何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/06/30 (Tue) 六角とか



 「戦国三好一族」という本を今読んでるんですが、六角が浅井だけではなく、三好ともやり合ってたとんだなぁと。長慶と対立したことで近江へ逃げていた義輝が京へ帰るとかで、ごちゃごちゃしてる前後に、長政の六角離反があったようです。さぞかし、義賢、あああああああ!状態になったろうな(…) ただ、野良田の戦いで長政に敗れた後も、六角は三好包囲網を作る程度の力は有していたので、弱体化の坂道を転がり落ちるのはやっぱり、観音寺騒動の後なわけで、ぶっちゃけ義弼のせiげふんごふん。そんな義弼が大好きです。体が病弱な兄分の義秀を思ってやったことが、裏目に出ちゃったのが観音寺騒動、な妄想を膨らませています← でも本当に、長政と義弼の関係を妄想するだけでご飯五杯は軽くいける気がします。長政も義弼も、互いを心の底から憎んでいたわけではないのではなかろうかと。いえ、何となく← 一緒に信様包囲網を作っていた頃の長政と義弼を想像すると、無駄にテンションが上がると言いますか。江北江南コンビに最近ときめきを隠せなくなってきました(…)
 あと、文亀~天文年間までの戦いやらを読んでから、慶長のことを書いたのを読むと、大名達のあまりの行儀の良さにちょっとびびります。文亀~天文、どんだけテンション高かったんだよ……。本当に、大坂の役面子は、戦国の終わりの終わりの終わりの切れっ端に生まれたんだなぁと、しみじみ思ってしまいました。






 アンケートに投票して下さり、有難うございます。
 票の入っておりました、
・行清
・小六×秀吉
・又兵衛×治長
・為広×吉継
・大坂面子
・浅井、六角
 の話を、ひとまず一通り書かせて頂きます!有難う御座います!まだまだ設置しておりますので、よろしかったらご投票下さい。

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2009/06/28 (Sun) 清海の爺ちゃん



 今ちょっと、三好氏関係の本を読んでるんですけども、三好三人衆時代の清海の爺ちゃんのことを考えると、胸がぎゅーってなる← 切ねぇ、切ねぇよ爺ちゃん!三好清海入道と名乗る前の爺ちゃんの波乱万丈ぶりも書きたくなってきました。親の仇である長慶に仕えて、三好三人衆と呼ばれて久秀と対立して没落して最後は九十歳で前線に出て討ち死にってそんな。そ、壮絶過ぎる。最期の時に想っていたのが長慶のことだったとしたら、おいちゃんはもう、ああああああとしか言えなくなるんですけどね(…) 顔はもう思い出せないけれど、どうしようもなく焦がれた人、みたいな。あれ、長慶←爺ちゃん?(お前) あと、爺ちゃんと義弼でも何か書いてみたい。三好と六角も犬猿の仲だったようなので。というか、近畿がごちゃごちゃなってた頃の最初の方、定頼様が我関せずの姿勢過ぎて噴いた。も、もっと動こうぜ定頼様!将軍が逃げてきたら匿っても良いけど、基本見てるだけなんでwwwな定頼様が大好きです← 

