何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/04/30 (Thu) 諸事諸々



 母の勤めてるマッサージのお店にいって、80分揉んで貰ったら、「大分病んでるね」と言われました。一瞬頭のことかと思ったのは言うまでもありません← もう、足裏が40代の足裏みたいだったらしいですよあははははは。……どうりで泣きかけるほど痛かったはずだ。肩と首もぱんぱんに張っていて、若い子とは思えなかったらしいです。いやね!確かにね!もう若くないって自覚はしてるけどね!
 はい、そんなこんなで、団右衛門の命日をスルーという事態が発生しました(…) 団右衛門ってば、一人命日がずれてるから、うっかりしがちなんですよ畜生!おま、ほんと、せめて七日までとは言わないが六日までは生き残ってようぜ…っ。一人先駆けて討ち死にしちゃってる辺り、団右衛門らしいと言えばらしいのかな。
 そんでもって、またもや話題が飛ぶのですが、六角の義賢父さんと三好長慶の年齢が一歳違いであることに、えらくきゅんと来ました(…) 義賢、三好さん家には大分、煮え湯を飲まされているんで、浅井と三好の両方相手どるはめになってイ"ー!ってなってる義賢的な← 

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2009/04/29 (Wed) 拍手お返事




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2009/04/29 (Wed) 女体秀頼(…)



 友達が太閤立志伝を買ったらしく、私も何だかやりたくなりました。とにかく、浅井か六角の誰かでプレイできるようになったら、両家の間に同盟を結ばせたい← もしくは、どっちかを滅ぼして牢人してる所を、こう、ざっかざっか拾い集める的な(…) な、長政と義弼を仲良くさせたいんだよおいちゃんは!もしくは、定頼様でプレイして天下を統一する← 秀吉を家臣に組み込めたらなお良し!
 そんでもって、今日ぼんやりと、大坂面子を女体化したらどうなるんだろうなぁうぇっへっへな不埒なことを妄想していたら、秀頼にまで触手を伸ばしたところで物凄く切なくなりまし、た…っ。秀頼が女の子だったら、秀次は死ななくて済んだんじゃないかとか、茶々があんな辛い目に遭うこともなかったんじゃないかとか、色々と!冬の陣が始まるよりもずっと前に、精神的なストレスで食事を摂れなくなった茶々の心情を思うと、XとYがぁあああっ、な気分になります(…) 秀次の長男の元に嫁いで、そのまま丸く済んだのかなぁとか。頼姫、みたいな。歴史にIFは無いですし、男として生まれて生きた人が豊臣秀頼なので、ごちゃごちゃ言っても詮無いこととは分かっているんですけれども!
 不用意に女体化妄想とかするもんじゃないです…ぅおおお…XとYがぁ…。

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2009/04/27 (Mon) 取り急ぎ



 今日の講義で天文法華の乱に触れられてて、一人によによしてました← 定頼様が木沢の長政と細川晴元の尻拭いに動いてるんだぜテンション上がるだろ…!(知らないよ) 取り敢えず、急ぎこれだけ吐きにきました!← 

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2009/04/27 (Mon) 饐えたこれは甘いアレに似た何か



 なつさんに定頼様×亮政を大プッシュした手前(…) 何となく私も書いてみたいなぁと、追記にSSS崩れをやらかしてみました。ただ、亮政蔵屋お庵夫妻も好きなので、定頼様→→→亮政な具合になってます。定頼様がすごく、気持ち悪い、です。

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2009/04/25 (Sat) 絵師とか



 絵師達も色々と面白いですね。あんなに面白い人達なら、もっと早く知っておけばよかった…!何か、等伯が強烈過ぎる。無理やり塔頭に乗り込んで絵を描くとか、強烈にもほどがある。永徳との尋常じゃない仲の悪さも面白いなぁと。秀吉は絶対この二人の対抗意識を楽しんでる気がする←
 でも、やっぱり気になるのは山楽です。秀吉の小姓をやっていた時に地面に馬の絵を落書きしてたら、それを見た秀吉に才能を見出されて永徳に紹介されたとか、何だその微妙にによによしたくなるエピソードは。山楽が落書きしてるのを、隣でしゃがんで眺めてる秀吉!みたいな妄想をしちゃったじゃないですか← あと、山楽の描いた、秀吉の肖像画の画稿は秀吉がイケメンで眺めてて呼吸困難になる(…) あのしゅっとした鼻が好きです。多分、良く教科書に載ってる秀吉の肖像画は、その画稿を元にして描かれたんだろうなぁと。

