何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/08/30 (Sun) 旅行

20090830215824
やっと智積院でのぷち修行が終了しました。待望の観光では、豊国神社と高台寺に行ってきたんですが、うっかり養原院に行き忘れた痛恨のミス……っ!!ち、畜生!次こそは!
そんでもって、明日は醍醐寺と大徳寺と龍安寺と上賀茂に行ってきます。
写真は、豊国神社で撮った治長の寄進した石灯籠です。社務所の人に教えてもらってやっと分かりました。

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2009/08/27 (Thu) 現在

智積院にただいま泊まっております。鶴松のもともと菩提寺だったのを考えると複雑な気持ちになりますが…。明日は等伯の絵を見れるかもです。

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2009/08/26 (Wed) バス

夜行バスに乗りました!ちゃんと席の区切りでカーテンついてるのに驚きです。もうはやく殿下に会いたい←

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2009/08/26 (Wed) 娘ーズと留守お知らせ


 志方あきこさんの「片翼の鳥」をエンドレスリピート中です。ああああああ格好良いよ格好良いよ。ただ、例の如く脳内で戦国変換してしまう不義← 大坂を妄想しながら聞いても十分いけるのですが、今は戦国前期の畿内で妄想するのが流行です。私の中で(…) 
 ちょっと龍興のこと調べようかなぁとしたついでに、初めて知ったのですけども、道三の生年って1494年だったんですね。定頼様と一歳差…!亮政とも歳が近い!能登畠山の全盛を作り出した畠山義総も、元就も1490年代生まれですから、この年代は豊作だったのかもしれません。まだ道三が土岐頼芸さんと仲良しだった頃、土岐家の家督に絡む争いで、定頼様は頼芸さん・道三方に味方して兵を出しているので、道三と面識があったらちょっと……萌える(お前) 絶対にお互い腹の探り合いみたいな会話しかしないよ。逆に朝倉の孝景さんは、頼芸さんと対立している頼純さんに味方して兵を出していたようなので、つまり、えーと三角関係← 亮政はこの戦いを静観していたんでしょうか。確かに、下手に関わると大火傷しそうな気がする。この戦いの二ヶ月後に、六角は天文法華の乱を鎮圧するための兵を出していますから、忙しいな定頼様。
 この前、久々に「近江浅井氏の研究」を読み返しまして。どうしようこの本、凄く、きゅんとくる(何で) こんなに定頼様の名前が出てくる本だったっけこれ!?虎視眈々と江北の地を狙う冥王・六角定頼と、江北の地を冥王から守るために戦う勇者・亮政、な感じです← 亮政にとって定頼様は最大の敵であったけど、それと同時に、定頼様の存在があったからこそ、江北の国人は亮政を中心に団結した、というような説明に身悶えざるを得ません。定頼様と亮政は不可分、みたいなすみません頭が膿んでるんです。
 話は飛びますが、京からわざわざ、近江にいる定頼様へ意見を聞きに人を遣る義晴にきゅんときました。どんだけ頼りにしてたのよと。それだけに、定頼様が味方についてくれなかった時はショックだったろうなぁ……。あと、定頼様の屋敷は二階建てだったとか。相国寺の坊さんが、観音寺城にいる定頼様を訪ねた時のこと書き残していまして、何やら二階に招かれたとか。一階は政務を執る場所だったのかもしれません。そのお坊さん曰く、二階から眺めた景色は格別だったそうな。大坂城の千畳敷(表御殿?)を、秀頼が二階建てに改築したという噂を義演さんが聞いたりもしていますから、結構この時代でも二階建てって珍しくなかったんでしょうかね。二階から呉服前さんと一緒に景色を眺める定頼様とかもう、萌える以外にどうしろと。上洛した時は、呉服前さんと一緒に蛍見物をしたそうで、この夫婦仲良くて和みます。
 むしろ、夫婦だけじゃなく箕作六角家揃って和むんですが。定頼様には義賢以外、男の子供はいませんでしたから、妹たち(四姉妹)に囲まれてる義賢、か……よし!(何) 義賢は全員にシスコンぶりを発揮してるのが理想ですが、中でも晴元室になった妹は特別だと良いなぁと。歳もきっと近い(下手すると年子かも)ですし、同志のような気持ちを共有していたら悶えます。六角家の四姉妹は、嫁ぎ先がことごとく没落もしくは滅亡するという憂き目にあっていて、不憫極まりないんですけれどもね!
 若狭武田家―夫と子供が争ったりで気付いたら衰退。後に滅亡。
 管領細川家―なんやかんやで没落
 北畠家―信雄の手で滅亡
 土岐家―道三の手で没ry
 ……何か、はい。
北畠は一族郎党全て殺されたとのことですから、定頼様の娘も、この時に殺されてしまったのでしょうか。北畠具教が殺された翌日に死没(殺されたか自害したかは不明)したとするものと、天正十三年辺りまで生きていたとするものがあって、ちょっと混乱中です。生きてて欲しいですが、三瀬の変での死没者一覧をずららっと見てしまうと、あれだけ殺されたか自害した状況では生き延びるのは難しいような…おおおおお。追記:能登畠山に嫁いだのは定頼様の子ではなく義賢の娘でした!畠山ではなく、若狭武田家に嫁いでました。定頼様の娘。