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2009/06/27 (Sat) 拍手お返事



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2009/06/27 (Sat) 孝蔵主について



 孝蔵主の記事目当てで「江戸期おんな考」を買ってみました。
取り敢えず、孝蔵主がどんだけ恐ろしい女かってことは良くわかりました!← 1590年に、政宗へ孝蔵主が送った書状が載せられていまして、
 (以下超意訳)「上様、北政所様は貴方のことを親身に思っておられるので、御安心下さい。貴方が心変わりを起こすのではないかと進言するものがいますが、上様は、いかなることがあろうと政宗が別心を起こす心配は無い、と固く仰せられました。さて、かたじけないことと思いますでしょう。このような御恩をもしもお忘れになった暁には、罰をお与えしたい所存で御座います
 こえええよ孝蔵主!政宗にこんな手紙送りつける女、孝蔵主しかいねぇよ。
秀次の弟の秀保が死没した時、その死を秀吉にどう伝えるかの相談として孝蔵主が呼ばれたりもしていたので、どんだけ権勢があったのかと。ねねの侍女頭であると同時に、秀吉の奏者でもあったようです。名護屋城の在陣にも、鷹狩にも連れまわされてる孝蔵主に萌えた← 無位無官の癖して、朝廷の内侍所に入り込む孝蔵主にときめいた←← 秀次が、孝蔵主宛てに朱印状を書いているのも注目ポイントかなぁと。
 時慶さんの奥さんが孝蔵主の妹だ、という話は今までずっと疑問だったんですけども、親戚ではありそうでした。時慶卿記を真面目に読んだことが無いので(…) 知らなかったんでけども、時慶さんの女房衆(奥さん?)が、病気の見舞いの為に孝蔵主の里へ行ったのだとか。それから、時慶さんの娘の綾さんが孝蔵主の元を訪れて、ついでに聚楽第に泊ったりしたらしいので、親戚関係ではあるんじゃなかろうか、という記事に納得。時慶さんの女房衆の人が、川副彦右衛門さんという人に養育されていたそうです。孝蔵主は川副氏出身なので、きっとこの彦右衛門さんと同じ川副氏ではなかろうかと。ただ、やっぱり妹ではなくてあくまで親戚じゃないかなぁ。可能性があるとしたら、秀吉の別妻になった川副徳さん関係の家系から出た人とか……。
 ただ、三成との関係や、松平忠輝ママの茶阿局との関係について触れられてなかったのが、ちょっと残念。



追記→三好氏の勉強をしようと思って、それ関係の本を読んでたら、予想外の所で定頼様の名前が出てきた!伊庭さんと九里さんを討つために、細川高国に頼んで兵庫の港に陸揚げした大きな船を、牛車に乗せて、陸路で、琵琶湖まで運んだ定頼様えええええええ!?九里さんの居城は岡山城という城で、琵琶湖の近くにある水城でした。きっと陸で運んだ船を琵琶湖に下ろして、九里さんの予想もしない方向から奇襲をかけたんでしょうが……鷲尾隆康さんという公家の日記に、運んだことが書かれていたらしいです。「二水記」かな。そら、隆康さんも「計略奇特なり」って書くわ。もう、惚れるしかねぇよ定頼様。


 

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2009/06/25 (Thu) 本と誕生日



 めちゃくちゃ欲しいですこれ!!

 

戦國遺文―佐々木六角氏編戦國遺文―佐々木六角氏編
(2009/05)
村井 祐樹

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 応仁~天正までの六角家の文書をカバーしてるなんてそんなの、ストライクゾーン過ぎる…!
 応仁の乱を戦う少年・亀寿時代の高頼ダディや、将軍に喧嘩売ったり売ったり売ったりしてたらうっかり征伐されかかる高頼ダディ、徒手空拳で守護職をもぎとる高頼ダディ、江南の貴公子氏綱お兄様、めっちゃぶいぶい言わせてる定頼様やら義賢やら長政とイ"ーっ!てしてるに違いない義弼の書状が読めるとか!
 ですがいかんせん値段が……18900円とか……ら、来月、来月頑張ってみます! 太閤史料集も欲しいんが、こっちは古本で4000円ちょいで買えるっぽいのでまだ現実味がありますね← 18900円って……畜生、さすが六角、プライド高いな!(違)


追記→き、きよま、きよまままま、誕生日すっかり忘れてました清正の!急ぎ、追記に行清(ぽい)SSS崩れを置いていきます。清正も小西も可哀そうなことになってますので注意!時系列とかまったく考えていません。

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2009/06/24 (Wed) 5000ht記念アンケートを設置致しました



