何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/09/29 (Tue) 浅井とか井頼とか1490年とか


 茶々の弟と言われる浅井周防守井頼は、夏の陣の五月七日は、勝永の組に属して先手を務めていた模様です。井頼も色々と気になるのですけども……茶々の弟と言われていますが、浅井家の分家で「井」を代々の偏諱にしている家があるのを考えると、そっちの家の人なんじゃ?とも思いますし。何にせよ、あの勝永の先手を務めたということは、七日相当頑張ったんだなぁと。余談ですが、熊之介という息子がいたそうです。
 あと、この間、長益の息子の名前を長頼と書いてましたが、頼長の間違いでした……!本当にすみません!よ、頼が上だった模様です。

 話が飛びますが、1490年間、ほぼ一年ごとに凄まじいのが生まれている件について←

 1491年-畠山義総
 1492年-浅井亮政
 1493年-朝倉孝景
 1494年-斎藤道三
 1495年-六角定頼
 1496年-太原雪斎
 1497年-毛利元就

 私の調べが足りないだけで、まだまだ1490年代生まれの凄い人がいそうで怖いです(…)

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2009/09/27 (Sun) うっかり


 ポケモン買っちゃいました!
ハートゴールド?ソウルシルバー?何それ、美味しいの?時代はダイヤモンドだろ!……すみませんごめんなさい、だって店に置いて無かったんだもん……!あと高かったんだもん!!というわけで、時代に逆行する反骨精神で、ポケモンのダイヤモンドやってます。プラチナですらない。金銀で私の中のポケモンは時を止めていたので、見知ったポケモンが出てくると無駄にほっとします。外国で日本語聞いた時みたいな← 主人公の名前はシンクロウで、ライバルはシロウにしました。い、石を投げないで!本当は女の子にして、ちゃちゃにしようか迷ったんですが、何だか気分が長政と義弼の気分だったもので。ライバルが出てきて主人公と会話するたびにニヨニヨしてます← 新九郎が、四郎に絡まれてる…!あと、主人公の名前を新九郎にしたので、主人公のお母さんを勝手に阿古さんと呼んでます(お前)
 あと、古本屋で見かけたので『島左近のすべて』という本も買ってみてしまいました。まだぱらぱらーとしか読んでないんですけれども……順慶と左近の主従にテンションがうなぎ登りになりました。順慶が三歳で家督を継いだ時に、左近十二歳って!何か本当もう、順慶の守護者な感じが、堪りません。ゆっくり読み進めていこうかなぁと。

 

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2009/09/26 (Sat) 九月一日の幻想


 もう大分小谷城の落城した九月一日は過ぎてしまいましたが、まだ九月中ということで、微妙に本当に微妙に、それに絡んだ饗庭局×大蔵卿局でSSS崩れを追記へ放ってみます。百合要素大いにありなので、苦手な方はご注意下さい。
 小谷落城~北ノ庄落城までの間という具合で。

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2009/09/23 (Wed) 六角本その2



 引き続き届いた本を読んでいます。義賢の斎藤さん家への呼び方が「国盗りの被官人」だった衝撃。本当に嫌だったのねー…。だがしかし、そんな義賢と義龍の年の差が六歳程度だというのに滾らずにはいられないです← 
 それから、定頼様が杉山さんという人に出した感状に萌え滾った件について。お決まりの文句(忠節尤もとか)の後に「怪我の具合はどうですか?心もとなく思います。養生が肝要ですよ」と書いてありまして!よし、杉山さん!私と代われ! 私も定頼様にそんなこと言って貰いたいよぉおお!(…) 羨ましすぎる。でも、杉山さん家の感状を貰っている量が半端ないです。何者なんですか杉山家。一番槍だわ、九里宗忍という人を討って滅茶苦茶褒められてるわ、定頼様からの感状に「毎度この如く」とありましたから、合戦の度にそれなんですか杉山さん。おまけに、高実ちゃんからも感状貰っちゃって!大永五年の感状なんで、この頃はまだ高実ちゃんは梅戸への養子に行ってなかったということなんでしょうか。杉山さんの家は、伊庭さんの跡職を貰う話をしていたりしますので、六角にとって割かし重要な国人だったのかもです。
 大永六年に、定頼様が朝倉勘解由左衛門という人に宛てた書状を見るに、大永五年に亮政と定頼様が争った時やってきた朝倉宗滴は、浅井の味方ではなく、六角側として小谷城の曲輪に陣取ったらしいです。浅井家について書いた本で見かけたことはありましたが、その書状をちゃんと書き下し文でも読んだのは初めてなので、ほえーと。その書状では、宗滴(書状の中では教景と呼ばれていますが)が六角についてくれたことにお礼を述べていたり、長い在陣でお疲れでしたでしょう、とか書いてありました。なので、長政の代の浅井家が織田から離反したことに、朝倉家はあんまり関係無いんじゃないのかなぁと。織田家から家臣として扱われていることに、我慢ならなくなったんじゃ…とか邪推してしまいますが。あとは、近江に帰ってきた義賢・義弼父子がどう唆したか、ですけども← 
 何にしろ、長政と義弼が一緒にいるだけで私は満足です(…)

