何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/07/27 (Mon) 本やら六角やら羽柴やら


 ついに『太閤史料集』を注文してしまいました。殿下!殿下!あと、『近畿・近国の戦国合戦』という本も。まさにこういう本が欲しかったんだ!という感じです。是非とも、生涯テンションうなぎ登りの男・木沢を堪能したい。人生フリーダム過ぎる。何だか密林にて定頼様の名前で検索をかけると、物凄い勢いで、日蓮宗徒と一緒に定頼様の兵が山科本願寺焼き討ちしたことを説明した一文が出てきます。……の、信様の先を行く男だぜ定頼様!←← 日本で最初に楽市楽座を始めた人であり、日本で最初の城割りをした人なんだぜ痺れるだろ……!定頼様世代ばかり追っていたせいか、最近、1530年生まれとか見ると、若いなぁと思ってしまいます。定頼様と四十歳近く年下なんて若すぎる!畿内が大混乱してた頃に、まだ秀吉生まれたてとか、どんだけ長いの戦国時代。定頼様の娘と、細川晴元が結婚した年に生まれたんだなぁ秀吉。
 なつさんから教えて貰ったんですが、六角が支配していた頃の江東に、羽柴姓を名乗ってる人がいたんですね。勿論、秀吉が羽柴姓を名乗る前です。羽柴長兵衛という名前の人で、畑田城という城の城主だったそうな。果たして秀吉と関係あるのか否やという疑問が起こってきます。城主をしていたほどの人なのですから、秀吉がその人のことを知らなかったとはちょっと思えないです。それから、秀吉の秀は六角義秀の秀を貰って付けたという話もあります。羽柴長兵衛さんは恐らく六角家臣。でも、繋がりそうで繋がらない!悔しい!な感じです。でも、秀吉が羽柴を名乗ったのは、柴田さんと丹羽さんの機嫌を取る為、という話はどうも根拠が薄いようなので(丹羽さんより上位の立場にあった柴田さんの柴が、丹羽さんの丹の下にあるのはおかしい。とか、秀吉が羽柴を名乗った頃は、織田家中で丹羽さんより上位の人がまだいたとか)そこら辺を考えると、この羽柴長兵衛さんは捨て置けないような気がします。ほ、本当に何者なんでしょうかこの人。
 信様の外戚(土田御前の家系)がどうやら六角の血筋らしい?という説もありますし、土田御前そのものが高頼ダディの娘だとしている史料もありますし、そこら辺で秀吉が六角家臣の人の名字を名乗った、とするのはちょっと苦しい、か← 単純に、秀吉自身が放浪時代に羽柴長兵衛さんと何かあった、とも考えられますけども。そういえば、秀次切腹に連座して木村重茲さんが切腹させられた後、近江馬渕に逃れた重成を、六角義秀が保護して育てたという話を見かけたことがあります。この頃には義秀はもう死没してますので、全面的に信じるのもあれですけど、重成が佐々木源氏の木村氏だという可能性は強い気がします。大蔵さんも、佐々木源氏の真野氏なのでしょうか。


 それでは、27日から31日まで、部活の合宿で日光まで行ってきます。ちょっくら、明神に挨拶する前に権現に挨拶してこようかと。


 

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2009/07/26 (Sun) リンク繋ぎ忘れ



 取り急ぎ!
ノーフレームじゃない方のPCサイトの方で、新しく更新した話にリンクを繋ぐのをうっかり忘れてしました!ついさっき繋がせて頂きました。御迷惑をおかけ致しまして、申し訳ありません。