 あと、お知らせなのですが、今日から九月の二日まで京都に行ってきます!ですので、ちょっと長いこと留守になってしまいます。もしかしたら、ブログだけ更新しにくるかもしれませんけども!ひーひー言っていた原稿もようやく終わりまして、九月からまた更新再開できる、はず、です← それでは、行ってきます!





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2009/08/24 (Mon) 久々に


 お久しぶりです。昨日は乙式で集まりまして、長政のデザインが決まりました!これで、義弼、龍興、長政の三人が揃った感じです。ちゃんとサイトに出すのはまだまだ先になりそうですけれども(…) 義弼=ガラ悪い、龍興=ショタっ子、長政=知的マッチョ の三人組です。この三人で凄い勢いで現代パロとかしたいんですけどね!そこら辺は、頑張って自重します……。この三人で遊園地に行ったら、着ぐるみに頬を赤らめながら抱きつこうかどうしようか内心悩むのが龍興で、保護者よろしく着ぐるみに抱きついた龍興の写真を撮ってあげるのが長政で、着ぐるみに攻撃を仕掛けるのが義弼だと思います← 義弼はいつまで経っても小学生男子で良いよもう(…)

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2009/08/21 (Fri) ゲーム


 バサラ3を買ってしまうフラグが立ってしまった←
愛しの秀吉はきっと出ないけどさぁああだって三成、あれ?え?半秀←←←←||←←←←三成 つまり、こういうことと判断して、おk?そ、そんなの……萌えるに決まってる……。秀吉がやられて復讐の狂気に取り憑かれるって貴方いいぞもっとやれ。成長した家康にもガチでときめいてしまったので(フードは、フードは反則だ)買ってしまう気が、する。ちょうど安いPS3出るしな!畜生!踊らされてやんよ!
 無双3はちょっと保留です。清正気になるけどね清正。Wiiは家の中で誰も買ってくれない気がするんです(自分で買え) PS3だったら、私と父親と兄の割り勘で買うと思うのですけれども。
 バサラ三成のカラーがまんま半兵衛なのは何か意味があるのかしら…。

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2009/08/20 (Thu) 自分取扱説明書バトン



 「二進も三進も」のP助様からバトンを回して頂きました。有難う御座います!乙式ということでしたので、暫定的に干身が答えさせて頂きました…!

 追記に収納しておきます。



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2009/08/20 (Thu) 近江源氏二人



 義弼+重成って結構良いんじゃないの!?