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2009/04/24 (Fri) 五月上旬



 5月の5日と6日、シフト入れられそうになってましたが、根性で回避しました←
とは言っても、特に何かやるってわけじゃないんですが!去年みたいに、大坂の役動画もどき作る気力も多分残ってないだろうしなぁ…去年は、あれ作るのにゴールデンウィーク全部潰したお前アホかみたいなことがありました。むしろ、今作ろうとしたら、登場人物増え過ぎて、絶対に前回より更にぐだぐだになる自信があります。
 一本くらい、何か夏の陣に合わせて話をアップしたいなぁ、とは思いつつ、桜にまつわる今書いてる話が終わってないとか(書き始めたのは四月上旬)(…) 色々あああああなことになっているので、今のところ保留です← が、頑張りたいな!

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2009/04/23 (Thu) 不憫ズ



 忠直に負けず劣らず、忠朝が不憫過ぎる件について。
何か、もう、うわぁああ!てなった← 秀次の発している不憫ぶりには遠く及びませんが(…) ことあるごとに父親と比べられていて、家康に直接、「父親に劣る子だな!」て言われる気分はどんなもんなのかしら。直孝が、しょっちゅう「さすが直政の子だ!」て家康に言われてるのを考えてしまうと。多分作り話なんでしょうが、忠朝が出来なかった仕事を直孝にやらせて、その直孝が家康の意に沿うことをしたっていう逸話を読んだ時、た、忠朝ぉおお!になったのと同時に、ちょっと萌えた(お前) だって、20代そこそこの若造に負けるって、多分結構な屈辱だと思うわけでして、その屈辱に必死に耐える忠朝を妄想したら、ねぇ?(…)
 あと、切れた家康を前に、やべぇと判断して、目だけで忠朝に退席を促す正純← 

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2009/04/22 (Wed) 絵師



 前回、等伯と永徳についてやった講義で、今回は探幽と山雪と英一蝶と久隅守景をやったんですが、さ、山雪が妄想を掻き立てるキャラをしすぎている…!芸術的なことに関して、ド素人もド素人なんで、山雪の名前は聞いていても、具体的にどんなことをやった人だとか、どんな人だったかさっぱり知らなかったんですけども……う、鬱屈したプライドの持ち主だったって、そんなあなた。萌えるじゃないか← おまけに、義理のお父さんの山楽さん(1559年生まれ)が元々浅井家臣で、小谷落城後に小姓として秀吉に仕えてたとか!秀吉の紹介で永徳の弟子になったとか!時勢が徳川へ流れても、大坂の役で豊臣が滅ぶまで豊臣家に深く接して仕事をしていたことに、おおおお…となりました。大坂落城後に、大坂方の残党として捕まりそうになったってことは、戦闘には参加していなくても、城には籠もってたってことなんだろうなぁ。婿養子の山雪諸共。大坂面子と、何か交流はあったりしたのかしら。
 あと、山楽さん秀吉の肖像画の画稿を描いていたりもして、その画稿の下に書いてある「これが一番似ているそうです」なんて一言メモみたいなのに萌えた。誰だ、このメモ書いた奴!三成か!(違うと思う) でも、1559年生まれで、秀吉が近江時代に小姓として召し抱えたなら、三成達と当然交流があったんだよなぁ。妄想すると、すごくによによします。

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2009/04/20 (Mon) 拍手お返事



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2009/04/20 (Mon) 出自



 ネットを漁っていたら、秀吉が「山窩」という一族(?)出身である、というのを小和田先生が提唱しているというのを見かけて、へーと。あんまり秀吉に関してwikiを読んだりしないので、うっかりしてました。先生の著書である「豊臣秀吉」に書いてあるらしく、読んでみようかなぁと。山窩出身だっていうのは、ちょっと前に読んだ本にも書いてあったんですけど、個人的にトンデモ論的な具合で認識してたというか……ちょっと面白いし、創作する参考になったりするかなぁ程度にしか考えていなかったというか!ねねの実母が、死没するまで、ねねと秀吉の結婚に反対してたっていうのは、ここら辺の秀吉の出自が関係しているのかなぁな感じにぼんやりと思っているんですが、あの時代、山窩の人たちは差別を受けていたのか、いかんせん勉強不足で良く分かりません← 江戸時代の時は部落の人たちと同じような扱いを受けていたようですが…。
 あと、もう一つ気になったのが、山窩という名称を地方によっては箕作と呼ぶ場所もあるらしく、箕作=定頼様が養子入りしたかもしれない家系、なんて連想が働いてしまいました。忍の人達は山窩の人たちと密接な関係にあるのかも?という話を前提に色々妄想してみると、信様の侵攻を受けた義賢、義弼父子が甲賀へ落ち延びたのも、何かここら辺と関係があるのかもしれません。うん、妄想って楽しい←