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2009/07/25 (Sat) ごちゃっと諸々




 秀頼は神仏を信じていなかったのかもしれません。
『耶蘇会年報』だったと思うのですが(…) 秀頼について、キリスト教を排斥するわけではないけれど若干キリスト教のことを疎ましく思っている、というようなことが書いてありました。更に、だからといって神仏に帰依するわけでもなく、ぶっちゃけ興味を持っていないようです、とも書いてあって、地味に心臓掴まれました。神仏を信じる信じない以前に興味を持たない秀頼……良いっ!(お前) キリスト教のことも、疎ましく思ってるというか、うぜーなーという感じだったのでしょうか。ぶっちゃけ、父上の社があれば良かったんじゃね? 
 ということは、あれなのかな、大坂の役の時、明石さんのこと若干うざがってたのかな。お、おろおろしちゃうわよ私!← うざがってはいなくても、理解出来ない人、とは思っていたかもしれない。熱心な切支丹の明石さんと、キリスト教以前に神や仏というものに興味を抱かない秀頼と、あ、何かこれで一本話が書けそうな気がします。篤く神仏に帰依していた茶々に対しても、どこか線を引いていそうな。母親が仏に篤く帰依していても構わないし、寺社再興の手助けをしていても構わないけれど、あくまで拒否をしないだけ、とかでしょうか。ただ、豊国大明神だけはやっぱり大切にしてますよね秀頼。当たり前か。秀頼は多分、脳内にめちゃくちゃ美化した秀吉がいるに違いない。美しく濾過した秀吉との思い出と、周りから聞いた秀吉についての話を混ぜわせ出来あがった秀頼にとっての秀吉像、的な。

 物凄く話が変わってしまうのですが、KOKIAの「届きますように」という曲を、甲斐姫から茶々にあてたものとして聞くと、大分きます!心臓に!歌詞はこんな感じです→http://lyric.kget.jp/lyric/kz/vq/
 甲斐姫も作りたいんですけどね……茶々の友達ですし、奈阿との関係もありますし。何回か忍城に行ったことあるんですけども、忍城そのもよりも、何か、石田堤付近の橋の下にある忍城攻めに関する説明所?のようなところが、今だに思い出すと噴きます← 私が行った時はめっちゃくちゃ閑散としてましたが(その橋の下も、三成の陣所跡も)大河の影響で、人がやっぱりたくさん来たりするのかな。ということは、再来年の大河で江をやる時は、喜多院にもどっと人が来るのかしら……な、何か天海繋がりで!ね!(苦しいな) 風林火山やった時は、河越城に人来たのかな。まったく気にしてませんでしたけども。
 イメージ曲繋がりで、がくぽの「Paranoid Doll」という曲がえらく朝倉義景兄さんっぽい件について→http://www.nicovideo.jp/watch/sm7706816
 小宰相局と阿君が死没してしまった後な感じがして、凄く、ああああああああ、となります(…) 義景兄さんについて深く考えると、軽く鬱になる。1540年代生まれ信様包囲網の三人組(長政、義弼、龍興)の三人が凄く漲ってきたぁああ!な感じっぽいのを併せて考えてしまいますと、はい←
 義弼で思い出したのですが、信様が長政の離反にあって京に帰ろうとした時、鯰江城にいた義弼が信様の帰路を妨害し、そのせいで信様は別のルートを辿らざるを得ず、そこで待ち構えていた杉谷善住坊に狙撃された、という話を読みました。本当だとしたら、確実に善住坊は義弼の差し金のような気が…。あと、長政が信様から離反するのを、事前に知っていないと出来ないことですよね。でも、鯰江城の立地を考えると、若干この話には無理があるような。鯰江城は江東にあって、越前から江東に至るために通らなくてはならない江北は浅井の領域なわけだから、はなから信様がそっち通るわけもないですし。それとも、鯰江城から兵を出して妨害した、とか。な、謎です。どちらにしろ、善住坊は義弼の差し金で、長政が離反することを事前に知っていた、というのは確かな気がします。
1570年にあった「野洲川の戦い」というのが、とても気になります。義賢・義弼VS柴田さん・佐久間さんの戦いなんて熱すぎるだろ!この時、六角勢は長光寺城を包囲しておらず、最初から野戦だったので、甕割り柴田の逸話は後世の創作ということになってしまいますけども。ここら辺、詳しく知りたいです。


