを討った時の信雄の気持ちとか、一族を総殺しにした男に付き従い続ける雪さんの気持ちとか考えてしまいますと、その、うん!(…)
 ちょっと飛びますが、安土城内に、定頼を祀る江雲寺御殿というものを、信様は建設していたらしいです。……何で?← 信様の母親は六角氏という説もあるらしいので、そこら辺とも関係あるのかな。

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2009/01/23 (Fri) 拍手お返事


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2009/01/23 (Fri) 呼び捨て現象



 「伊達家文書」で、ちょっと噴いたんで…

satake.jpg

kagekatu.jpg

 見ずらいことこの上ない写真ですみません。いや、でも、ねぇ←
何で、佐竹の義宣さんと景勝だけ、名字or名前の呼び捨てなのさwww 他は大体皆、名字+役職名で綺麗に収まってる分、この二人への呼び捨てぶりが、すごく、浮いてます(…) 冬の陣の最中、立花の宗茂さんに「近くにいないと心もとないんだからね!」な手紙を送っていたり、政宗、うん、さすがだ(何が) 酷い確率で人の腹筋を苛んできやがる←
 他が名字+役職名なのに、一人だけ名前呼び捨て現象に遭遇したのは、盛親以来です。いや、ほんと、何で長沢さんってば盛親のこと、長曽我部っな呼び捨て表記だったんだろうか。又兵衛の所には、「男ぶりは百人分だよ!」ないらん一言まで添えてあるのに← あ、長沢さんは、又兵衛の体中の傷を、風呂場で事細かに数え出す人です

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2009/01/22 (Thu) 注・カオスです


 今日、桐生から召集がかかり、乙式で遊んできました。
私はちょっと遅れて合流したんですけど、何か、桐生とクイさんの二人でもそもそ描いてまして…

roriharu.jpg
 wwだwwwれwwwwだwwww 
顔を描いてる段階では、治長を描くはずじゃなかったのに、途中でクイさんという名の天の声に命じられて治長にしてしまった挙句こんなロリなんだか良く分からないものが誕生してしまったって、桐生、あなた疲れてるのよ…。

harufes.jpg
 クイさん、あなた疲れ(以下略
 ゲッダン☆


 やっぱり、カラオケでイメソン探しするのは楽しいです。取り敢えず、ワールドイズマインが秀吉っぽいという結論が出ました(名曲に謝れ) 「わがままなんていってないんだから!」を殿下に口走らせたい←

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2009/01/21 (Wed) 家系図



 何でか、萩の御前様をがん見しながら、自宅設定での、浅井の家系図もどきみたいなの作ってました…浅学なんで、これから微妙に変わりそうですけど、取り敢えず今のところこんな感じで。たくさんぼこすっこん子供がいまくった辺りで(…) 全員載せるのは諦めました← ごちゃごちゃ妄想してたり、今後妄想するかも?な人達だけで、ちょいと。
 試作ですが、こんな感じです→家系図もどき

 画像がでかいんで、携帯からはお勧めできないかもです。
 六角家系図もどきにも挑戦しようか迷ってる辺り、アホかと。

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2009/01/20 (Tue) 江南の慈母



 定頼の、足利義晴、義輝父子に対するあの寛容さは一体何なんだろう…いっそ、慈母にすら見えてきたんですけど← 父子が京から逃れてくる度に匿ってるとかあなた。一回だけ、敵対してますけど。何気に、義輝元服時の加冠役だったことにも、地味に萌えました。木沢の長政さんの尻拭いを地味にやらされてたところとかもな!(…) 一向一揆と天文法華の乱を鎮圧するために、兵を出してあげてる辺り、すごく、尻拭いです。近江守護ですが何か、な顔しておいて、実は中央に振り回されがちで尻拭いさせられがちなところが、萌える!← 中央の尻拭いしながら、あの亮政の応対もしなくちゃならない定頼の頭痛ぶりを思うと、すごくによによします。いつの間にか頭痛キャラになりかかってても、気にしない。だって、娘婿が、晴元だもの…頭痛も起こるわよ…(晴元を何だと思って) 長慶が晴元から離反して対立した時に、「三好筑前守謀反」な檄を飛ばしまくるのを見るに、ちょっと潔癖?な感じがするんですけど、どうでしょう(知らないよ)
 あんまりにも、中央の細川な人たちやら、三好な人たちがどろどろし過ぎてるんで← 一族が結束した上で、純粋に台頭を目指してる亮政と戦をするのが、無意識に楽しくなってれば良いじゃない。はい、近江にすごく夢見てます(…) 京極兄弟が関わると、一気に泥沼化するんですが。あの兄弟の泥沼ぶりは、半端無いんだぜ…。