 

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2009/09/22 (Tue) 六角本



 『戦国遺文 佐々木六角氏編』が届きました!
早速中身をぱらぱら読んでみたわけですが、早速冒頭の序で「怪しげな編纂物や系図に基づいた佐々木六角氏論が横行している現状を憂い~」……さ、佐●木哲のことかぁあああ!← いや、好きですよ●々木哲さん。諸手を挙げて賛成出来ない部分もありますけど(江州宰相=義久の論とか、義景兄さんは果たして本当に義久の子なのかとか)納得出来る部分もありますし、何より面白い(お前) 
 ちょwww電波なんですけどこの人wwwwで片づけるには、無視出来ない要素がいくつかあるんではないかろうかと。幾らなんでも、江源武鑑以外の史料にも義久系統とされる人の名前が出てきたんじゃ、あれ全部沢田源内の工作だから!とは言えないような。もしも全部源内の工作だったら、源内のバイタリティぱねぇ!という話に(…) そんなこんなで、●々木哲さん路線で行きますよ!← そっちの方が妄想のし甲斐があrげふんごふん。


 肝心の本の内容ですけども、義弼に手を焼く義賢お父さんに萌えました。義弼、本当にあんたやんちゃだったんだねぇ……と。まだしっかり読めてはいないのですが、義賢が義弼に関して「折檻」やら不穏なことを書いていました。お、おおおおお父さん!
 それからかの有名な、斎藤ありえねぇんですけど!をひたすらに綴った義賢お父さんの書状も読みました。この書状が発見されて、道三の国盗りは道三一人ではなく、道三のお父さんと道三の父子二代でなしたものだということがはっきりしたそうな。この書状……すごく……長いです……。これ書いてる時の義賢父さんを想像すると笑えてくryげほんごほん。多分、えらい勢いで書いたんでしょうね。現物はバスタオル二枚分くらいの長さになってるんじゃねぇの。義賢お父さんの斎藤家に対するイ"ーっ!ぷりは半端ないです。あと、定頼様への心酔ぶり。自分が六角の一族ということと一緒に、「定頼様の息子である」ということも誇りにしてるんじゃないのこの人、という気がしました。
 以下、超意訳でその書状の面白かった部分を。

・うちは宇治川以来名誉の名字として今に残ってるのに、この代で卑怯の代名詞として物語や草紙に書きとめられちゃうとか、主従共に恥以外の何だってのよ!
(土岐さんをこの時預かっていたんで、斎藤家の娘を迎えて斎藤家と結ぶことは義賢お父さんにとって卑怯なことだった模様です)

・斎治(義龍のこと)が言うことに耳を貸してはいけませんって、何度も公方様に申し上げてるんですよ!(あの子と遊んじゃいけません!ということでしょうか)(…)

・伊勢守(伊勢貞隆のこと)と斎治が縁を結んだ時、伊勢守の京都への荷物をこっちで差し押さえて返さなかったんだからね!(お父さん、それなんてイジメっ子)