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2009/07/22 (Wed) 豊国神社



 書こう書こうと思いながらうっかり忘れていたんですが、「秀吉の首はどこに消えたか」という本の中に書かれたことでして。明治二十三年に、豊国廟整備と、豊太閤三百年祭を成功させるために結成された豊国会という会の会長が、黒田長成侯爵という人だったそうです。筑前福岡藩最後の藩主の息子ということですから、官兵衛の子孫に当たる人なのかな。今ある豊国廟は、その豊国会の人達が再建したものみたいです。会長が黒田家で、他のメンバーで主だった人達は、前田家、浅野家、蜂須賀家だったそうな。なるほど、なメンバーな気がします。江戸から明治に変わったばかりの時でしたから、やっぱり、密かにこれらの家の人達は江戸時代中も豊臣家慕っていたのかそれとも、徳川幕府が無くなったから新しい時勢に乗ってみただけなのか。想像をくすぐられます。
 そういえば、金沢にも豊国神社ってあるんですね。江戸時代の時は、幕府を憚って違う名前にしてたみたいですが。あと、徳島県にも。徳島県の豊国神社は、江戸に入って破却されてしまいますが、明治になって再興されたとか。御神体は秀吉の木造で、なにやら秀吉の遺言で家政に与えられ、その木造を御神体に、家政が自分の隠居してる屋敷の近くに豊国神社を1614年(冬の陣の年)建立したそうです。その話に、全俺が泣いた。い、家政ぁあああ!
 福岡県にある豊国神社は、最初から豊国神社だったわけではなくて、最初はひっそり神屋宗湛が秀吉を偲んで屋敷内に祠を作ってた祀っていたのを、明治時代になって、秀吉の行った町割り300年祭をきっかけに豊国神社としたそうな。
 こうしてみると、結構豊国神社ってありますね。にしても、宗湛はどんだけ秀吉が好きなんだよと……。屋敷内にひっそり祠を作っちゃうってあなた。一家に一匹秀吉じゃないんだから。
 京都の豊国神社には、治長の寄進した石灯籠があるようで。め、めっちゃ見たい!むしろ見る!←

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2009/07/22 (Wed) 愛し咬み痕



 実験的に長政×又兵衛に挑戦してみました。長政のキャラがまだまだ全然固まっていない上に、いつの時間軸なんだコレな、どうしようもない有様になっています。
 又治は、長政×又兵衛、治長×嫁を前提に成り立っているイメージなので、ちょっと精進していきたいです……。追記に、長政×又兵衛でSSS崩れをば。はっきりとした描写はありませんが、事真っ最中なので(…)ご注意下さい。

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2009/07/22 (Wed) 拍手お返事




 拍手を押して下さり、有難う御座います。活力になっております。
 追記に、拍手お返事をさせて頂きます。


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2009/07/22 (Wed) 雑誌記事



 十数年ぶりに(歳がばれる)(…) 初代ポケモンを起動したら、あまりに楽しすぎて困ってます!ぅおおおお他に何も手につかねぇえええコラッタがラッタに進化したよぉおお!そんなこんなで、何も新しい話が書けてない、です……すんまっせん!SSS崩れでも、本編でも、暗いのが続いてしまったので、次はテンション高めなのを書きたいなぁと。乳の話で盛り上がる羽柴家大人組とか← 前野長康さん、浅野長政さんの二人も出したい、です!出来たら!
 話は飛びますが、千が輿入れしてきた時、わざわざ大坂城までやってきて、豊臣家側として千を迎える役目を務めてくれた浅野幸長さんに涙がちょちょ切れそうになった。そういえば、関ヶ原の時、治長が正則の隊に参加出来るよう取り計らってくれたのは幸長さんだったんだよなぁと。武具や手勢を貸してくれたのも浅野さん家だし……な、何か、ちょいちょい浅野さん家に恩があるな治長。紀伊での一揆起こさせっぷりには、容赦が一切無いですが(…) 
 それから、1952年に出版された『日本歴史』という雑誌の記事に、治長についてのものがあるということで読んでみました。治長に凄く第三者的に冷静な評価を下してくれていて、ちょっと嬉しかったです。べた褒めというわけではなく、失敗は失敗だと指摘した上で、評価出来る所は評価するという姿勢で書かれていました。1952年という書かれた年代を考えると、珍しいことなのではないかと。あ、でも、植村清二先生の書かれた治長の再評価についての論考は初出が1941年なので、それを考えるとそうでもないのか。記事の最後ら辺に「彼の筆蹟はまこと流暢であり、しかも洒脱であり、一種の風格を持ってゐる」という一文がありまして、き、気になるじゃないですか…!どんな字だったんだよ治長。どう見ても巾着袋な花押は見たことありますけども。