 ということに気付いた、八月某日でした。義弼は秀頼の弓の先生だったので、きっと重成に弓を教えたのも義弼だろうと。おまけに、重成の木村家は恐らく佐々木源氏の木村家だと思われるので、その関係で目をかけていたら良いなぁと。秀次事件の後の重成が、暫く近江の馬渕で六角義郷(以前義秀と書きましたが、読み返したら佐々木義郷でした)(…)の元で養育された、という話を拝借して色々弄れる気がします。義郷も秀次事件の頃にはもう死没しているので、秀次に仕えていたけれど、事件後に没落した六角義康の元でちょっとの間養育されたということでどうかなと。ふと思ったのですが『太閤さま軍記のうち』を読むと、木村重玆の妻子って処刑されているんですよね。ということは、重成は重玆の養子か、もしくは別妻の子ということになるのでしょうか。養子だった場合、宮内卿さんは養母ではなく生母という具合で、実の子だった場合重玆の別妻な感じで。
 そんなこんなで、義弼に鍛えられている重成は結構美味しいのではなかろうかと。もう義弼ほど、戦国時代ですが何か!?を味わった男も中々いませんからね← 栄光、没落、放浪、屈辱に合戦、疑心暗鬼を嫌というほど味わった人だと思います。実戦経験も、大坂城にいた人達の中で結構多い方だったのではないでしょうか。リアルに元亀騒乱を駆け抜けた人ですから、そりゃあ。そんな義弼から、色んな話を重成やら糺やら秀頼含め、その周囲の小姓たちへ語っていて欲しいです。速水さんも実戦経験多そうですけど、あんまり口を割ってくれないような気が(…)
 重成世代からすれば、もうお話の中だけの人になっているであろう信長や長政や秀吉、おまけに柴田さんとも実際に戦った義弼の話は嬉々として聞きたい話な気がします。晩年の義弼には、秀頼の小姓に纏わりつかれながら、講談もかくやな弁舌で昔の話を語っていて欲しいなぁと。
「そこに現れたるは浅井備前守!健気に奮戦する俺の努力を水の泡にしやがってだなぁ…あああ今思い出しても腹立つ!」
「その時先生はいくつだったんですか?」
「十六。……何だその目は!俺にだって十六歳だった時ぐらいあるんだよ!」
 みたいな具合で(…)
そこにいつの間にか清海の爺ちゃんも混ざって、あの時はあーだったこうだったを、重成達を放って始めてると萌えます。あとちょろっと、一言だけ言い残して去っていく速水さん的な←
 重成の弓の構えが義弼そっくりだと良いなぁ、な妄想もしてしまいます。秀頼の弓を放つ時の癖が長政そっくりで、ちょっと内心嬉しい義弼とかも妄想してしまってそろそろ末期な気がしてきました(そうですね)

 ということで、追記に義弼+重成でSSS崩れをば。義弼が死没するちょっと手前辺りということで。慶長十七年辺り。

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2009/08/18 (Tue) 八月十八日


 八月十八日ということで、秀吉の命日ですね。そして、例の如く何の準備も出来ませんでした← ごめん殿下ごめん!ら、来年こそは何かやるからって去年も何か言った気がする!←
 秀吉が死没した日というのは、茶々にとって、長い長い戦いが始まった日、という気がします。秀吉は茶々と秀頼の最大の庇護者でしたから、やっぱり。関ヶ原の時、家康は勿論として、三成のことも、信用していない気がするようなしないような← 確実に、茶々は三成より秀次と親交があったわけで(お金を貸してあげたり、秀頼が生まれた後もお互いに手紙を送り合ったり)三成が、秀次謀反の疑いの真偽を糺す一人として秀吉から使わされたわけですから、どんなやり取りが秀次+その周辺+秀吉とあったのだとしても、茶々にとって三成は「秀次様を追い落とした男」なのではなかろうかと。なので、拙宅の茶々は「内府も治部少も信用できぬ」という具合になるかもしれません。まだまだ(仮)ですけれども!
 そういえば、この間『ちゃちゃの城』という本を注文してみました。まだ届いていないので読めていないのですけれども、レビューの評価が中々良かったので。あと、小姓時代の治長がいるそうなので(…)  『花々の系譜―浅井三姉妹物語』と『近江戦国の女たち』もおいおい買えたら良いなと。どうやら大蔵さんが良い味出してるようで、はすはすします。
 話は微妙に変わりますが、京極龍子さんの夫である武田元明を殺したのは、今までずっと秀吉だと思っていたんですけども、丹羽さんだったんでしょうか?若狭武田氏専門のサイト様を見たところ、そんな風に書いてあったので。何やら、光秀が謀反を起こした後、光秀に味方して丹羽さんの佐和山城を攻めたせいだとか。光秀が害された後に、丹羽さんは元明を海津へ呼び出して自害させたそうな。となると、龍子さんがどんな形で秀吉の別妻になったのか気になってきます。秀吉が丹羽さんの所に「貴方の殺した武田元明の嫁さんって美人らしいじゃん?ちょっと頂戴よ」と言いにいったのか。……これが一番あり得そうな気がする←