 大坂夏の陣企画、全ての話を開通させました!こっそり後期豊臣家のカテゴリの隅っこで膝を抱えているので、よろしければ見てやって下さい……。それから、少し遅くなってしまいましたが、5000ht記念!ということで、PC版のトップにアンケートを置かせて頂きました。こちらも、お暇がありましたら入れて下さると嬉しいです。普段書かないカップリングもどんとこい!ですので、よろしくお願いします。恐らく二カ月ほど、トップに鎮座しているかと思います。
 「七手組の影薄三人組に愛の手を!!」のコーナーは、最後の一人中島さんの情報があんまりにも少なすぎるので(…) ちょっと先延ばしで!謎過ぎるよ中島さん…っ。



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2009/06/22 (Mon) 拍手お返事




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2009/06/22 (Mon) ごちゃっと色々


 次の次の大河って、江が主人公らしいですね。原作は特になく、書き下ろしの脚本なんだとか。楽しみ半分、不安半分です。果たして茶々がどんな風に描かれるのか……。秀吉が極悪非道の極みに描かれるのは確かとして、おおお、ふ、不安ですやっぱり。永井路子さんの書かれた「乱紋」という江主人公の小説では、もう居た堪れないくらい、茶々は悪人として描かれていたらしく……。仲良し浅井三姉妹が好きな身としては、憎み合い敵対する姉妹という姿として描いて欲しくはないです。茶々が江の子である完子を育てたエピソードを、姉妹の絆をあらわすものとして使ってくれたら嬉しいのですけれども。
 でもって、定頼様が大河の主人公になるのはいつですか?← 定頼様絶対に大河の主人公向きだって!亮政とは好敵手な感じで描いて欲しい。亮政が病没したのを知った定頼様が、お悔やみの使者を浅井家へ送った話が好きです。定頼様にとって亮政が何であったのかを妄想すると、こう、うぉおおおお!てなる(…) 大内さんが義尹を将軍職につけて、在京してた頃の話を読んでいたんですが、毛利元就のお兄ちゃんがストレスで酒がっぽがっぽ飲んで死んでしまったのは、この辺りなんですよね。それだけ混迷した状況だったのかしら。取り敢えず、手近な所で、第二次伊庭の乱の詳細が知りたい。九里さんに膝枕をして貰った隙に切り殺したのは、高頼ダディなのかな。定頼様だと書いてあるのがあるんですが、その頃まだ、どうやら定頼様は相国寺にいたようなので。だとしたら、本気で高頼ダディに痺れざるを得ない。あと、九里さんと足利義澄義晴父子の関係が切な過ぎた。義晴、九里さんの城で生まれたってそんな……せ、切ねぇ。九里さんが六角にやられたから、赤松さん家に逃れたってことで良いのかな。
 そういえば、定頼様は幼少時を相国寺で過ごしたわけだから、ぼろぼろの京都を見て育ったんだなぁ。色々と、その辺りで妄想のしがいがありそうです。

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2009/06/20 (Sat) 坊さん


 伊東さんの字が忠右衛門ではなく、勘太郎だった罠←
ま、また何か読み間違えたようです…!そうか、忠ちゃんではなく勘ちゃんだったか…。
 七手組の史料を漁るついでに、寺の宗派ごとの役職について書いてあるのを読んでみたんですが、小さい頃の、定頼様の喝食をやっていた頃を想像するだけでお茶碗三杯いける気がする。下げ髪に飾りをつけて、黒衣で、飾り紐をつけた金襴の裳(紅い覆輪)の格好した定頼様なんて……萌えるっ!← さぞや、賢そうな子だったんだろうなぁと考えると、とてもによによします。寺から呼び戻された時は、侍者という階級にあったようで、この階級の僧は、住持の傍に控えて住持の補佐をしつつ、道徳を学ぶ、というものだったようです。定頼様が侍者をやっていた時の相国寺の住持っていったい誰だ。定頼様が冥王もかくやな人格になったのは、絶対にその人が影響してる気がする← 当時の坊さんは性格がのりのり過ぎる人が多いから、坊さんだからって甘く見たらいけない気がするそしてそんな所が大好きだ!
 ベストオブ坊主は、個人的に恵瓊さんなんですけども← 辞世の句に全て持っていかれた。