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2009/01/19 (Mon) 妄想10割



 今日更新した又治話、妄想だけをありったっけ詰め込んだ感があるとかどうしよう…。
又治は、治長が死んだ嫁さんのことで未だに色々引き摺ってるところがあると良いな!な妄想があるので、又兵衛は長政と昔ごちゃごちゃ愛憎活劇があれば良いじゃないと思ってます← ただ、長政と又兵衛を絡ませるには、勉強不足なせいで、未だにいまいち長政のキャラが掴み切れてないと言いますか(キャラて) ツンヤンデレっていうイメージしかないとか、その、すんまっせん。大坂の役での様子見てると、不憫キャラになりそうなんですが…江戸留守居かっくらうわ、息子コレラに罹ってるのに、死んでも良いから上洛させろ!とか言われちゃうわ。ちょっとずつ、時間をかけて勉強していこうと思います。又兵衛とどろどろさせてみたい← 

 あ!追記な感じで申し訳ないのですが、この間の日記に書いた孝蔵主の弟なんですが、名前間違ってました!半之丞でなくて、式部丞です!丞しか合ってねぇ…っ!

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2009/01/18 (Sun) 何かごちゃっと



 今月の「戦国武将列伝」読みました!あああああ、秀吉可愛いよ可愛いよ。本当に、どうしてあの作者の人が描く秀吉は、ああもストライクゾーンを突いてくるのかと!城へ力攻めをしない理由が、人が死ぬのが嫌だから、とかじゃなくて、矢玉が勿体ないからだったのに、一人によによしてました。これぞ秀吉。外道。あと、常に小六が傍にいて、呼吸不全が起こるかと← 何気に、信秀風味だったりもして、悶えまくっていたら、父親に物凄く怪訝な目で見られました。み、見るなぁああそんな目で私を見るなぁああ!! あ、一番最初に載ってる幸村の漫画は、内輪揉めするなよ!的なこと言いながらおろおろする治長が可愛かったです← でも、あの時小幡官兵衛って、前田利常の所に居なかったっけ…あれ…?まぁ、世間様に良く流布してるテンプレな感じの冬の陣だったから、そういうことは別にどうでも良いのかな。
 あ、録画してた「天地人」を観てたら、一緒に観てた母親に、兼続と景勝を指して「この二人ってアリなの?」と聞かれました。…………王道だよと、答えておきました……。

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2009/01/17 (Sat) 現し世十題



 戦国期真っ只中な近江の人たちをSSS崩れで書いてみよう計画。

 [現し世十題]

 「手をとって 世界が終わるまで踊ろうか」(浅井亮政×浅井蔵屋)
 配布元:rewrite

 

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2009/01/16 (Fri) お公家さん


 冬の陣で、11月25日に、勅使の公家さん達が家康の陣を目指して京都を発ってるんですけど、その人達の見送りに来ていた人の中に、持明院基久さんの名前がありまして。こう、なんとも言えない気分になりました。持明院さんもまさか、一年も経たない内に、自分が勅使の人たちの向う大坂の地で討ち死にするとは思ってもみなかったろうなと。しかも、城方として。いや、でも意外と予感とかはしてたのかしら。おおおおお、持明院さんのことを深く考えると、何とも居た堪れない気持ちになるので止めておきます← 本当に、何で割と良い所の公家なのに夏の陣で城に籠ったんだろう。おまけに、配属されたのが幸村の隊で、討ち死にだものなぁ…。持明院さんの存在を知ったことで、公家の人たちに対するイメージが変わったと言いますか。豊臣家も摂関家なんで、公家っちゃー公家なんですが←
 持明院さんの城方へついた理由、誰か日記に書いてないかな…時慶さーん!(無茶言うな)