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2009/08/17 (Mon) 江北江南コンビ


 ちょっと思い立ったので、追記に義弼+長政でSSS崩れを。凄く、短いです。時間軸的には、1570年辺り。

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2009/08/17 (Mon) 六角



 六角義秀がなんやかんやで気になってきました。『和田文書』に、信様が長政へ宛てた書状が収載されているらしいのですが、その内容が、

 義秀遠行之趣絶言語儀候、承禎帰国者近可有之条、各尤油断
  有之間敷候、武田事若州可相催之間寄特候、委細沢田兵部少
  可申述候、謹言、
     五月十一日  信長(花押)
      浅井備前守殿

 なんだそうな。締めが謹言とは、長政に対して随分フランクですね信様……。
滅茶苦茶意訳しますと「義秀が死んだことに言葉もないです。(六角)承禎の奴が近々帰国しようと企むに違いないから、油断するんじゃないわよ!」な感じでしょうか。
 武田云々の辺りはまったくもって意味が分からないんですけども(…) 若狭武田氏についてのことなのかな。義秀が死没したことで、信様が、ちょwwwwとなったのは良く分かった← 信様に言語を絶させる義秀にときめきをかくせません。何か、すごくぽやぽやしてるイメージがあるんですけれども(…) いや、だって、お花を進上し過ぎです。「かめこ、はなの枝しん上申」を読むたびに、和めば良いのか脱力すれば良いのか。元服しても、典侍の女の人達に幼名の亀寿をもじった「亀」やら「亀子」と呼ばれる義秀にきっと、信様も脱力です← 体も弱かったらしいので、周りが常にはらはらしていたら萌える。ただ、お茶子の伝説に出てくる義秀は嫉妬深い上にキレ方も苛烈なので、ぷっつんいくと怖いよ!な具合だったのでしょうか。そこら辺はきっと六角の血だ(…) 顔立ちが氏綱お兄様に似ていると、個人的に凄く、良いです。定頼様がべろんべろんに甘やかしてるのが理想です。でも、義秀と義弼の二人は、結局仲違いしたまま、義秀が病没してしまったんですよね。義秀が没して、信様が危惧した通り、義賢(承禎)と義弼が近江に入り、長政と接触。長政は義賢・義弼父子に呼応し挙兵する、となるわけでしょうか。『言継卿記』の元亀元年四月二十九日のところに「江州へ六角出張云々、方々放火云々、北郡浅井申合、信長に別心せしむ云々」とあるそうな。つまり、近江へ兵を向けた義賢・義弼父子と申し合わせ、長政が信様から離反したという内容で合ってるのかな。
 色んな小説では、信様上洛→あっさり観音寺城落城(いっそこれすら無かったりする)→以降登場無し、といまいちぱっとしない六角ですが(…) 信長包囲網の一翼として、二万の兵を率いたり、志賀の陣では信様と和睦をしたりしているので、結構重要な位置にいたのではなかろうと。
 そんなこんなで、相変わらず六角にはすはすしてます(…) 実は今、戦国にまったく関係の無い原稿にひいひいしているので、更新に中々手がつけられない状況です。急ぎ原稿を終わらせて、更新に着手する予定なので、御容赦下さい!

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2009/08/14 (Fri) 治長諸々


 古田織部と治長の師弟関係を妄想すると、凄く胸が苦しくなります(病気です)
古田織部が極意をつづった『織部百カ条』という本の興聖寺に伝来したものには、奥付に「大野修理殿へ」と書いてあるらしく、はんぱなく妄想を掻きたててきやがります← 大坂の陣の戦火に巻き込まれず現存しているということは、きっと治長が戦いが始まる前に、どこかの誰かへ預けたんだろうなぁと。しっかりと書かれた治長の名前は、何度も削られた痕跡があり、けれども消えず残っているらしいです。豊国神社の石灯籠と良い、治長の名前はくっきり残る宿命にあるのか← きっと、大坂城が落城した後、徳川に刃向かった「罪人」の名前として、消さざるを得ないという状況になったんでしょうね。結局消えなかったみたいですけれども……何か、えらい涙腺が緩いんですが。何だ。歳か。
 伊賀耳付水指破袋についていた水指に対する評価の紙が治房宛てだったのを考えると、治房も織部の弟子だったのかしら。それとも、治長が仲介になってあげた、とか?治長が織部の茶会に呼ばれた時、伊賀ものの水指を持参していたらしいので、もしかしたらその時の水指が、伊賀耳付水指破袋だったのかもしれません。