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2009/04/18 (Sat) 諸々



 定頼様関係で、あの時代の近畿地方の動きを把握したいんですが、ざっくりと何があったか書いてある本は何か無いかな…。ウィキでざーっと追おうと頑張ってみても、目がちかちかして殆ど頭に入ってこないっていう← やっぱり、頭使うものは本で読みたいです。ということで、何かお勧めだよ!という本があったら教えて下さ、い(土下座)
 あと、この前、うっかり「小六伝」なんて本を買ってしまったら、前野の長康さんが作りたくなってきた罠。日吉時代の秀吉と小六と長康の三人で、こう、ほのぼの、みたいな!← いっそ、浅野の長政さんも作って、小六+長康、秀吉+長政の義兄弟の契り結んだ組を並べてみたいなぁ、なんて妄想してによついてるんですけど、これ以上人を増やしたら収集つかないことになる…!にしても、「小六伝」は小六×秀吉好きには堪らなかった。阿波を貰うのを辞退した小六の言葉はつまり、あれだろ、「傍に置いてくれよ」ってことだろう!?←

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2009/04/17 (Fri) 秀吉と秀頼



 良く、秀頼が秀吉の子じゃないんじゃない?な根拠の一つに挙げられる身長について、どうなのよ?と思ったので、色々検索してみたら、遺伝による身長への影響って25%位しかないんですね。遺伝よりも、育った環境が関係していると。確かに、肉を食べるようになった日本人は、昔の日本人よりも大分身長が伸びてますし。秀吉の身長が小さいのも、秀吉が両親から受け継いだ遺伝子のせいじゃなくて、身長を伸ばすのに適さない(栄養・睡眠等々が十分でない)環境で育ったからじゃないかなぁと。それに、過酷な環境で育った子供は、早い時期に短い成長期が来てしまって、身体的に早熟になるらしいです。となると、秀吉が小さかったのも個人的に納得出来るのですが。逆に秀頼は、身長を伸ばすのに適した環境で育ったんじゃないのかな。十分な栄養と、十分な睡眠を、秀頼の立場ならしっかり摂れただろうし。それでも25%の遺伝が、秀頼の長身に影響を与えたとするのなら、茶々は長身遺伝子の持ち主だったし、秀次・秀長がそこそこの体格であったらしいのを考えると、秀吉自身はそこそこ伸びる身長遺伝子の持ち主だったのかもしれません。それが、成長した環境のせいで発揮されなかっただけで。実際、私の両親は結構大きいのですが、私自身は一切その恩恵にあずかれませんでした(…) 逆に、小さい頃寝まくってた兄が、無駄にでかくなる始末です←
 どっちにしろ、滅茶苦茶厳しい豊臣家の奥制度の中で(奥だと太刀持ちすら女の子)、秀吉の妻である茶々に手を出すのは不可能だし、当時下々まで流れてた治長の子なんじゃない?な噂が秀吉の耳に入っていないわけもなく、その上で治長に何のお咎めも無いのを見るに、秀頼は秀吉の子でしょう。やっぱり。男性の不妊に、漢方による治療が行われていることがあるらしいので、当時の秀吉もそういうのやってたのかもしれませんしね。
 何か、無駄に色々書いてしまいました←

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2009/04/16 (Thu) 絵師



 講義で日本画のことにちょろっとだけ触れているものがあったんですけど、狩野永徳と長谷川等伯のことをやりまして。まったくもって日本画にしろ西洋画にしろ、そういうものに関して無知だったんで!そうか…鶴松の菩提を弔う寺に、秀吉の依頼で絵を描いたのは等伯だったのかと。絵師同士の間でも、凄まじい権力争いというか立場争いというか、そんなものがあったんだと初めて知りました。そんな中で、秀吉が気に入ったのが、絢爛豪華!を全面に押し出した永徳じゃなくて、金を用いた華やかな絵を描きもするけど、どこか儚さを感じさせる絵を描く等伯だったのは、等伯が利休と知り合いだったからだけじゃないような気が。等伯の描いた楓図を、「鶴松の菩提を弔うために秀吉が依頼した絵」なんてフィルターを通しを見ると、うっかり泣きそうになります←
 