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2009/01/15 (Thu) ぷち改装?のようなそうでもないような。


 話を1つアップついでに、改装って程ではないですが、ちょっと見ずらいかなぁと思ってPCサイトのフレーム有の方を、ちょっと弄ってみました。今までごっちゃごちゃに置き過ぎてましたね…。後期豊臣家の所には、今の所、大坂の役関係の話しかありませんが、片桐さん関係とか色々加えていけたら良いなぁと(希望形か)(…) あと、豊臣家じゃねぇだろという人も、大坂の役に関係した感じの場合は、後期豊臣家に突っ込んでます。興秋とか興秋とか興秋とか。ぶっちゃけ、勝永以外の牢人衆全員ですね!←
 どうでも良いんですが、孝蔵主妄想が、孝蔵主→ねね前提での、半之丞(弟)×孝蔵主(姉)を展開する位に発酵してきました。山崎の戦いで戦死してしまう孝蔵主の弟なんて、妄想させて頂かない方が嘘だろうと!(お前) 私の中で、弟の戦死はこほが孝蔵主に変わるターニングポイントのような。

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2009/01/14 (Wed) 夜討ちの大将ホルスタイン


 お好み焼きつつきながら、団右衛門のデザインが決まりました!
horusutain.jpg

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 団右衛門の、出家してた時の名前「鉄」が、インパクト強すぎてホルスタイン。私と桐生とクイさんから出た案を、クイさんに描き出して貰った感じのブツです。

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2009/01/14 (Wed) 乙式でお好み焼き食ってました



 どれがだれだかわかるかな


mini1.jpg
mini2.jpg
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 取り敢えず、これ描いたクイさんにスゲーと贈りたい。
 殆ど目が死んでる大坂方。




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2009/01/13 (Tue) 嫁


 『史料総覧』の、「天文17年4月22日 六角定頼夫妻、山城宇治に遊び、是日、春日社に詣す、」に、萌え和んだ件について。この四年後に定頼死ぬんだよなぁ、と思ったら和んでもいられなくなったんですが← 偽書疑惑もりもり『江源武鑑』ですと、この前辺りからもう、病気が酷くなって行っていたようで、もしも、もしーもその辺りだけでも本当だったら、何だかすごく、ああああああな気分になります(…)
 定頼の嫁さんって、名前や戒名どころか、どこの家の人かすらも分からないのですけど、子供の義賢の母親が蒲生家の人だと書いてあるものがあったので、蒲生家の人なのかしら…。でも、蒲生家の家系図(女の人も含み)には、それらしい人が発見できない罠。ま、抹消された?← 

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2009/01/12 (Mon) 六角


 「江源武鑑」を現代語訳して下さっているサイト様があったのですけど、最高でした。偽書疑惑濃厚な「江源武鑑」を、それでも私は採用したい。一部。何故ならとても面白かったからだ!←
 「江源武鑑」は、六角家の記録を日記調に記したものでして、何かもう、色々、凄い。息子(義弼)の悪口言った奴を即切り捨てるお父さん義賢に、打ち震えました。「いつか殺してやるぜこの野郎」とか思いながら、舅とにこやかに会話する義弼に、滾りました。というかもう、義弼の性根捩じ曲りぶりに、義弼大好きだ!と叫ばざるを得なくなったと言いますか!そしてそんな義弼と添い遂げる(…) お父さんの義賢。この性根捩じ曲り青年の義弼が、後年、ちゃんと秀頼の弓の師匠としてやっていけたのかおいちゃん心配になったりもしましたが……大丈夫だったのかな、秀頼とちゃんとやっていけたのかな。そういえば、義弼の嫁は斎藤義龍の娘で合ってたかしら。あと「江源武鑑」だと、茶々は天正19年まで、六角さんの所で養育されていたことになっていて、そういう話もあるんだなぁと。秀吉の「秀」は、六角義秀さんから貰ったことになっていたり。
 六角義賢義弼父子以外の悶えポイントは、定頼の病気が重いことを知って、駆け付ける義久(親泰)でした← ほんと、この叔父と甥の二人、好きだ。多分こいつら、二人だけの世界に生きてるよ(…)
 義久→←←←定頼←←←義賢を妄想してしまった私は一体どうしたら……。久政の実父は亮政でなく義久で、お母さんが浅井家の女性である千代鶴という人である説を信じているので、人間らしい感情を殆ど笑顔に押し込めた定頼が、唯一嫉妬らしい感情をほんの少しだけだとしても、向けた相手が千代鶴さんだと、えらく滾ります← 義賢が義弼を盲愛するのは、義弼の見目が定頼と瓜二つだからということで一つ。そんな義弼は、三雲定持さんが大好きです。他の六角家重臣たちが離反したり、義久系統の六角氏についていく中で、最後まで義賢義弼に付いてきてくれた人。我ながら、六角家妄想が迸り過ぎて気持ち悪くなりました。やばい、六角、熱い。