・斎治は父親と義絶し、弟達を殺した上に父親と戦い挙句その首を獲った。この如く悪行をやってのけて欲しいままに成り上がった奴が、長続きすると思っているのか?美濃守殿(土岐頼芸のこと)を当家に預かり置きながら、斎藤が大名などに昇進することは当家の面目を失することである。日と月が地に落ちでもしない限り、天道はその罪から逃れさせはしないというのに、そんな家と縁談の話を進めるなど、名声と利の二つを失う所業である。義弼は江雲寺殿(定頼様のこと)の天下隠れ無き孫であるのだ。だというのに、斎藤との縁談は先祖に対する不忠である。佐々木家末代のかきん(家訓?)をしかと考えなさい。公私共に、侮辱と同然である。
(義賢お父さん、とにかくキレてます)

 他にも色々あって、むしろあり過ぎて面白いんですが。義龍に関して「あいつは首に縄をつけてもやってきやしねぇよ!」とか(…) 多すぎるんで、割愛で。義弼のことを、定頼様の天下隠れ無き孫と述べている辺り、義賢は定頼様のこと本当に尊敬しているんだなぁと。むしろ、心酔?← もしかしたら、父親に対するありようの違いで、義賢は義龍のことを受け入れられないのかもしれないようなそうでもないような。定頼様・義賢父子と、道三・義龍父子ではありようが違い過ぎますから……。定頼様を滅茶苦茶尊敬しているっぽい義賢としては、義龍の父殺しが許せないのかもです。義龍としては、しょうがねぇじゃん!でしょうけども。
 でも、なんやかんやで結局最後は手を結んでる辺り、熱いです。義龍から六角家へ送られてきた書状が紳士で、義賢お父さんのイ"ー!なさっきの書状を読んでから読むと、すごく、噴きます…。本当に、六角・浅井・朝倉・斎藤のご近所さん達が素敵過ぎます。因縁が深すぎる。しかも最後は、ご近所さん達揃って信長包囲網に加わるとか!熱い!もっとちゃんと、斎藤と朝倉の勉強がしたくなってきました。では、もうちょっとじっくり読んできます。

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2009/09/21 (Mon) 戦国近江



 戦国近江カテゴリに、ずっと今までやりたかった、浅井・六角の長編の初めの初め(…)をアップしました。アンケートで票を頂いていたので、丁度良いかなと!票を頂いたものを一通り書かせて頂き、行清集中更新期間もやらせて頂いた後に、しっかりと一章から書いていく予定です。ものっそい時間がかかること請け合いですけども!果たして、長政と義弼の時代まで辿りつけるか否か(お前) 
 序章の中に出てきた見久尼さんですが、この人は長政の姉である人です。亮政の娘とも伝わりますが、恐らく、久政が亮政の侍女との間にこさえた子なので、亮政の子として寺へ入れられたそうな。小谷城が落城した時、長政は見久尼さんに市や茶々達姉妹を託し、見久尼さんは母子を匿ったという伝説が残っています。後に秀吉から厚遇されていたり、茶々が見久尼さんの追悼を行っているのを見るに、何かしらその伝説に近いことはあったのではなかろうかと。ということで、百年華影の話の中では、小谷落城後、市や姉妹を匿ったのは見久尼さんということにしました。大柄な女性だったようで、五尺八寸あったと伝わっています。
 ということで、仮設定のところに六角家を加える作業をちょっと頑張ってきます。

 
 