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2009/04/14 (Tue) お墓参りとか



 今日は孝蔵主の命日だったので、お墓参りに行ってきました。……が、ちょっと遅くに行ってしまったせいか、お寺がしまっていて入ることが出来ませんでした。こ、孝蔵主に拒まれた…!(いつも不埒なこと考えてるからです) 旧暦の4月14日を新暦に直すといつなんだろう。せめてその日には行きたいなぁ。もしくは五月の月命日か。去年行った時はしっかりと確認していなかったんですけど、孝蔵主のお墓のあるお寺は禅宗らしく(臨済宗か曹洞宗かは分かりませんでしたが) 孝蔵主も禅宗の尼さんだったのかな。もしそうだとしたら、宗正寺も禅宗だったのかしら。政治に近い所にいた禅宗の坊さんは臨済宗の人が多かったらしいし、臨済宗のお寺はハイレベルな勉学を学ぶ所!な感じだったらしいので、何となく孝蔵主には臨済宗が似合う気がする。何となく← 孝蔵主が男の人に混ざって勉強しているのを想像しても、びっくりする位違和感を感じない←←
 そんでもって!実は地味にサイトが一周年を迎えていたお祝いに、なつさんが又治絵を描いてくれまして!表にはおけない、アダルティックな匂いが濃厚に漂う一品なので拝領品!として飾れないのが悔しいのですけども……とにかく、エロい!そして萌える!まさかうちの治長からあんな色気が漂うとは思わなかった。有難うなつさん!

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2009/04/13 (Mon) 女の人のこととか



 久々に「花鳥の乱」を読み返して、古田織部のお父さんが秀吉に殉死していることに戦慄した(…) 確かに、織部の系図をちょろっと見かけた時、お父さんの死没年と月日が慶長三年八月十九日だったあたりで妙だなとは思ったんですけども!いや、でも小説とネットの情報だけなんで、決めつけるのはアレですけど、それでもなぁ…。「花鳥の乱」は、秀吉と信忠の間に衆道の噂が流れていたとか、色々凄いことが書いてあって、大好きです(お前) この小説で興秋にきゅんとした記憶が。
 そんでもって、話は飛ぶんですが、千の乳母の刑部卿さんは一体、どこの出身なんでしょうか。督の縁で乳母になったのなら、何となく近江とか、そこら辺出身なのかなぁやら考えてしまいますし、秀忠の縁なら徳川家臣の嫁さんとかなのかなぁ、やら。大蔵さんと刑部卿さんが似たもの同士だったらどうしよう、な妄想をしてしまったら、刑部卿さんのことをちょろっと知ってみたくなったと言いますか!大蔵さんも刑部さんも、それぞれ茶々と千が自分の血肉よりも大切みたいな。ある意味最大の理解者だけど、絶対に相容れることは無い関係、とか。個人の好き嫌いの問題というよりも、在り方の問題、やら悶々と妄想が、止まらない← そんな二人をちょっと離れて見守っているのが饗庭さんで、茶々は薄ら感づきつつ、千は気づかず無邪気に茶々に甘えてるような図が頭に広がっております。女の人たちのことも、ちゃんと書きたいです。女の人たちの方から探るからこそ見えてくる関係、みたいなのもありますし。
 右京大夫さん、宮内卿さん、正栄尼の秀頼の乳母三人組も、色々と妄想してるんですけどね!何故か、無条件で右京大夫さんのイメージがぼんきゅっぼんの、口もとにほくろ!になっていた不思議。多分、右京大夫さんが三人の纏め役。重成と糺は、一生奥の女の人たちに頭が上がらなそうな感じがする← 

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2009/04/12 (Sun) テレビ番組



 BSのチャンネルで、ちょっと前に放送した番組の再放送なんでしょうか、もう一つの京都(うろ覚え)という番組がやっていまして。録画したまま見れていなかったんですけど、今日やっと見ることが出来ました。丁度良く秀吉メインの回だったんで、によによしまくりながら見るつもりが何だろう、この切なさは…!(お前) 三十三間堂には秀吉の作った太閤塀なるものがあり、今は少ししか残っていないけれど、昔は2kmもあって、ぐるっと寺を囲んでいた、というのが特に。映された、三十三間堂にある千体の観音像の神々しさのせいもあったのでしょうが、塀でぐるりと囲んで何を守りたかったんだろうとか、千体の観音像を当然秀吉も見たわけで、何を思ったりしたんだろう、とか考えてしまったらもう駄目です← 個人的に、信仰心?何それ美味しいの?を地で行ってそうなイメージを持ってしまう秀吉ですが、やっぱり何か救われたいと思っていた面も、多少あったのかもしれないなと。晩年、信様出てきて地獄に連れて行かれそうになる夢を見てる時点で、後ろめたさがあったことは事実だろうし。ただ、その後ろめたくを感じてる所を殆ど表に出してないところが、秀吉の萌ポイントだと思います←
 家康も、豊臣を攻める前にめっちゃ写経しまくってたらしいし、二人とも勝者として正当性を喧伝する裏で、罪悪感との葛藤があったのかもしれません。まぁ結局は、そんな天下人二人は萌える!という結論に達するだけなのですけども!(最悪だ)
 そういえば、最近、観音像を見る度に茶々を思い出すようになってしまってます(…) ちゃ、茶々のイメージがどんどん観音様に……や、やばい!