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2009/01/11 (Sun) 近江辺りのこと


 六角家周辺をちょこちょこ漁ってるんですが、六角家に強硬な態度に出なかった久政の判断は正しかったんじゃないかなぁと、付け焼刃も甚だしい知識でほざいてみます(…) 特に、定頼在世中に、六角家へ喧嘩売るのは明らかな暴挙にしか思えないというか。六角家にがたが来るのは、定頼が死去した後で、定頼が生きてる頃はぶいぶい言わせまくってたものなぁ。あと、地味に長政の家督移譲に伴う反乱?は、芝居だったんじゃないか説を支持してたりします。反乱起こして、久政から家督をもぎとったにしては、その後の久政の発言権が強すぎるし、反乱が起こった当日に城を訪れた人の記録だと、父子和やかな雰囲気だったらしいし。
 以下、物凄い妄想が入るんですが……、反乱を起こして家督を長政が奪い取ったとすることで、保険を作ってたんじゃないかなぁと。六角への歯向かいが失敗したとしても、「親六角だった前当主」から無理やり家督を奪い取った「反六角の現当主」が全ての責任を取る形にすれば、浅井の家名は多分保たれるわけで。定頼は野良田合戦の頃には死没してましたが、まだ六角の力は衰えていない頃だったから、賭けをすると同時に、保険も作ってたのだとしたら、そんな久政に痺れます←

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2009/01/10 (Sat) 隼人正


 「難波戦記」の薄田さんが、一人戦国無双、もしくはBASARA状態だった件について。
つつつつつ、強すぎだろぉおお!どんだけチートなんだよ薄田さん!「難波戦記」は、物凄く個人的な事情で(主に治長)出来る限り参考にしたくないのですが、薄田さんの件に限り、参考にしてしまおうかしらと…(調子良いな) だって、薄田さんが格好良すぎる。
 槍で最初の方は数人殺して、槍が折れたら太刀を使って、敵の首を掴んでは狩り掴んでは狩りで、落馬した後も8騎討ち取って、最終的には折れた槍の柄で数人殴り倒すとか。絶対、人間じゃねぇだろ。
 流石にこれは誇張し過ぎたとしても(やっぱり難波戦記ですし)、物凄い活躍を道明寺の戦いの時にしたことは事実だそうで、又兵衛が何時間も耐え抜いた背景には、又兵衛とその隊の力が大きかっただろうけど、又兵衛の与力として、その時戦ってた薄田さんとその隊の活躍もあったんじゃないかなぁと思ってます。というか、大坂の役自体、牢人衆と譜代衆が揃って、初めてあの戦いぶりが出来たんだと勝手に妄想してます← 
 そんなこんなで、薄田さん←長秋を推して参ります(…) 接点のある逸話が一個も無いですけど!接点でいったら、いっそ薄田さん→又兵衛の方が色々妄想の余地があったりするんですけど!真田丸の件でぶち切れた又兵衛を宥めたり、道明寺の戦いで一緒に戦ったりなぁ…ただ、この二人はあくまで友達というか、そんな感じでいて欲しいなぁと。
 下戸で酒が飲めない代わりに、お茶をひたすら無言で飲み続ける又兵衛の隣で、一人くっちゃべりながら、がばがば酒呑んで勝手に酔いつぶれた薄田さんに、物凄く面倒そうに又兵衛が布団かけてやるのを妄想したのがいけなかったかと。又治みたいに、間違った友人の一線の越え方をした爛れた関係にはなって欲しくありません(お前) 脳内で、薄田さんが物凄く人懐こい大型犬のようなイメージになってしまってる私は異端でしょうか(知らないよ)