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2009/06/20 (Sat) 七手組頭



 ちょっと前に、治長の名前の後に「弥八郎」と書かれていた人って、治房なのかなぁという完全な憶測を晒していましたが、本当に憶測過ぎたんだぜ!「大弥八郎」と書かれていたんですけれども、「大野弥八郎」という意味ではなくて、「大弥八郎」さんのことでした。
 あと、慶長三年の時の大名たちの石高一覧表と、慶長十六年の時のを見比べてみたら、治長の石高が一万一千石から、一万石になってて噴きました。一千石どこに落としてきちゃったの…っ! 治房は慶長十六年の段階で千三百石、薄田さんは三千石、二人とも冬の陣が始まる頃には二千石以上増えてるようです。重成は九百石。気になったのは、糺の名前が無いことだ!← 渡辺さんは渡辺さんでも、渡辺勝さんだと思われる筑後守の名前はあったんだけどなぁ。
 同じ叢書の中に「浮田家分限帳」というのもあったので読んでみました。そうしましたら、明石さんに治長石高で負けておる!← 明石さん三万石って何事!?陪臣なのに大名級の石高って、さすが明石さんです。
 七手組達の石高もチェックしてみまして、

 速水さん(一万五百石)>伊東さん(一万三百石)>青木さん(一万石)=堀田さん(一万石)>>>>>||||||(越えられない壁)|||||||||||>>>>>野々村さん(三千石)>真野さん(二千石)=中島さん(二千石)

 何この格差社会。






 それでは!唐突に始まります、
「七手組の影薄三人組に愛の手を!!」
 のコーナーです。


 前回の予告通り、二回目は堀田図書さんです。
格差社会七手組では、一万石以上(=大名)の上位四名に食い込んでいる堀田さんですが、ざっと「寛政修重諸家譜」を見てみました。堀田家の所に、「堀田長正」という図書頭の役職名を持っていた人を発見しました。しかし堀田さんは図書介。おまけに、諱が「盛高」だったはず。ということで、堀田さん本人のことではないのかなぁと思った所で、何やら、堀田長正さんの息子の嫁が七手組頭・伊東長実さんの娘という記述を発見!没年も某年に死没と妙にぼやかされておりまして、どうにも怪しい臭いがします。同じく堀田家の家系図に「盛高」さんという人の名前があったようなー…な気がするので、また漁ってみようかと。
 そんでもって、堀田長正さんの遠い親戚の嫁が、薄田さんの妹だなんて唐突唐突過ぎることまで書いてありました。薄田さんの妹を娶った人も、二人の間に生まれた子も、秀忠の家臣として大坂の役に参陣しているので、親戚同士で敵対したわけですね。むしろ、豊臣方で、親類が徳川方にいない人を探す方が難しいんだろうなぁ…。折角なので、簡単に家系図に纏めてみました↓

家系図

 話を堀田さんに戻しまして「永日記」という史料には「大坂七組の中で、堀田図書は特に良い。甥の平右衛門が、見事な槍捌きを見せる」とあるそうです。
 ………最後甥の話になってるぞ。


 折角なので、追記に、七手組頭達に会話をさせてみました。本当に会話オンリーです!