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2009/04/11 (Sat) 拍手お返事



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2009/04/11 (Sat) 重成関係



 昨日の長秋繋がりで、重成についてちょいちょい読んだこととか妄想(…)したのをメモしときます。
重成は木村重玆の息子ですが、養子という話もあったりして、実父とされている佐々木三郎左衛門って誰なんだろう?と思いまして。「明良洪範続編」という、江戸時代に書かれた明良洪範のしかも続編かよ!なタイトルなんで、鵜呑みにするのもあれなんですが…「佐々木」な名字が引っかかったりました。佐々木=佐々木源氏な連想がなされるぐらい六角脳なので、気になってしまったというかなんというか!← 
 木村重玆さんは、言わずもがな秀次の家臣です。そんでもって、氏綱から繋がる六角の嫡流が存在したという論を述べる人や支持する人の書いた本やらを読むに、六角家嫡流の六角義康が秀次に仕えていたという感じになってます。ついでに、大坂城から落ち延びた青柳が親戚を頼りに向かった馬淵というのは、秀次の領地だった近江八幡の近く。更に言うなら、ちょっと昔は六角領。別の史料では、重玆が切腹した後、重成とその母親が逃れ住んだのが近江の馬淵ということになっています。ただ、この史料だと、冬の陣の後、誓紙を家康から貰ったのが重成ということになっているんでちょっと信じられるかというと、あれなんですが。
 ということで、重成の実父である佐々木三郎左衛門さんは、六角家に関係してる人なんじゃなかろうかと!← すごく欲望に走った妄想ですけど!佐々木源氏の人たちが、それぞれ名乗ってる名字じゃなくて、「佐々木」と書状に名前を書くのはよくあることだし、義弼も義賢も定頼様も、佐々木で通してたような(…) 勿論、六角家以外の佐々木源氏の家の人かもしれませんけども。でも、関白である人の重臣に養子入りするわけだから、どこぞの馬の骨とかじゃいけないわけで…そこそこ家格のあるところ出身じゃないとなわけで。もしかしたらのもしかしたらを妄想しては、薄気味悪くによついております(…)

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2009/04/10 (Fri) 長秋についての変更予定


 長秋、ほんとお前は何者なんだ…っ!
 長秋の年齢を21歳としてるのは、重成の年齢を36歳ってしてる、思わず、ええええて言いたくなる史料だけだと思ってたんです。でも他にもちらほらと21歳と書いてあるものを読んでしまいまして…。つまり、21歳という年齢以外、長秋の年齢で挙がってる候補が無いわけでして。思わず、うーんと。治房、長秋、糺の三人を幼なじみにしたいがために、長秋の21歳説から目を逸らしていたところがあるので、こうもたくさん21歳としているのを見てしまうと、目を逸らし続けるのは、もう限界かなと思ってしまいました。21歳で考えると、饗庭さんの子供とするのはちょっと無理がある。とすると、以前みかけた、刑部卿さんの息子とするのが自然なのかなと。刑部卿さんは千の乳母ですから、自然、長秋は千の乳兄弟になるわけで、これまた複雑なことに…。個人的に、豊臣家で重きをなしている饗庭さんの子とした方が、長秋にとって都合が良いとか、そんな理由で千が輿入れしてきた辺りで饗庭さんの養子に入れられたのかなぁ、と妄想してしまいます。
 長秋はもう本編に登場させてしまったので、出来るだけ違和感の無いように、今までアップした長秋に関するところとかを変更してしまう予定です。糺、治房の二人と同年代ではなくなりますが、小さな頃から身近にいた人たちという点は変わらないので、そんなに大きな変化は無いと思います。重成が長秋へ、さん付けを使わなくなるとは思いますけども。それから、千との絡みも考えて行きたいなぁと。なんてったって、乳兄弟!
 そんなこんなで、ころころと設定を変えてしまってすみません…。これからもこんなことがあるかもしれませんが(出来るだけ無い方が良いのですけど!)お付き合い頂けたら嬉しいです…っ!