 追記に、若干治長絡みで下品な話を!(いつものこと過ぎる)

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2009/08/13 (Thu) 拍手お返事




 拍手を押して下さり有難う御座います。
 追記に、ブログ拍手お返事をば。

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2009/08/13 (Thu) 肖像画と神号と滾る二人



 秀吉の肖像画を拝みに、畠山記念館まで行ってきました。近衛信尹が賛を書いていて、ちょっと意外だなぁと。あと、描いた人が伝・狩野山楽とのことなんですが、山楽が描いたとされる秀吉肖像画の画稿とは随分顔が……。運慶快慶みたいに、殆ど弟子に作らせて、あとは師匠がちょいちょいと手を加えるやり方で描いたんじゃん?と一緒に行った友達が言っておりましたが、どうなんでしょう。というか、誰が描くのを依頼したんだろう。
 あと、秀頼が八歳の時に書いた豊国大明神の神号も展示されていまして、おおおおおと。一生懸命書いたんだろうなぁやら思ってしまうと、もう駄目だ、おいちゃんは泣く← 八歳(数えだから七歳ですけども)なら、もうそれなりの分別もついてる年頃でしょうから、今書いてる神号が、自分の死んだ父親のことだって分かりながら書いてたのでしょうか。飲んだお茶も美味しくて、部活で使ってるお茶より絶対数段良い抹茶を使ってるに違いない← まず確実に柏木ではないな!←←



 そして、凄く上の内容と関係無いのですが……千熊(三好義興)×聡明丸(細川昭元)は大いにありなのではないかと、最近思えてきました(膿んでます) 「せんくま、せんくま」言いながら義興の後を付いていく昭元は可愛くないですか!?(…) 長慶の手元で昭元は育てられたわけですから、義興とも一緒だったんだろうなと。人質として三好家に送られてきた昭元(七歳)の出迎え役が義興(十三歳)って貴方一体何事。おまけに、昭元の母親は定頼様の娘ですから、昭元は義弼の従兄弟にあたるわけですね。義昭が信様に奉じられて上洛してくる頃、昭元は義栄を担ぐ三好三人衆に細川家の当主として擁立されていたので、義弼が信様に従わなかったのはこの辺りの親戚関係が作用していたのでしょうか。『信長公記』によると、義昭を奉じて信様が上洛する際、従うなら天下所司代を仰せつける、と六角家に打診していたことに妄想を掻きたてられました。 絶対信様、定頼様のファンだって(…)
 これが定説だと、その話を六角家が蹴り、信様に攻められ没落する、というルートを辿るわけですが、氏綱から繋がる六角宗家が存在した場合、宗家(六角義秀)は信様に従い、箕作六角家(六角義賢・義弼)は抵抗し、箕作六角家は没落する、というルートになります。どちらにせよ、結局六角家は織田家から離反するので、『信長公記』にその辺りの顛末が書いてなくとも不思議ではないように思うのですが……。ここはやっぱり、六角宗家が存在した説に一票で。
 あと、義興×昭元は萌えるにも一票で(…) 十代の甘酸っぱい関係を期待したい← 秀次→→→秀勝(お次)もそれに似たものを感じます。十代の苦甘酸っぱい感じで。いや、この二人は苦みが強すぎるような気も……。秀吉が秀次に送ったお説教の手紙に「お次は病弱なんだからお前がしっかりしないと駄目だろう!」的な内容のことが書かれていて、えらく滾りました。何、一体どういう関係なのあの二人。