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2009/06/17 (Wed) 糺と七手な人達



 糺の字は、権之助→権兵衛→(役職名)内蔵助のルートを辿ったってことで良いのかな。権兵衛の名前は駿府記に糺の名前で登場済みなんですが、権之助という名前は、糺の息子である守の幼名だそうで。守は大きくなってから、糺と同じ権兵衛を名乗っているので、糺の幼名も権之助だったのかなぁと。このことが載っているのが「青大録」という史料にあった、青木なんちゃらさんに仕えたい山本鉄斎さんという人の書いた自己アピール!というか、エントリーシート的な(…)ものだったので、全部鵜呑みには出来ませんけども、さすがに名前で嘘はつかないだろうしなぁ。
 取り敢えず鉄斎さんのエントリーシートによると、鉄斎さんは大坂の役では糺の下に付けられていた人だそうです。鴫野で散々な目にあった糺は、道明寺の時、滅茶苦茶気合いが入っていて、大差し物をがっつり差して、一歩も退かない心構えだったとか。それから、糺に当たった鉄砲の位置が、胸ではなく脛になっていました。でも、どっちにしろ痛いよな……脛に銃弾が当たるって。銃弾の当たった足で、翌日長時間戦場を駆け回ってたのかと思うと、糺が城内で鬼神と呼ばれていた理由が分かる気がします← というか、弾の当たる位置にまで出てきちゃってたのかしら糺。
 



 それでは!唐突に始まりました、
 「七手組の影薄三人組に愛の手を!!」
 のコーナーです(…) 七将星や治長、団右衛門のインパクトに押され、いまいち地味な感じの否めない七手組(親衛隊なのに!)の中でも更に影の薄い、野々村さん、中島さん、堀田さんの三人について近辺調査をしてみよう!という趣旨のコーナーです。打ち切りの危険性を多分に孕んでいます(…)

 記念すべき第一回目は、野々村さんについて。
お兄さんに、信様に仕えていた野々村三十郎さんという人がいますが、どうやら織田家中には同時代野々村三十郎さんが二人いたようで。このことが、wiki先生他多くのサイト様で混乱をきたしているようです。ぶっちゃけ、私も良く分からないです← 「センゴク」にも登場している野々村三十郎正成さんとするか、信様死後は佐々成政に仕えて1584年に討ち死にした野々村三十郎正利さんとするのかで、野々村吉安さんの生涯も変わってきてしまいます。おまけに、wiki先生だと、正利さんと正成さんは同一人物のような説明になっていて、もう、うきゃぁあああ!ものです。
 正成さんの弟だとすると、諱は吉安の他に幸成。仙石秀久の舅に当たります。つまり、大坂城に入城していた仙石宗也斎のお祖父ちゃんということに…っ!兄(正成さん)を本能寺の変で失った、というえらく物語にし易い過去もおまけでついてきます←
 正利さんの弟だとすると、仙石家とは何の親戚関係も無いということになります。そんでもって、兄を秀吉によって奪われたということに。
 そしてこの野々村さん、亡くなった状況にもまた諸説ありまして……二の丸で自害したという説と、討ち死にしたという説とがあります。討ち死にした説の方ですと、ひたすらに戦い続け、最終的に鳥居土佐守さんの隊、酒井忠世さんの隊、井上主計さんの隊、安藤次右衛門さんという人の隊、前田利常さんの隊に囲まれてしまい討ち死にしたようです。戦った面子を見るに、岡山口にいたのかな。
 兄弟にせよ亡くなる状況にせよ、何やら情報が錯綜しているようなので、野々村さんに関しては調査続行ということで!次回は、堀田さんで出来たら……良いなぁと。

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2009/06/16 (Tue) 名前



 「太閤さま軍記のうち」の中にあった、秀吉が名護屋城へ向かう行軍行列の中にいた人達の中で、気になった名前をピックアップ。

 母衣衆の中:速水甲斐、伊木半七、青木所右衛門、伊藤(東?)丹後、野々村次兵衛
 使い番の中:渡辺与一郎、大谷弥八郎
 行列の十一番目の集団の中:佐々木義治
 御詰め衆の中:薄田千十郎、伊藤弥太郎、大野弥一郎
 御鷹の中:真野新太郎