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2009/04/10 (Fri) 妄想ぼやき



 治房隊でどろどろさせたい…(お前)
治房、治胤、団右衛門、景憲の四角関係で、犬塚ちゃんこと岡部さんはやっかいごとに巻き込まれたくないんで遠くから傍観。何だかすごく、治房を泣かせたいんです← 治長がどうあがいても泣きそうにないんで、多分又兵衛の討ち死にを知った時も「そうか」で済ませそうな感じなんで、弟に頑張って貰おうかなぁと!←← でも、今考えてる妄想を形にするとなると、裏的なお部屋を作らないとまずい感じになるというかごにょごにょ。
 物凄く気まぐれな可愛がり方をする団右衛門に振り回される治房とか、間者という素性を隠してやたらと治房に接近する景憲とか、団右衛門も景憲も二人とも死んだら良いのにって毎日念じてる治胤とか。治房がすごく乙女化する気がするんですけど、良いんです。「油魚の交わり」を書いた時点で、何か私の中の治房が崩壊しました(…) うん、乙女乙女。

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2009/04/08 (Wed) まとまりの無い話



 蜜木なつさんと、ちょっと一緒にお昼を食べに行きました。ですが!長々と(三時間位?)(…)語った話などは、なつさんがなつさんのサイトの方に書いてくれると思うので!← 昨日からちょっと書きたくてうずうずしてたことを書いてしまいます!←←

 昨日、図書館で大日本史料を漁ってみまして!糺が…糺が…せ、成長したね!って頭を撫でたくなった(…) 北川宣勝さんの書いた「北川遺書」に、道明寺というよりも誉田の時のことが書いてあったんです。もう又兵衛と薄田さんの二人は討ち死にした後で、遅れてやってきた人たちの隊と、水野の勝成さんの隊+伊達隊が衝突した時、水野さんの隊に追い詰められて、死を覚悟した北川さんの隊の様子に気づいた糺が「次郎兵衛(北川さんの通称)を殺すな!」って叫びながら兵を率いて突っ込んできたって……っ!しかも、互角の戦いに持っていくとか!「北川遺書」によると、糺が深手を負ったのはこの時だとか。鉄砲が胸に当たったとのことですから、流れ弾にあたったか、向こうのスナイパー(…)にやられでもしたのかな。ただ、別のだと伊達隊と交戦中に深手を負ったともされていて、どっちが正しいかは分かりませんが、個人的には、水野隊と戦ってる時かなぁと。何となく← あ!それから、ちょっと前の日記で、糺が幸村に対して「見捨ててくれ」発言したと書きましたが、例の如く記憶にフィルターがかかっていたようで(お前) 改めて読み返してみたら、深手を負った糺は、後ろからやってくる幸村の隊の邪魔になりたくなくて、横に退くっていうのを幸村に伝えただけだったみたいです。ほんと、どうフィルターをかけたら「見捨ててくれ!」になるのか自分でも分からないのですが…でも、殆どが牢人で構成されている隊を、スムーズに横へ移動させた糺の手腕はやっぱり凄いよなぁと。幸村も感謝の言葉を返してたし。
 鴫野の時の糺と、誉田の時の糺を比べると、本当に成長したなぁな感慨に耽ってしまいます。鴫野の時は初陣だったから、それから誉田までの間に、物凄いスピードで色々飲みこんでいったんだろうけど。やっぱり私、糺が好きみたいです。北川さんを助けに行った時のことを書いた所読んだら、危うく泣きそうになったとか(…) あと、こういう糺の行動を見るに、牢人と譜代の対立がますます疑わしくなるというか。北川さんは牢人衆の人だし、糺は言わずもがなバリバリ譜代も譜代だし、そんな糺が「次郎兵衛を殺すな!」って叫びながら突っ込んでくるのは、やっぱり対立とかしてなかったからじゃないかなぁと。勿論、個人的に反目しあってる人たちもいたでしょうが、牢人譜代関係無かったんじゃないのかな。反目し合ってる人は牢人同士でも反目してただろうし、譜代でも譜代どうしで反目しあってる人もいただろうし。ぶっちゃけ、1:9(譜代1:牢人9)の割合だったであろう城中だと、人数の多い牢人同士の方が自然対立し合ってそうな感じがしますけどね。
 そんでもって!又兵衛の子供ですが「細川家記」だと、一意が長男で良い…のか?後藤佐太郎一意とありましたが、どうなんだろ。ちょっとメモしてくるのを忘れたんで、細かくは覚えてないんですが!又兵衛の子供は細川家に仕えてたり毛利家にいたり寺に入っていたり、バリエーション豊かでした。又兵衛繋がりで、明石さん嫁のお父さん(もしくはお兄さんor弟?)で、又兵衛の下で戦い戦死した古澤四郎兵衛さんは、又兵衛の死を知って敵に突っ込んでいくという行動から、大分又兵衛大好き!な感じがするんで、昔からの又兵衛の知り合いだったりするのかな。明石さんが黒田家に一時期身を寄せていたのは、嫁さんの血縁を頼ってという話を聞いたことがあるようなーないようなー…なあやふやな記憶で申し訳ないのですけども、古澤家が黒田家と親戚で、四郎兵衛さんは又兵衛と仲が良くて、又兵衛の出奔に一緒に付いてきたりとかなのかなぁとか妄想が止まりません←
 あと又兵衛繋がりでもう一つ、「安積文書」という史料に収載されている5月7日付けの書状に、生き残った又兵衛隊の人たちの処遇に対するものがありまして。又兵衛の生き残った組中の人たちが、治長の隊に属するよう命じられていることに、暫く動けなくなるほど滾りました。……そうか、又兵衛の組だった人は、最終決戦では治長の所で戦ったんだ、と。この手紙の宛名になっている安積さんという人のことがちょっと分からないか、ごちゃごちゃ漁ってみようかと。