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2009/08/11 (Tue) 爬虫類攻め



 ちょっとばたばたしていてここに書きにこれませんでした。昨日書こうとしたらメンテナンスとか!
昨日は乙式でご飯食べてました。13に龍興のデザインをしてもらったらものの見事にショタになった罠。「半兵衛なんて嫌いだもん!」とか言い出しそうな感じになりました← あとは長政さえ完成すれば、1540年代生まれ信長包囲網三人組が誕生します。 あと、アリプロの「GOD DIVA」という曲が、あれ、木沢長政ソングなんじゃね?と。何か、うん、木沢です。
 モンハンを13とやっていたら(私のプレイキャラの名前がharunagaなんですが)うっかり、ガブラス×治長とかね!ガブラスのあの尻尾は性的過ぎる。だって、ガブラス数体に治長囲まれちゃってたものだから……ねぇ?いや、何か、色々ごめんなさい。まさかの爬虫類攻めだ。

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2009/08/09 (Sun) 拍手お返事



 拍手を押して下さり、有難う御座います。
 追記にブログ拍手お返事をば。

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2009/08/09 (Sun) 感想 六巻


 センゴクの最新刊を読んだんですけれども、やっぱり熱くなります。戦国時代の漫画は数あれど、私はセンゴクが一番読んでて熱くなる且つ、安心して読めるなぁと。長曽我部ファンの人は、読んでてイラ☆とくる漫画なのかもしれませんが……仙石家が愛おし過ぎる。あの一家にはずっと平和でいて貰いたい。あと、顕如が大好きになる漫画です← 格好良いよ格好良いよ顕如。謙信はカリスマすぎていっそ電波でしたけどもね!ただ、謙信、もしかしたらあんなだったかもしれん(…) よくよく考えると訳わかんない人過ぎる。大学の歴史学科の先生が「謙信は頭おかしいから!」と断言するのも、頷けてしまうようなげふんごふん。当時の人としてはあり得んくらい感情的な書状を書いて、佐竹さん家に送りつけていたそうな。謙信。あと、景勝も同じくらい感情的な書状を送りつけていたそうな。佐竹さん家に。一体佐竹さん家に何の恨みがあって。ただ、登場した景勝がめっちゃ男前でちょっとテンション上がりました。何だ、何だあの押し倒したくなる感じは。景虎も……あ……あれ……関東一の美少ね……あれ……?な具合が、良い(お前)
 毛利家 参 戦 の様子が見開き2Pドンで、出てきた瞬間うぉおおおとなりましたし、かずらたん可愛いよかずらたんになりましたし、顕如が孫一に対して織田家に勝った後、作りたい世について語るシーンにぐっとくるもののあったんですが、私の目はやっぱり藤吉郎さんを追っていた…!巻を追う毎に美人になってってる気がするんですけども一体どういうことだ。私へのご褒美か(違う)
 神子田さんが登場した瞬間に、伊東さんを思い出しました。伊東さんのお舅さんだもの。多分きっと、後に伊東さんが(一説によると)徳川方へ内通する原因の一つになった人なんでねぇかなぁと、妄想しています。あの黄母衣衆の中に、いずれ伊木さんも混ざるんだなぁと思うと、によによが止まらない。
 途中で出てきた新入りの茶坊主っていうのは、三成のことなのでしょう、か。背が小さいし、色白っぽいし、まだ若そう(むしろ幼そう)な風貌で、おまけに着ている着物に九曜紋がついていたので、何となく。
 とにかく、ごちそう様でした。


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2009/08/07 (Fri) 戦傷



 かのんがめちゃくちゃ滾る又兵衛×治長前提、治房→治長前提の又兵衛+治房を描いていたんで、それに触発されて何か又治的なSSSを書こうと思ったんですけれども、いざってなるとなんか上手く出てこない…ッ こう、喉元でもやもやしている感じと言いますか。妄想の九割が裏的な雰囲気になってしまっているので、そのせいとも言う← 治房は多分、又兵衛のこと嫌いなんでねぇかなぁと思います。治房をおびき出した隙に陣所を焼く、という作戦を立案して実行しようと決めたのは治長ですけども、実際に実行したのは又兵衛の兵ですし。いや、でも、又兵衛の所に夜討の仕方を聞きに行ったとも書いてるのもありますから、わ、わかんねぇ!(お前)