 

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2009/01/09 (Fri) 治徳と治安


 追記に、治徳でSSS崩れをば。

 治徳と治安が双子で、冬の陣和睦の際に、治安を治徳と偽り人質に出したということで書いておりますので、ご注意を。

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2009/01/07 (Wed) 呼び方とか


 久々に読み返してみた恵瓊さんの小説で、蔵主というのはお坊さんの役職の中でも、結構高い役職だと書いてありまして。名前の一文字を取って、その下に~蔵主と付けるんだとか。そんでもって、~蔵主を名乗ってる孝蔵主は、果たして出家した最初の頃から、孝蔵主という名前を与えられていたのか不思議に思ったというか……孝蔵主というのが、最初から与えられていた名前だったのかしら?と。ということで、孝蔵主の法名である「玄孝」を、出家した最初に与えられた名前ということにしました。孝蔵主と呼ばれるのは、秀吉が関白に任官されて、ねねが北政所になった時かなぁな感じで。
 子供時代にはぎゃんぎゃん言い合ってた孝蔵主と三成が、でっかくなって、物凄く他人行儀に「孝蔵主殿」とか「治部少輔殿」とか呼び合うのを妄想したら、無性に孝蔵主と三成の話が書きたくなりました← 治長の話も書きたいしなぁ…。でも、レポートがどうにか全部終わったんで!やっと、色々手がつけられそうです!露骨にベーコンレタスなのも、久々に書きたい(…)

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2009/01/06 (Tue) 現し世十題



 何だか、ふと書きたくなったので、戦国期真っ直中な近江の人たちをSSS崩れでちょこちょこ書いてみよう計画。
 
 [現し世十題]
 「幼い自分を殺して生きてゆく」(六角定頼+六角親泰)
 配布元:rewrite

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2009/01/05 (Mon) 妄想垂れ流しです


 年末年始のバイト代を貰ったんで、早速小和田先生の「近江浅井氏の研究」を注文しました!古本で五千五百円でしたが、元値が一万二千九百円だったのを考えると、うぉおおお今買わなくては!と思いまして!今から届くのが楽しみです。早く浅井家ではあはあしたい←
 そんでもって、「天地人」と「女太閤記」の二つともまだ観れてないとか…!録画はしてあるのでいつでも観れるんですけど、やっぱり早く観たいなぁ。ほんと、レポートなんて滅んでしまうと良いよ(笑顔) お陰様で治長の話なんも書けなかったしな!いい加減禁断症状が出てきそうです(…) 誰だよ、2008年が終わる前にレポート全部終わらせるゼ!なんて言った奴はぁああ私かぁあああ!!
 治長夫婦がいちゃこらしてるのを妄想してる場合じゃないって、分かってる。分かってるけども!治長嫁の肖像画が残ってて、おまけにそれが三名幅なんて、美人画の元になったものの一つと知らなかった時はこっそり治長→→→茶々もありかなぁと思ってたのですが、美人嫁さんの存在を知ってからは、治長×嫁さんが脳内で確立しております。元々、秀吉→←茶々も好きだし。秀吉と茶々の夫婦は、最後の最後まであけっぴろげに本心を見せ合いはしなかったけれど、憎しみと欲望だけの関係じゃなかったような妄想が、ちょいと。いっそ、秀吉は茶々と二人きりになると、歪み切った面と弱さを曝け出していれば良いじゃないと← この二人の関係は色々妄想し過ぎて頭の中でごっちゃごちゃなことになってます。いつか書きたいけど、R指定になりそうだ(…)
 治長と茶々は、もう恋愛なんてもんを軽々と飛び越えてますので← 治長が恋愛感情的な意味で一番好きなのは生涯を通して嫁さんだけれど、嫁さんか茶々のどちらかしか助からないとしたら、寸分の迷い無く茶々を選ぶような関係かなぁと。嫁さんもそれを理解しているとえらく萌えます。大和撫子で治長嫁はお願いしたい。未だに治長と茶々が絡んでる話が書けていないのは、私の中で聖域過ぎて中々汚せないからとかどうしようこの頭。

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