 最後になってしまってちょっとあれなんですが!なつさんが小西を描いてくれたんで!追記にのっけさせてもらいます。ちなみに、です。裸でも構わない!なつさんの素敵な絵が見たいんだ!という方、追記へどぞ!

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2009/04/07 (Tue) 子供ら



 二代目大坂面子妄想を、一昨日盛親の系図を見た辺りからずーっと考えてたんですが(…) 糺の息子の守くんを、重成青柳夫婦があやしてたりすると可愛いなぁと← 糺の屋敷に夫婦揃って遊びに行って、その流れで!みたいな!あと、青柳と治徳が幼馴染み的な感じだったら良いなぁと。(多分)歳も近いし、親戚同士だし、小さい頃仲良かったよ!とかだと萌え禿げる(お前) でもやっぱり、一番子供達で妄想して滾るのは、治徳大助勝家の三十二義士三人組なんですが。大助は、秀頼の小姓と一緒に念仏唱えて自害したとか死に様が残ってますけど、勝家と治徳はどんなだったんだろうかと。やっぱり、それぞれの父親が介錯したのかなぁって思ったら、うぉああああ…ってなる← 妹の葛葉が千と一緒に城を出るまで、治徳はずっと毅然としたお兄ちゃんとして振舞おうとふんばってたらどうしよう妄想とか、頭が、色々、やばげです(だろうな)
 あと、又兵衛の息子として「長沢聞書」に登場する一意は何番目の子なんだろ。道明寺の戦いに参戦して生き残って城を退いたらしいのですけども…。そ、捜査続行ということで!←

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2009/04/05 (Sun) 明石さんと盛親のご家庭



 大日本史料で、明石さんの嫁さん(モニカさん?)が「古澤四郎兵衛満興」という人の娘であるという記述を見かけました。そして何やら、この古澤さんをネットでちょちょっと検索にかけましたところ「大坂市史 1」にて、この人が又兵衛の指揮下で道明寺の戦いに参戦し、戦死したという記述があるそうで。しかも、又兵衛隊の先頭に配されていたようです。この古澤四郎兵衛さんが、モニカさんのお父さんである古澤四郎兵衛さんと同一人物かは断定しかねるのですが、もしかしたらもしかしたらかもなと。疑問なのは、どうして明石さんの隊じゃなくて又兵衛の隊にいたのかってことですが…。な、謎です← モニカさんの実家について、明石さんの娘を娶った(浅井)直政が、後に名字を三好に改めていることから三好さん家の娘さんなのかなぁとぼんやりと思っていたのですけど、ものの見事に外れました(…) いや、本当、直政の三好は一体どっから来たんだ…。督に憚って浅井から改姓して、外戚のものにしたって書いてあっても、外戚である母方の方の名字がそもそも浅井なのだしなぁ。嫁(明石さんの娘)の方の名字にするとしても、明石さんは幕府にとっては犯罪者なわけで、その名字を名乗るのもあれだし。いっそ、田屋にするとかじゃダメだったのかな。三好の出所が、謎です。
 あと、大坂面子の子供らをちょっと妄想したいなぁなんて、煩悩に塗れた(…)理由で、「系図纂要」の長曽我部家の所を読んでみたら、盛親、子供が六人いたってまじか。 系図に名前があったというだけで、その人が実在していたと判断するのは早計だとは分かっているのですけども、やっぱり気になってしまうというか!以下、軽く抜粋。