 ということで、追記に限りなく+な又兵衛×治長でSSS崩れを放っていきます。


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2009/08/05 (Wed) アンケート



 9/1までアンケートを設置しておくことにしました。6/24に設置して、二か月くらいおいておこうかなぁと思っていたので、いっそのこと9/1まで置いてしまおうかと。ということで、6/30の段階で票が入っていたもの一覧と、消化済みのものを書きだしてみます

行清(消化済み)
・小六×秀吉
・又兵衛×治長
為広×吉継(消化済み)
・大坂面子
・浅井、六角

 ………すみませんごめんなさい、遅筆ここに極まれりで本当にごめんなさい。

・養子ズ
・長浜ズ
・豊臣家全体

 にも、有り難くも票を頂きましたので、頑張って一通り書かせて頂きます!書くのが遅くて本当にすみません。漲りを頂いております!9/1の段階で一番票の多かった項目を一定期間集中更新!という感じにするかもしれません。

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2009/08/04 (Tue) 官位とか


 一日間に合いませんでしたが、どうにか秀頼誕生日おめでとう!的な話をアップできました!ただ、急ぎで書いたものなので、いつか手直しするか、抹消するかしているかもしれません。
 話は飛びますが、治長の官名は修理亮ではなく、修理大夫がやっぱり正しいんですね。慶長九年に治長が豊国社へ寄進した石灯籠に、大野修理大夫と刻んであるそうな。あと、義演さんの日記にも、修理大夫と書かれているので、修理大夫だろうと。修理亮を名乗っていた時期が、もしかしたらあったのかもしれませんが、大坂の役の時には、もう修理大夫だったっぽいです。もしも自称でなかったら従四位下なんですけども、片桐さんの東市正が正六位上だから、確実に自称ですね←

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2009/08/03 (Mon) 六角とか


 ごごごごごめんよ秀頼!今の内に謝っておきます!今年も誕生日を忘れてましたぁああ!3日が誕生日だったんですよね……去年、来年こそはちゃんとやる!と決めたのですけども、結局なんだかんだで何も準備が出来なry 明日はばたばたしてしまうので、何か出来る自信が大いに無いのですけども……い、今からちょっとあがいてきます!
 そして、ついでに『近畿・近国の戦国合戦』の感想をちょろっとだけ。まだ序盤の方までしか読めていないのですけれども、は、畠山義就と畠山政長の戦いが泥沼合戦過ぎる件について。高吉、高広の二人に通じるものを感じる。ちょいちょい大和の方々の名前も出てきまして、ふおおお…!と。いまいち河内畠山家と、能登畠山家の関係が分からないのですが、能登畠山は畠山家の有力な分家ということで良いのでしょうか。六角宗家を後見する家柄である定頼様から続く六角家が、能登畠山家と重縁を結んだというのには意味がやっぱりあるような。能登畠山家は、六角と結ぶことで本願寺との繋がりを作りたくて、六角家としては、能登畠山家と結ぶことで、河内畠山家との繋がりを強くしたかったという感じなのでしょうか?(知らないよ)
 義弼のお母さんは、能登畠山家の当主であった畠山義総の娘なんですけども、義弼が四歳の時に亡くなっているみたいなんですよねどうやら……。義弼が長政のこと羨ましいとか思ってたら、もうどうしようどころの騒ぎじゃないですよ。あ、阿古さんに甘えさせて貰ってたら駄目かな!?← おまけに、義賢の継室である、土岐頼芸さんの妹さんが産んだ高盛の生年は1547年で、義弼ママの没年と同じ。元々別妻としておいていた土岐頼芸さんの妹さんが、そのまま正妻に昇格したということなのでしょうか。当時の土岐家の状況を考えると、いくら名門とはいえ、一族の娘を正妻ではない立場として差し出すのも仕方が無いような。阿古さんが親六角路線だった久政を支えていたのは、夫の政策に賛同していたからだけじゃなく、幼少の頃の義弼と親交があったからというもの理由にあると良いな、と、夢を見てしまいます← いや、土岐頼芸さんの妹さんが義弼を可愛がってくれていれば良いんですけれども。でも、義弼が斎藤義龍の娘を、父親である義賢に無断で娶ろうとしたのには、若干あてつけ的な意味合いもあったんじゃ、なんて邪推してしまいますが。義弼が結局義龍の娘を娶ったか未遂に終わったについては、未遂に終わったんじゃね?という説もあるようですが、娶ったという路線でここではいこうかと!そっちの方が萌える!という他に、六角と斎藤で浅井を挟撃したりしているので、そんな同盟関係が出来あがったのなら、やっぱり娶っただろうと。