 取り敢えずこの中で、大坂の陣面子と同一人物だと断言できるのは、速水甲斐=速水守久と、伊木半七=伊木遠雄、伊藤丹後=伊東長実、くらいかなぁ。他は、もしかしたら本人か、それか一族の人間かも?なぐらいしか。大谷弥太郎さんが、吉治だったら面白いのになぁ。あと、大野弥一郎が誰なのか気になる。治長は弥三郎の可能性が濃厚なので、別の誰かかなと思ったんですけれども、治長って、文禄の役の時、名護屋城の近くに陣地を与えられてるので、これは「弥三郎」の書き間違えなのかもしれません。そんでもって、薄田千十郎さんは、薄田さんと同一の気がするようなーしないようなー……もういっそ、同一人物にしちゃおうかなと企み中です←

<私信>中様!どうぞ、ずずいっと参照して下さい!フィーリングでしか理解できてない情報なので、間違っていたら本当に申し訳ないのですけども……大坂好きな方のお役に立てるのは、凄く嬉しいので!七手組の堀田さんと中島さん野々村さんの、地味ーズ三人衆のこと、ちょっと調べてみますね!</私信>

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2009/06/12 (Fri) 諸々



 六月中はなんだかえらくばたばたしているので、ろくな更新が出来なさそうです。すみません!七月になったら休みが出来るんで、何とかなりそうなんですが…。とにかく、はやく夏の陣企画をしっかり終わらせたいです。でないと、他のものに手がつけられないんだぜ…っ。
 今日は何だか、不破万作×秀次で妄想してしまいました← 万作ちゃんが左側だよ!可愛い稚児だと思っていたら、急激に身長を抜かされたとかで良いんじゃないのかな秀次。秀次の寵愛を万作ちゃんは受けていたんで、史実だと明らかに逆ですけど。名古屋三郎に匹敵する美少年なんだぜ万作ちゃん。なつさんのとこの哀れ可愛いな秀次に触発されて、私も秀次をちゃっちゃと登場させたくなったんですが、やっぱり秀吉と絡ませるととんでもなく哀れなことになるよなつさん!あと、孝蔵主とも絡ませたらいけない。やっぱり哀れなことになる(…) 何かもう、前野の将さんの父性で包んでやりたくなる←

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2009/06/10 (Wed) 拍手お返事




 拍手を押して下さり有難う御座います!
 追記に、ブログ拍手お返事をば。


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2009/06/10 (Wed) 本紹介



 父さん、ニュースです!

北政所と淀殿北政所と淀殿
(2009/06/10)
小和田 哲男

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 キータキタキタキタキタキタキタァァアアアッ!!
 紀伊様から情報を頂いて以来、ずっと楽しみにしていた小和田先生の本がついに発売されますよ!小和田先生なら、世間に流布している茶々とねねの関係に関する定説へ一石を投じることを書いて下さると、信じています。そうでなくとも、膠着化してしまっている定説と同じようなことを論じるのなら、わざわざ本を出版なさる必要も無いと思うので。てなことで、今からどきどきが止まりません。福田千鶴先生のお書きになった「淀殿」や、植村淳二先生の「歴史と文芸の間」が届くのを楽しみにしていた時くらい、楽しみです。
 正座しながら待っていようかと思います。



 ついでなので、福田千鶴先生の「淀殿」と、植村淳二先生の「歴史と文芸の間」のリンクもペタっと。

淀殿―われ太閤の妻となりて (ミネルヴァ日本評伝選)淀殿―われ太閤の妻となりて (ミネルヴァ日本評伝選)
(2006/12)
福田 千鶴

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 茶々に興味を持ったのなら、まずこの一冊とお勧めしたい本です。多くの人の口にのぼる、「愛妾」「愛人」としての茶々の姿が180°変わります。