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2009/07/21 (Tue) ごちゃっと大坂



 秀頼が慶長18年の5月頃、住吉で度々遊行するということが「当代記」に書いてあるのですが、これがもしも本当だとすれば連れ出したのは治長な気がする……。「重臣にして親しき友人」なんて書かれるくらいだから、これくらいのことはしてそう。「豊内記」に書かれてる治長の性格は「宴会好きの上に、心が広すぎて逆に当たり前の礼儀を知らない奴だよ!」な具合なので、やらかしても不思議じゃないようなぁと。でも、女遊びを教えたわけではなさそうです。女遊びを教えるのなら、住吉より新城の方が向いてるのではないかと。新城には、秀吉公認の遊里があったわけですから、やっぱり。
 でも、豊臣家の内部から、日々あったことを記した日記というものが無いのがちょっと寂しいです。もしかしたら、誰かそんな日記をつけてたのかもしれませんが(永翁とか何か書いてそう) 大坂城が燃えた時とか、破却された時とかに消失しちゃったんだろうなぁ。豊臣家の誰かが、外の人から貰った書状とかもきっと。治長と織部のやりとりした書状もあったに違いない!と思うと、凄く惜しい気持ちになります。大坂城にきた織部を治長が出迎えた、ということを思い返す度に、滾りが止まらないんです(病気です) ちょっと逸れますが、未だ、「金森可重に治長の娘が嫁いでいた」とするサイト様の情報ソースが見当たりません……定頼様の嫁さんを「呉服前」だと書いていたのもそのサイト様で、実際に「呉服前」と書いていた史料を発見出来たので、金森可重に治長の娘が嫁いだと書いてあるのも根拠が無いわけではないと思うのですが……。むしろ、根拠が無いと、金森家に治長の娘が嫁いだなんて突飛な発想は出てこない← でも多分、可能性があるとしたら、可重ではなく息子の宗和な気がします。というのは、何か前も書いた気がしますが。大坂の役の時、金森掃部という、金森可重の息子が大坂城に籠っていたり、何か落ちていそうな気はするんのですけども。
 とにかく、住吉までぎゃーぎゃー遊びに行く譜代ーズの話が書きたいなという結論です(…) 秀頼、治長、治房、糺、重成、長秋、薄田さん辺りの面子で騒がせたいです。頑張れたら、高橋半三郎、十三郎の二人も!

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2009/07/20 (Mon) サナトリウム―――寥寥たる目指しで視るな



 三十二義士三人組(大野治徳・真田大助・毛利勝家)の父子模様をSSS崩れで書いてみよう計画です。

 サナトリウム
 『寥寥たる目指しで視るな』(大野父子)
 配布元:CORNELIA

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2009/07/20 (Mon) bkm報告+拍手お返事



 大好き尊敬サイト様へのリンクを、サイト様の安全が確認されていたにもかかわらず、繋がせて頂きそびれていたという痛恨のミスにいま気付きました…!こんなみそっかすそのもなサイトがリンクを繋がせて頂くこと自体、おこがましいのですけれども!どうしてあんな素敵な絵が描けるのだろうか……。

 追記に、ブログ拍手御返事をさせて頂きます。


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2009/07/18 (Sat) 現し世十題



 何か、急に、三好の波が来た(何で)
長慶の切なさは異常だろ何あの人。優しくて優しくて優しくて優しすぎて、最後は壊れてしまった人というイメージがあります。元親といい、長慶といい、義景兄さんといい大内さんといい、嫡男を失った人のあれっぷりは悲しすぎる。そういえば、久秀がめっちゃ長生きの鈴虫飼ってたっていう逸話と、安宅冬康が長康に「大切にすれば鈴虫は冬まで生きるのです。鈴虫でこうなのですから、いわんや人は」的な内容のことを話したという逸話の鈴虫繋がりは単なる偶然なのかしら。もしも偶然でなかったら、切な過ぎて泣くぞおいちゃんは(…)
 久秀繋がりで筒井さん家も気になってきたし……大和の攻防、熱すぎるだろ……あ、頭が、頭があともう一つくらい欲しい!← 