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2009/09/21 (Mon) 拍手お返事




 拍手を押して下さり、有難う御座います。
 追記にブログ拍手お返事をば。

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2009/09/21 (Mon) 本購入




 ついに買ってしまいました。
 

戦國遺文―佐々木六角氏編戦國遺文―佐々木六角氏編
(2009/05)
村井 祐樹

商品詳細を見る


 18900円也!でも後悔はしてませんよしませんとも!
応仁~天正までの六角家の文書がつまってるなんて……暫く夕飯が白米にふりかけの生活になりますが、良いんです。義弼と長政の関係を考えると、凄く、叫び倒したくなります(…) 九月一日に長政が切腹して、九月四日に、義弼は籠もっていた鯰江城を立退き開城ですから、長政が切腹してから三日間は踏ん張っていたんだなぁと。同じ年の七月から、佐久間信盛さん、丹羽さん、蒲生賢秀、柴田さんに攻められ、三ヶ月はもったということでしょうか。というか、攻め手の顔ぶれすごいな……賢秀は良いとして(多分、籠城兵の殆どが六角旧臣か甲賀衆だったでしょうから、賢秀さんがいれば内通や降参する人が出てくると考えたんじゃないかと思われ)柴田さんに佐久間さんに丹羽さんて。野洲の戦いといい、鯰江城での籠城戦といい、義弼は良く佐久間さん+柴田さんコンビと戦いますね。ことごとく負け続けてるわけですが← 
 もしも朝倉宮増丸に協力して、朝倉氏の再興計画に携わっていた佐々木源兵衛という人が義弼のことだったとしたら、せ、切な過ぎる……。佐々木源氏の人は、佐々木佐々木呼ばれててえらい紛らわしいです。どこの佐々木さんなのか官名で判断しなくちゃならないとか!とにかく、鯰江城を開城したあとも、義弼と義賢は裏で色々と動いていたと思われる痕跡が残っているらしいです。高盛ちゃん(義賢の次男)が甲斐の武田氏を頼って、武田滅亡後に色々アレな目にあったりもしていますから、勝頼に織田のこと何とかしてよ!と頼んだりしてたのかもしれません。北畠にも再興運動があったようで、あんまり表には出てこないことを探ってみると、何か面白いことが分かりそうな。義賢が能登辺りにいた痕跡(肖像画が残されてる)があるのを見ると、やっぱり一揆と結ぼうとしていた…とかでしょうか。この辺は、要勉強な気がします。
 抵抗を続ける義弼の脳裏には、長政のことが残り続けていたら良いのにと、結局そんな落ちになってしまうんですが!そんなこんなで、本が届くのを正座して待っていようかと思います。

 

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2009/09/19 (Sat) のぶやぼ


 のぶやぼの天道(でしたっけ?)(…)に、定頼様が出てくるそうな!おまけに能力値もそこそこ高いみたいで!
 政治→97
 統率→86
 武勇→62
 知略→82

 だそうです。何やら内政も合戦も出来るらしいですよ定頼様!……ち、畜生、欲しくなってしまったじゃないの!でも、欲を言うなら、統率と知略は9越えして欲しかったなぁと。あと、亮政も出ているようです。亮政の能力値は、
 政治→82
 統率→93
 武勇→91
 知略→80

 つ、つえええ……亮政つええ!

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2009/09/18 (Fri) 六角家の五人


 ぼけーっと、定頼様の五下僕(蒲生定秀、後藤高恒、進藤貞治、三雲定持、目賀田清綱)のデザインやら性格を妄想していました。定秀と定持の他の面子の名前は、なつさんに教えてもらって初めて知りました!有難うなつさん!この後藤高恒さんの息子と孫が、後に義弼に謀殺されるわけですね……。定持はふんちらキャラにしたい(…)

蒲生定秀→定頼様の懐刀。定頼様依存症。定頼様>>>>>>|||||(越えられない壁)|||||>>>>>>>>>>六角家。いつか亮政の首を獲ってやると誓ってる。
後藤高恒→六角家を守る双璧の一。神経のふてぇおっさん。定頼様というより、六角家そのものの守護者。いざという時は定頼様ではなく、家督の義久を優先する。むしろその辺を定頼様に気に入られてる。五下僕のオトンでありオカン。
進藤貞治→六角家を守る双璧の一。微高恒依存症。美意識が妙に高い。こちらも、定頼様というより六角の守護者たらんと努めている。ただし、大分定頼様オーラ(…) に酔わされてる。
三雲定持→定頼様の飛び道具。飄々としている上に不遜だけれども、実は一番定頼様への忠誠を誓っているかもしれない。天井裏とか床下が別荘。義弼のことを猫可愛がる癖がある。
目賀田清綱→六角家の百科事典。代々の六角重臣な家柄だけあって、威勢を張ろうとするけど、高恒に俵担ぎにされて終わる。

 今の所こんなキャラで妄想しています。この五人の中で、義弼の時代まで生きているのは多分、定秀と定持だけなんですよね……。ちょっとだけ寂しいです。おまけに定持は、最後まで義弼に付き従っての討ち死にですから。おおおおお……です。