 長男・盛恒(右衛門太郎。元和元年五月七日討ち死に)
 次男・盛高(右衛門次郎。父や兄と同じく死亡)
 三男・盛信(右衛門三郎。元和元年五月五日、大坂から土佐に帰る。兵を挙げた為、山内一豊に殺される)
 四男・盛定(右衛門四郎)
 五男・童(右衛門五郎。元和元年、国松丸に代わり討ち死に)
 六男・盛澄

 こんな具合で。この頃にはもう、一豊死んでるだろとか、通称が安直過ぎやしねぇかとか、突っ込み所はちょいちょいあるんですけれども!五男の右衛門五郎の、国松丸に代わり討ち死にが一番解せません。一豊の所は忠義の間違いだとすれば良いとして、ど、どこの国松丸さんなんでしょう、か…!まさか秀頼の息子の国松ってことはないだろうし…いや、もしそうだったら滾るどころの話じゃないのですが。先走った妄想が酷くなり過ぎる恐れがあるので、ここらへんで!

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2009/04/04 (Sat) メモ



 最近何だがばたばたして日記を中々書きにこれないので、取り急ぎ書くもの予定メモ(自分用)(…)

 ・行清
 ・浅井で何か
 ・六角(箕浦)で何か
 ・秀秋と小姫
 ・大坂面子で何か

 何かが多すぎる!←

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2009/04/03 (Fri) 拍手お返事



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2009/04/02 (Thu) 冬の陣悲喜こもごも



 物凄い勢いでさぼってたんですが(…) 久々に、図書館で大日本史料の大坂の役に関する所を読んできました。やっと、真田丸でのドンパチが始まった所まで辿りつき…まし、た……遅い、遅すぎる!こんなんでちゃんと終わるのか不安になってきましたけれども、冬の陣が終わるまでは頑張ってみせる。あと出来たら夏の陣まで這いずってみたい←
 真田丸でのドンパチですが、大助と伊木さんが五百の兵を連れて敵に突っ込んでいく所は、何度読んでもテンションが上がります。格好良いな畜生。伊木さんが大助に手本見せてたりしたのかなぁと思ったら滾って仕方ない← 16歳の時に賤ヶ岳で手柄を挙げた男は違いますよやっぱり!
 あと、それからちょっと思ったんですが、家康さん、あなたちょっと直孝に甘すぎじゃないですか!?城に近づくってんで、全軍に物音をたてないように!ていう下知をしたのに、物凄く威勢良く元気良く鉄砲をかました直孝に対して、怒るどころか「皆の士気を上げようとしたんだね!さすが直政の子だ!」だし……、真田丸に攻め懸かるよう命令してないのに、突っ込んでってこっぴどい目にあった直孝に対して、またもや叱るどころか「直政の子な上に若いのだから、少しくらい粗忽な方が丁度良い!」って、ちょ、おま。
 その優しさをちょっとだけで良いから孫(忠直)に向けてあげて!
 直孝と同じく、勝手に真田丸に突っ込んでって悲惨な目にあった忠直のことは滅茶苦茶叱りつけてる上に、本田の富正さんが「私が悪いんです、すんまっせん!」て必死に謝って、どうにか事なきを得たような感じなのを思うと、こう、目尻から生温いものが(…) 冬の陣でのことをバネにして、夏の陣ではまたもや幸村相手に奮戦したのに、貰ったのが茶器一つって……。何か、もう、ああああああ、しか言えない← 

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2009/04/01 (Wed) 拍手お返事



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2009/04/01 (Wed) エイプリルフール


 四月一日ですね!素敵サイト様の、凝りに凝ったエイプリルフール仕様を見て、目が点になってから今日がエイプリルフールだと気づいた駄目っぷりです(…) クイさんのサイトが何だか素敵にエイプリフフールな具合になっています。頑張ったなぁクイさん。今日一日は、色んなサイトさんを回ってによによしてきたいと思います。
 そんでもって!昨日は「ライチ☆光クラブ」の動画やらサイトさんやらを漁っていたら、うっかり日記を書き忘れました← なんとなーく、どっかで聞いた名前の漫画だなぁと思ってなんとなーく買ってみて、なんとなーく読んでみたら、す、すげぇ面白かった…っ!
 内臓系のグロが平気な人には、本当お勧めです。タミヤカコイイよタミヤ。久々に、男キャラに対して可愛いじゃなくて、格好良いっていう形容詞使った気がする(…)

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