 追記に、まったく上の内容に関係の無い、戦国近江まっただ中の人達をSSS崩れで書いてみよう計画。

[現し世十題]
「どんな責苦より、貴方のその言葉が」(六角氏綱←六角定頼)
配布元:rewrite

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2009/07/16 (Thu) バトン




 FC2さんのブログに、バトン機能なるものがあるのを初めて知ったので(…) ちょっと、拾ってきた戦国バトンに答えてみます!



戦国バトン

Q1 まずは、ベタなものから。一番好きな武将は?
A1 大野治長と元気良く叫びます。0.5馬身の差で次点秀吉の、定頼様は好きではなく崇拝対象なので除外←
Q2 なぜその武将を好きになったの?
A2 やることなすこと空ぶる所が可愛くて!……というのもあるんですが(あるんだ) 真面目に答えると、主君の為に、命どころか名すら捨てた男はそうそういねぇよなと。
Q3 そうですか。では、次に一番好きな戦いは?(関ヶ原・桶狭間など)
A3 大坂の役がやっぱり、おおおおお!ってなります。熱い、熱すぎる。
Q4 ちなみに・・・関ヶ原ってどこにあるか分かる?
A4 あれ、岐阜だっけ。
Q5 正解はCMの後で~~
A5 え、ちょ、ま。
Q6 ごめんなさい。正解は現在では、岐阜県の関ケ原町というところです。滋賀県よりですね
A6 お、おおお、合ってた。良かった!うっかり愛知県かもなんて思っちゃったけど!(…)
Q7 次に、好きな城ベスト3を教えてください。
A7 大坂城、観音寺城、多聞山城
Q8 ベスト3は?
A8 多聞山城。久秀のセンスぱねぇ。柱に薔薇って…薔薇の絵って…!
Q9 ベスト2は?
A9 観音寺城。増築増築増築!を百年以上繰り返した山そのものが要塞になってる城なんて、痺れるだろ…っ 排水に関するハイテクぶりも好きです。
Q10 一番大好きなお城は?
A10 勿論、天下の巨城大坂城(豊臣時代) フェアリー達の住みかともいう←
Q11 私の場合上田城です(聞いてない)
A11 真田が好きなんですね、分かります。
Q12 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康、この3人で一番好きな人は?
A12 秀吉でしょうかやっぱり。信様、家康も好きですが。性根の歪みきってるところが、秀吉の魅力です。
Q13 ちなみに、この3人、同じ県出身ってしってた?
A13 えーと、あ、ああああああああ?
Q14 もちろん有名だよね~。正解は愛知県(当時は尾張国・三河国)です。
A14 愛知!そうだ、こっちが愛知だった。
Q15 鎧、実際に着たことある?
A15 ないです。それに、着れる場面に直面しても多分着ないかなーと。だって恥ずかしry
Q16 歴史が苦手な人に、この時代の素晴らしさを教えて
A16 滾る人間模様!繰り返される愛憎活劇!昼ドラなんてぬるいんだぜ!←
Q17 ありがとうございました。
A17 どうもですー

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2009/07/15 (Wed) サナトリウム―初立つ君の脚を折る




 三十二義士三人組父親達の、息子たちへの教育方針を妄想してみました。


 幸村:ザ・超絶放任主義
 勝永:ザ・超絶スパルタ
 治長:息子を教育する以前に息子との接し方が分からない。


 ……伊木さん頑張れ超頑張れ

 というわけで、追記に、それぞれの父子模様をSSS崩れをば。何か、こんな感じかなーな手さぐり具合ですので、色々とあれなのはご容赦ください…っ!あと、お題を使わせて頂こうかなと。なつさんがとても素敵なお題を使われていたので!