義弼「俺のこと、義兄さんって呼ばせてやるよ」
龍興「頭蓋から洗ってきた方が良いんじゃない?」
長政「どうでも良いことをのたまう前に、お菓子を食べるのだから手を洗ってきなさい。取り上げるぞ」
義弼・龍興「「えええええええええ」」

 というやり取りを、やらせたい……っ!(頭が膿んでるだけです)
三人の中で一番年長の癖に、最年少の龍興と精神年齢が同じ六角義弼。保護者は言わずもがな長政。義景兄さんの面倒だって見るよ!← ここに顕如も加えてきゃっきゃうふふさせたい…!
 あと、やっぱり第一次の時も、第二次の時も、六角征伐の時の高頼ダディは格好良すぎる。甲賀衆に何であの人あんなに懐かれてるの…?おまけに、伊賀衆二百人までもがダディに呼応し蜂起する、なんて噂も流れるダディ一体どうなってやがるんだ。二回将軍から征伐を受けても生き残るダディは本気ではんぱないと思いますまぁダディにどう考えても非があるんですけどね!(…)

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2009/08/02 (Sun) 主従


 今まで書いた大坂の話を確認していたら、又兵衛の登場率がやたらと高い気がしました。治長絡みでも重成絡みでも登場するからでしょうか……。その割に、一番書きずらいのも奴です← 一番書き易いのは重成なんですけれども。治長は、テンションの高低が地味に激しいので微妙に書きずらいです(…)
 今日はちょっと、秀吉と治長の主従について妄想していました。あんまり治長が秀吉に忠誠を誓っているイメージは無いのですが、よくよく考えてみると、十四歳~十六歳くらいの頃に秀吉に召し抱えられたんですよね。となると、案外茶々や秀頼に対してだけでなく、秀吉に対しても忠誠心というのはあったのかもしれません。ぶっちゃけ、そっちの方が個人的に萌えrげふんごふん。いや、だって、陣にしろ屋敷にしろ、秀吉に近すぎるんですよ!憎しみと忠誠心の板挟みになっている治長も美味しいですね(お前) 

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2009/08/01 (Sat) 帰宅報告


 本日、無事帰ってまいりました。取り敢えず、にゃんまげ怖い←
家に帰ったら、『畿内・近国の戦国合戦』と『太閤史料集』と『歴史と旅』が届いていてうっひょひょーいです。載っている治長に関する記事だけ目的で買った『歴史と旅』を真っ先に読んだのですけども、ちょ、ちょっとだけコメントに困ったと言いますか。植村清二先生の『歴史と文芸の間』に収載されてる治長についての論考を、少しいじっただけの内容ってどうなの……。ただ、城外出撃策を治長が却下したという話についても言及していたのは、興味深かったです。私は城外出撃策自体無かったものと思っているのですけれども、この記事は無かったとまでは書いてはおらず、誰が城の主将になったとしても、籠城策をとっていただろうという考えになっていました。さすがに、あの短期間で京都を占拠するのは無謀だろうなぁ……と。6日と7日に盛親、又兵衛、仙石宗也斎、明石さんその他大勢の牢人が入城していて(勝永、幸村の入城した時期は不明)同じ月の16日には、もう高虎が山城国に着陣、20日には、松平忠直が京都の六条に陣を敷いています。もしも大坂方が、纏まり?何それ美味しいの?じゃない集団だったなら、高虎が山城国へ着く10日以内に京都を占拠するなんてこともできたかもしれませんけども。ねぇ?← でも、例え占拠が出来たとしても、その頃には続々と近江へ軍勢が集まっていましたから、すぐに囲まれて、もちゃっとされてたと思いますが。
 ということで、これからじっくり『太閤史料集』を読んでこようかと!綺麗な殿下もエグい殿下もお腹一杯堪能したいです。

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