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2009/09/15 (Tue) 孝蔵主~糺


 案の定、関ヶ原合わせで何も出来ませんでし…た…!関ヶ原に関して、ドがつく勉強不足なので(…)まずは、そこから頑張らなくては。大津城の開城交渉に、孝蔵主(ねねの使者)、饗庭さん(茶々の使者)、海津尼さん(茶々の使者。饗庭さんの母親であり、亮政と蔵屋さんの娘である鶴千代さんと同一人物と推測される。孝蔵主と出身の寺が一緒)が向かった、という話はなるべく早く書きたいです。城は開城間近でしたから、どちらかというと、龍子さんの身を無事保護するというのが目的だったんじゃないかなと。饗庭さんと海津尼さんは、龍子さんを護送し京都へ向かった一行に多分同行したとして、残った孝蔵主が拘留され解放されるまでの顛末に、えらい妄想をくすぐられます。そもそも、何で孝蔵主城に残っちゃったの!という突っ込みも入れたいですが、孝蔵主のことなので、城代の手配とか細々とした後処理をやっていたような気がします。その間に本戦で西軍が負け、孝蔵主は拘留され、時慶さんがまさかのお百度参りと← 
 孝蔵主絡みで、大坂の役の時も、孝蔵主が交渉に動くという噂が公家のみならず籠城している兵の間にも流れたそうな。むしろ、又兵衛の組下だった長沢さんレベルの人だと、冬の陣講和の使者としてやってきたのは、龍子さんと孝蔵主だと思っていたらしい節があります。実際やってきたのは初ですから、龍子さんはニアミス、でしょうか。孝蔵主に関しては、どうやら後に孝蔵主の養子になる川副重次という人が大坂に籠城していたらしいです。落城後に秀忠へ仕えたそうな。孝蔵主は家康の頼みで秀忠に仕えた、という話があるので、孝蔵主が重次の助命嘆願をした可能性はあります。
 そして、まったく孝蔵主とも関ヶ原とも関係無いのですが、糺の家が少なくとも天明六年(1786年)まで続いているのが確かなようなことに、胸がじーんとしました。『寛政重修諸家譜』に記載されている分で天明六年までなので、もしかしたら幕末まで、更には現代まで糺の子孫(間に養子とか入っていますから、糺の血とは言えませんが)が続いているのかもしれないと思ったら、こう、おおおおお!と。
 糺の子である守が南禅寺から還俗し、徳川綱重(千が育てた家光の子)に最初から500石で召し抱えられたのは糺の子だからという理由に、テンションうなぎ登りです。糺の子だからって……! 守は自分の父親のことを覚えていたんでしょうか。出来ることなら、覚えていて欲しいです。顔は覚えていなくとも、手とか。槍の名手だった糺の手は、豆だらけだと思うのですよ、多分。渡辺家も、もうちょっと色々情報があれば妄想したいんですが。奥さんとか奥さんとか奥さんとか。糺の奥さんって、一体どこの家の人なんだろう。それ言っちゃうと、治長(織田家なんじゃね?と推測されていますが)、治房、治胤の嫁さんが気になりまくるんですけども!