「サナトリウム」
サ 冴え冴えと瞬いておくれ
ナ 亡き骸は御座いません
ト 隣りの陰に死に神がゐます
リ 寥寥たる目指しで視るな
ウ 初立つ君の脚を折る
ム 六つの花を咲かせましょう
配布元:CORNELIA


『初立つ君の脚を折る』――(毛利父子)

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2009/07/14 (Tue) 現実逃避



 あと残り一個のレポートがどえらくだるいので(…) 現実逃避をしに来ました!もう良い…もう良いよ、好きにしてくれよおいちゃんしらねぇよ……何て言ってもいられないんですけれども!秀頼、千、完子の三人が揃って大坂城にいた時期があったんだよねそういえば!なことに気付いたら、もう居てもたってもいられないです。ちっちゃい子達が三人……きっと大坂城のフェアリー達だったに違いない← しかも、完子と千が異父姉妹だっていうのも加えて考えてみると、きゅんと来ない方が嘘だろうと。秀頼がお姉ちゃんっ子だったら萌えるなぁ。本当の姉弟じゃなくて従姉だけど、一緒に育ったのは間違いないわけで。やっぱり、完子は秀頼の「お姉ちゃん」だと思う。よく秀頼って、重成にしか心をひらいていなかった、みたいな感じに書かれるけど、そんなことは無かったと思うのですよ。育っていく過程で完子もいたし、重成もいて糺もいて千もいて他にも仕えてる小姓の子達もいて、治長に関しては宣教師の人が秀頼の「重臣にして親しい友人」だと書き残していて。それなりに、賑やかだったんじゃないのかなぁと。

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2009/07/13 (Mon) 駅周辺で




 帰ってきました!

 帰りに上田駅に行ったんで、チャンス!とばかりになんやかんやと撮ってみたんですけれども……すげーな上田!六紋銭だらけじゃないか!もはや、六紋銭をいくつ探せるかでゲームが出来るなこれは!と思いました。お手伝いに行ったお寺は信濃国分寺でして、そこで使ってたゴミ袋に大分噴きました。

真田ゴミ袋
 真田地域っ! 地域それそのものが真田!

 あと、他にちょいちょい。

真田像
 暑い暑い言いながら頑張って撮りました(…)

十勇士
 十勇士の絵が駅にずらっと。

 ただ、信之兄上成分の少なさにちょっと切なくなりました(…) あ、あにうえええええ!

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2009/07/11 (Sat) 報告

20090711212836
20090711212832
善光寺に寄ってきました!信玄→信長→秀吉と持ち主を変えた因果な阿弥陀像と、信玄謙信の位牌のあるところです。

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2009/07/11 (Sat) 鏡面




 明日から上田に行ってきます!観光に行くわけではないのですけれども、やっぱり楽しみです。真田!真田!ということで二日間ほど帰ってこれないので、置き土産に又治でSSS崩れを放って行きます← 久々に「三川記」の、又兵衛と治長の下りを読んで悶えた勢いです(…) あれはほんと、うん。治長の要請を受けて、世話を受けた恩を返すために、詳しい事情も聞かずに入城してくる又兵衛萌え。あ、今日、大阪人名事典だったでしょうか、そんな題名の事典をぱらぱらめくっていたら治長の項目がありまして。……どえらい褒めちぎられてて、読んでるこっちが何故か恥ずかしくなりました(…) ふ、普段褒められ慣れてないもんだからさ!たまに、本当にたまーに、治長が褒められてるの読んじゃうとね!凄く、挙動不審になる←

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2009/07/08 (Wed) 現し世十題



 もの凄くお久しぶりな、戦国期まっただ中な近江の人達をSSS崩れで書いてみよう企画。


[現し世十題]
「泣く位なら 生きてみろよ」(浅井亮政+井口経元)
※箕浦の戦いの話
配布元:rewrite


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2009/07/07 (Tue) 老人と小動物




 亮政と定頼様の命日がどえらい近くてちょっとちびりかけました(…) 亮政が病没したのは1542年1月6日で、定頼様のは1552年1月2日って……ちょ、月が一緒で、しかも日にちが近い近い!九年後とか十一年後とかでなく、十年後っていうのが、きり良すぎる。定頼様を連れてったのは亮政な気がします← 箕浦の戦いの様子を書いてる史料って無いのかな。亮政VS定頼様で、凄く熱い戦いの一つな気がします。阿古さんのお父さんのこととか考えると、こう、視界が霞む←