歴史と文芸の間 (中公文庫 M 86-2)歴史と文芸の間 (中公文庫 M 86-2)
(1979/01)
植村 清二

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 大野治長好きにとってのまさにバイブル。講談によって語られてきた大坂の陣から、まずはちょっと離れてみようという感じで。大坂の陣関係の本には取り上げられていない治長に関する史料が、こんなにもあるのかと、ちょっと驚きます。


 てなことで、お勧めの本を紹介してみました。

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2009/06/09 (Tue) 俺、この戦いが終わったら結婚するんだ



 うおう!なつさんの所で地雷踏んじまいました!
 死亡フラグは、一つのポエムだと信じてる。
 

 地雷なんで、追記に収納しておきます。


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2009/06/08 (Mon) 煙に生く



 普段あんまりwikiを使わないせいか、うっかり見落としていました。え、何、伊東さんの嫁さんって、神子田さんの娘だったの!? やっぱりwikiですし、まるっと鵜呑みには出来ないのでちょっと図書館で調べてみようとは思いますが…もし本当だったら、お、重い。重すぎる。そりゃ、純粋な気持ちで豊臣家に仕えるのは難しいよなぁ。それから、1560年生まれっていうのも本当なのかな。何か色々妄想をくすぐられる人です。
 てなことで、追記に伊東長実でSSS崩れをば。
 伊東さんがスパイ行為を働いていたとする「太平雑説」の感じで行くので、ご注意下さい。

 

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2009/06/06 (Sat) 七手組頭



 

 まだちゃんと設定を考えていない七手組頭達のイメージをちょっとメモ。

 速水さん―無口。おかん。味噌汁作るの超うまい。怒る時は怒る。
 伊東さん―忠ちゃん。猫っかぶり。そばかす。片桐さん大好き。大野修理は死ね!牢人衆も治長が招集かけた連中だから嫌い。
 真野さん―意地っ張り。心配性。妹(or姉)の大蔵さんの目を見て話せない。
 青木さん―良い人。とことん良い人。良い人過ぎて逆によくおろおろする。
 野々村さん―未定
 中島さん―未定
 堀田さん―未定

 未定が…三人も…っ。
もっと七手組頭達のことも調べなくちゃなぁ。伊東さんの家のお父さんと確かおじさんが織田家臣で、黒母衣だか赤母衣だったことは調べられたんですけれども。皆、伊東さんみたいに強烈な話があれば良いのに← とりあえず速水さんが無口だったのは、ちょっと信憑性が高いと思うので(浅井一政自記に書いてあった)無口は一貫で。炊事洗濯赤子の世話はどんとこいな男速水守久でここは一つ←

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2009/06/06 (Sat) 赤化粧




 何となく、糺と津田出雲守さんでSSS崩れをば。
津田さんは、冬の陣が始まる三年ほど前に、薩摩から来た牢人らしき人達六人に殺されてしまった人です。津田さんが深手を負った所へ駆けつけたのが糺で、六人中三人を殺害し、残り三人に手傷を負わせ追い払いました。津田さんの手当てを糺は行いましたが、結局津田さんは城へ戻った所で亡くなってしまいます。
 そんなこんなで、その辺りな感じで。





 

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2009/06/03 (Wed) メモ置き




 やらなくちゃならないものメモ

・夏の陣企画、重成の話を書きあげる(超特急)
・サーチ様のカテゴリに小六が追加された漲りを叩きつけた話を書く。
・5000htアンケートを設置
・行清、又治、小六×秀吉のメインカポーの話を書く!