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2009/09/14 (Mon) 狂犬と飼い主崩れ


 前の記事に書いた又治同盟の肥やしにするために、治長と又兵衛絡みの史料纏めようかなぁと、今までコピーとらせて貰ったのを漁っていました。確か、治房の陣所焼く時に、又兵衛と治長の二人が額突き合わせて悪だくみ(…)してる感じのがあった筈!とがさがさ漁って十分後には団右衛門×治房の波が来てたんだぜ、な、何言ってるのか分からねぇと思うがry
 『大坂御陣覚書』によると、治房の陣所が焼かれた時、団右衛門は手際良く部下を纏めて城へ戻ってきたわけですが、丁度そこで織田長頼の組が見張りをしていまして。団右衛門がやってきたのを見咎めた長頼が馬でやってきて「お前の所為だぞ団右衛門!お前が主馬を城へ入れないから、こんなことする羽目になったんだろうが!言語道断だ!」と団右衛門を叱るわけです。……つまり、治房が「一戦しねぇ内に戻れるか!いっそ俺のことは切り捨てやがれ!」とか言い出したのには団右衛門が絡んでいた、と?(…) 囚われの治房とか、何だ、どこの御姫様だヒロインだ(お前) あと、地味に、悪いのは治房ではなく団右衛門!なことを言ってる長頼にも萌えましたけども。長頼→治房もありなんじゃげふんごふん。長頼は、徹底的に駄目息子というイメージが払拭出来なくて困ってるんですけどね。だ、誰か、綺麗な長頼を見かけたら教えてください← 人間臭い所は好きなんですけども。治胤とまったく同じ猪熊事件に関わってしまって、京都を追いだされたという経歴の持ち主なので、治房的には、もう治胤には近づけさせたくないしぶっちゃけ生理的嫌悪があるけど、秀頼と茶々の親戚だからあんまり強くは出られない、みたいな感じで一つ。長益はともかく、長頼は牢人のみならず譜代からも蛇蠍のごとく嫌われていそうな……。おまけに本人、それを気にしていなさそうな。状況を徹底的に楽しむ人、何でしょうか。やることなすことフリィイイイイダァアアアム!!です(…) さすがに、遊女に鎧着せて、その遊女に夜廻りやらせたり、居眠りしてる奴を小突かせるのは良くないよ長頼……。茶々が鎧を着て見回ったせいで、城の兵の士気が落ちたという『駿府記』の話は、長頼の遊女の話とごっちゃになっている気がしないでもないです。人から聞いた話を書き留めたものですから、ごっちゃになってても不思議じゃないよなぁと。城主の母親や奥方が鎧を着て兵を鼓舞するというのは、戦国期の色んな籠城戦で見られた光景ですから。勿論、城にいた殆どが牢人ですから、忠誠を誓ってもいない一時の主君の母親が出てきて士気が下がった、という可能性もなかりしもですが。逆に、重成と糺辺りはめっちゃテンション上がってそうです。
 団右衛門×治房に話を戻しまして。小幡勘兵衛が間者だってこと、治房さんへ伝えてよ!という妙心寺の坊さんからの伝言を受け取ったのも団右衛門ですから、団右衛門の言うことは治房もしかして聞いたのかもなぁと。聞いたというか、団右衛門の言うことには聞く耳を持ったというか。いっそ裏部屋を作ってしまおうか心がぐらついてます。裏部屋という名の団右衛門×治房部屋(…) 思いつく話がこの二人ほぼ全部、アレ、なん、です…っ!(病院行け)
 それでは、又治の史料を集める仕事に戻ります← 

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2009/09/13 (Sun) お食事会という名の調きょ…講座


 「凰-OH!-」のなつさんとかのんと、お食事会という名の六角調きょ…六角講座をやっておりました← ぶっちゃけ、かのんを六角色に染めてやろうぜ☆という魂胆の元、なつさんと企てたわけですが、尼子の牙城は高かった!ち、畜生諦めないぜ!(やめなさい) 
 又治萌え三人が揃ったということで、その、まぁ、あれです。又治が少ない!寂しい!という嘆きから端を発し、いっそ、又治同盟作らないかい…? という、頭が涌いてる一歩手前な結論に落ち着きました(…) 又治以前に、治長の知名度が上がらないことには、又治の同志様が増えようもないんですが、良いんです。良いんです!電波に片足突っ込んでる同盟サイトのデザインも考えたので、あとは作成に着手するだけです。インデックスに又治同盟のバナーが貼ってあったら、ああ、あいつらやっちまったな、な生ぬるい目で見て頂ければ幸いです← 

 