 それでは、話しが一気に飛びまして。今日、ふと、夏の陣で山里曲輪に籠る時、大助に対して徳川方にいる大叔父さんの元へ逃げなさいって言ってくれたのは、速水さんなんだよなぁと思いまして。もしかしたら、速水さんって大助のこと可愛がってたのかも!な妄想が展開しました(…) ということで、追記に速水さん+大助でSSS崩れをば。物凄く短いです。

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2009/07/06 (Mon) 拍手お返事



 拍手を押して下さりありがとうございます。
 追記に、ブログ拍手お返事をば。

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2009/07/06 (Mon) 頭蓋骨




 大河に茶々が登場したようで、……やっぱり、残念な感じだったみたいですね。実際に観ていないので分かりませんが、感想を見ていますと。原作を読んでも、あんまり良い感じには書かれていませんでしたし(というより、本人は登場すらしていない)原作の火坂さん自体、あんまり豊臣家を好きじゃないような気がするので、予想通りと言いますか。大河で、茶々が歪められた姿以外で描かれるのはいつになるんだろうと、ちょっとだけ切なくなりました。江が主人公の大河に、望みをかけたいと思います。茶々と最上さんが、大河の影響で不遇を被ってる戦国の人三本指に確実に入る人達ではなかろうかと。
 そんでもって!面白そうだったので、今「秀吉の首はどこに消えたか」という本を読んでいます。明治に入って、秀吉を再び神として祀る為に、荒れに荒れた阿弥陀峯にある豊国廟を整備していたところ、秀吉の亡骸の入った茶壷が発見された。というところから、色々ごちゃごちゃと始まります。神として祀る人の亡骸を、粗末な茶壷何かに果たして入れて埋葬するものなのか→墓から木棺の欠片が発見される→元はしっかり木棺に入れられていた→ということは、亡骸は茶壷に移し替えられた=誰の手で?
 という具合で。そんでもって、亡骸について記した記録に、一切頭骨に関する記述が無いことから、秀吉の頭骨は茶壷の中に存在していなかったのではないか、という推測を著者の人はしておりまして。豊臣家を滅ぼした後の家康は、豊国社を破却するのは止めましたけれども、秀吉の亡骸から頭骨を奪って、残りの骨を茶壷に収めさせたんじゃないか。な感じになってました。
 あともうちょっとで読み終わるところまで来たんですけれども、つまりこれってその……家康→秀吉ってこと?(…) 後醍醐天皇のどんはまりしてた真言密教立川流というか、立川流の本尊であるダキニ天を家康は信奉していて、立川流の儀式に必要なのは特定の条件を備えた頭蓋骨で、家康は秀吉の頭蓋骨を奪い去ったとか何やら。おまけに、家康は死ぬまで秀吉の頭蓋骨を手元に置いてたんじゃねぇの?なことまで書かれたら、おいちゃんは悶えるしか無いと言いますか← 真偽は別として、現代人の目から見るとうっかり忘れてしまいがちな、当時の呪術に関する視点から書いていて面白かったです。鐘銘事件の件も、多少豊臣側に落ち度はあったと思いますので。名前っていうのは「真名で命令されたら逆らえない」なんて言霊信仰があったくらい、昔の日本人にとって大切なものですから、名前を用いて呪術を掛ける、というやり方も何かありそうですし。
 そんなこんなで、すごく、家康→秀吉でした。でも、家康が秀吉の頭蓋骨にちょっとごにょごにょな液体を塗りこめる図っていうのは、壮絶なものがありますけども……。