 を目標に、頑張りたいと思います。
前野の将さん、浅野の長政さんの羽柴家な人達とか、細川晴元、木沢長政、三好長慶辺りの、天文年間近畿周辺でぶいぶい言わせてた人達のデザインも…した…いっ!一日よ四十八時間になれ!←



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2009/06/02 (Tue) 大坂あれこれ



 梵瞬さんのか義演さんのだったかちょっとド忘れしてしまったんですけれども(…) 豊臣家の人達へ献上したものリストみたいな感じの奴で、多分治長だろうと思われる「修理」の次に書かれてる「弥八郎」って治房のことだったりするのかな。もしもそうだとしたら、慶長十八年の時点まで治房は主馬を名乗っていなかったことになりますが…。治房ではないとしたら、治房は献上物を貰うほどの地位ではなかったってことになるのかな。「主馬」の名前は見当たらなかったので。いかにも字です!な名前が並んでいるのを見ると、この中に字の分からない譜代ーズの字があったりするのかなぁと、どきどきが止まりませんでした。とりあえず、伊藤さんの字は分かった!忠右衛門っていうんだぜあの人!忠ちゃんて呼んでやろ← 重成の字もあったのかな。あの中に。秀頼の名前のすぐ近くにいくつか字があったので、そのどれかだったりして。
 あと、秀頼の使いとして、江戸にいる秀忠の元へ年賀の挨拶に遣わされた薄田さんにはらはらした。うん、どきどきじゃなくて、はらはら。す、薄田さんてば、ちゃんと役目こなせたのかしら!?うっかり遊女と遊んで砦取られたり、又兵衛と一緒に飲んでたり、凶器片手に大暴れしてる話しか知らないんで、凄く心配、です。でも、秀頼が使いとして遣ったくらいなんだから、そういうこともちゃんと出来る人だったのかな。もしくは、大坂城で風邪が大流行して薄田さんしか無事な人がいなかったとか(…) もう本当、秀頼様御姫様御袋様の名前が三つ続けて書かれているだけで和むことに気がつきました← 茶々が慶長六年、八年に気鬱に起因する不食を治す薬を処方して貰っていたり、十八年には、茶々の不食を治す為に、秀頼が祈祷を依頼しているのを見ると物凄く切なくなりますが……。慢性的な感じだったのかなぁ。病気といったら、十一年の治長のも凄いけど。嘔逆(嘔吐が止まらなくなる)と久痢(長引く下痢)で挙句の果てに下血て……上下のダブルで来るとは。その時の治長の症状で検索を色々とかけてみたんですが、胃腸炎だったのかしら。もしもストレス性だったら泣けてくる。

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2009/06/01 (Mon) 大坂



 今、必死こいて夏の陣企画やってるんですけども!その反動のせいか、暗い大坂面子が書きたい……状況が暗いんじゃなくて、精神的に暗いというかいっそ無味乾燥というか。大坂の陣関係の史料をあさってて大坂側のを読む度に思うんですが、やっぱりあいつらって所詮他人なんですよね。言い方がちょっとあれですけども。それぞれ結構な年数を生きていて(重成・秀頼・長秋は二十年そこそこですけども)当然、それ相応に積み重ねてきた人との付き合いとか経験とか矜持とかがある。だけど、実際大坂の面子が一緒にあった期間は一年にも満たない。もちろん、短期間で結ばれる強い絆とかはあるとは思うんですけども、どっか心の底で他人は他人と思っていそうな。究極的な所では、絶対に交わらないというか。そういう感じの雰囲気がなんとなーく感じられて(思いっきり主観ですけれども)どえらく萌えるわけです← 明石さんか幸村辺りに、「仲良しごっこは終わりの時間ですね」って言わせたい!←← 長秋でも良いかもしれない。ワンマンプレイヤーの集まりだったのが大坂の敗因の一つかつ、萌え所だと思ってます(…)
 ということで、企画に戻ります!よ、四日までにはせめて青柳の話をぉお…!


 あ!それから、創作戦国のサーチ様が復活なさっていましたね。大坂のカテゴリが増えていてうはうはなんですけども、FC2さんがウィルスのサイト改竄に対する対策をやってくれるらしい六月三日まで、登録は控えさせて頂こうかなぁと。

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