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2009/07/04 (Sat) レポートとか梅戸とか



 レポートがやっと残り二つになりました……!長い、長かった!あとの二つは、図書館のサービスを比較しなくちゃいけないのと、あとはまだちゃんとしたレポート内容の課題が出ていないのなので保留という感じです。毎度毎度、学期の終わりはレポートラッシュ過ぎて、あああああああ!な感じになってます← 井沢元彦先生に出すレポートでは、これでもか!と六角プッシュしておきました(…) 歴史学科のレポートだったら許されないような内容なんでしょうけども、やっぱり、ほら、日文系だから(お前) 
 そういえば、戦国BASARA3の発売が決定したそうな。今度は関ヶ原が舞台ですって。へー………狙ってやがりますな。 とにかく、秀吉の登場如何によって購入するかしないかを決めます← 

 話は飛びますが、なつさんの日記に触発されて、梅戸高実ちゃん(定頼様の弟)を調べてみたら、没年が二種類あった件について。1561年or1575年だそうで。1561年説だと「江源武鑑」で、義賢と仲良しだったから、久政と後藤さんに毒殺されたんじゃねぇの?とほんのり匂わされていてちょっと噴きました。そ、そんな。1575年説の場合、伊勢長嶋において、滝川さんの元で自刃したということになっています。連光寺というお寺の過去帳に残っているそうなので、1575年説の方が信憑性があるのでしょうか。どっちにしろ、悲惨過ぎるよ高実ちゃん。梅戸氏は伊勢の家なので、いつ頃、高実ちゃんが養子入りさせられたのか気になります。北畠とも、六角がごちゃごちゃやっているんで、牽制とか、そんな意味合いで高頼ダディか、定頼様が養子入りさせたのかなぁと。1502年11月2日生まれっていうのは本当なのかな。

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2009/07/01 (Wed) ストラップから妄想



 おみやげで、利休キューピーストラップを貰ったので、秀吉キティに括りつけてみた(何の嫌がらせ) なつさんが、利休キューピーの首が落ちたら嫌だねーって言ってましたけど、本当に嫌過ぎる。 もしそうなったら利休の呪いとしか思えない←
 利休と秀吉の愛憎関係は好きですけどね!(お前) 秀吉が愛したのは、茶人としての利休なのであって、政治家としての利休ではなかったんじゃないのかなぁとか、利休キューピーと秀吉キティを眺めながら妄想してたんですけども(…) 利休を、無欲な寂びを愛するだけの茶人、なイメージにあてはめようとすると、物凄く違和感なんですよね。無欲で茶だけを愛するのなら、茶釜一つ抱えた侘び茶人になれば良いのであって、信様や秀吉に接近する必要はまったく無いですし。寂びを求めて作られた茶室って、見た目にそぐわずむっちゃくちゃ金がかかってたみたいですから、つまるところ、利休はめちゃくちゃお金を持ってたことになるんですよね。天下人の茶頭ですし。弟子の大名たちからも、指導料みたいなのは取ってただろうし。てな辺りから、無欲というイメージからはちょっと離れてるんじゃないのかなぁと。
 その辺りから妄想していくと、秀吉が利休に突き付けた罪状というのは、別に殺すほどのものじゃないけど、確かにあこぎだし、一歩間違えると確かに犯罪じゃね?というのもありますし。(馬鹿高い値段でものを売りつけたとか)「天下人の茶頭」だから、大目に見て貰っていた、という点があったのかもしれません。秀吉としては、俺の威光があってお前は今の地位にあるんだから、あんまでかい態度取るなよこの野郎、という気持ちだったのかもしれません。秀吉としては本気で殺す気は無くて、あくまで、脅しとか、警告的な。利休は利休で、意地をつき通した感じなのかなぁ、妄想を繰り広げております←
 利休を殺した後も、利休流というか、利休風というか、そんなお茶を秀吉が行っていたのを見ると、やっぱり秀吉が愛したのは茶人としての利休だったのではなかろうかと。ものすっごい妄想ですけど!(…) 愛憎関係萌え!を、キューピーとキティちゃんを眺めながら叫んでるえらい気持ちの悪い女になってました。
 利休も登場させたいなーと思ってはいるんですが、多分えらい俗っぽい感じになりそう……です。

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