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2009/09/11 (Fri) 戦国に関係無い話


 戦国とはまったく関係の無い話題で失礼します。
 ここ二日間、友達から借りた「ラッキードッグ」というBLゲームを狂ったようにやっていました(…)
もう……駄目だ……イヴァン何なのあの子……萌え死ぬ…。馬鹿でアホで実は頭の回転速くてでも馬鹿でアホで子供っぽくて手負いの野良猫みたいって何だその神がかった性格は!?ぎゃーとかわーとか声にならない悲鳴を終始あげっぱなしでした奥さん。まだ、イヴァンのルートはクリアする一歩手前な上に、他にはベルナルドのルートしかクリアしていないのですけども、ジャンとはイヴァンが一番しっくりきた感じに思えてしまった恐怖です。いや、ベルナルドはデイヴとで良いんじゃ(…) ベルナルドも出来る男風ちょい駄目おっさんな所が物凄く可愛いんですけども、だからこそデイヴと!←← むしろ二人の若い頃が知りたい。そして萌えたい、いや萌えずにおくべきか。愛憎に塗れた関係を十年続けてるわけですよ、もう貴方達どうしてくれよう!?ですよ(どうもするなよ)
 ベルナルドが多方面からくる報告を捌いて指示を与えているシーンで、治長もこんな感じだったのかなぁと思ったりもしていました。宣教師曰く、カピタノ・デル・グラン・バタリオネ(大軍隊の司令官)、ですから。ちょっと決めるシーンで、明石さんに「カピタノ・デル・グラン・バタリオネ」と治長のことを呼ばせたいかもしれません。
 マフィアの話なので、ちょっとその……大坂面子でマフィアというか極道妄想も、はい← かつては巨大な勢力を誇っていながら、次第に勢力を伸ばしてきた徳川組に押され、豊臣組は斜陽の憂き目に。若き組長・秀頼を頂くそんな豊臣組は、ついに徳川組との抗争を余議なくされ…みたいな(…) ぶっちゃけ、戦国時代って、極道の抗争を滅茶苦茶大きくしたような面もあると思うので、極道パロって凄くやりやすい気がします。シマ争いは領地争いみたいなものだし、跡目争いもやっぱりあるみたいですし。
 そんなこなんで、もう暫くマフィア生活を満喫してきます(お前) すみません…!だって、イヴァンが、イヴァンが可愛いのが悪いんだぁああああ!

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2009/09/09 (Wed) 絵とか振り分けとか


 関ヶ原合わせで何も出来る気がしない……っ!(お前)
正しくは、関ヶ原に関する話をまだ書きたくないのかもしれません。そこに至るまでの脳内で妄想しているあれこれを書けていないので、中途半端な形にしたくないというかなんというか。まだ奴らには、十代二十代で騒いで貰います←
 大坂の役の面子も参加していますけども、五人衆+治長を東軍西軍に振り分けた場合、

 東軍:又兵衛、治長
 西軍:幸村、盛親、勝永、明石さん

 見よ、この東軍二人の孤立感!(…) 治長、福島隊の他、黒田隊に付けられたという話もありますから、もしかしたら又兵衛とこの時に会っていたかもしれません。まさか十四年後、この面子が一緒の城に籠って戦うとは誰も思っていなかったろうなぁと。
 そういえば、大坂城に岩佐右近という人が籠もっていますが、絵師の岩佐又兵衛とは何か関係があるのでしょうか。岩佐という名字は、岩佐又兵衛のお母さんであり、荒木村重さんの別妻だっただしさんの実家の名字らしく。おまけに大坂城には、岩佐又兵衛の師匠だったのではとも考えられている狩野内膳も籠もっていました。何か、ある、ようなないような。岩佐又兵衛の描いた豊国祭礼図は、松平忠直の依頼で描かれたという説もあるのだそうです。色々と妄想出来るネタがちらほらと←

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2009/09/08 (Tue) 本感想


 「ちゃちゃの城」読み終わりました。これは、秀吉茶々夫妻萌えの本、ですな!最後の方は、これなんて熟年夫婦?なやり取りをしておりました。ただ、その分、ねねの描かれ方がちょっとうーんな感じだったのが気になりましたけれども、本当に茶々が可愛い。秀吉に、自分の死後は家康の元へ嫁いでくれないかと頼まれた時、血の一滴、髪の一筋まで秀吉のものだと言い切る姿が格好良すぎました。そんなに厚い本では無いので、茶々と秀吉の関係に焦点を絞って書いてあるような気がします。その為か、登場人物は多くありませんし、関ヶ原も大坂の役も詳細なことは書かれていません。とにかく、秀吉茶々夫妻に萌えたいんだ!という人向けです← 信様←秀吉が好きな人にもお勧mげふんごふん。秀吉が信様のことを好き過ぎる。秀吉の一番の長セリフが、信様について語る時ってあなた一体。あと、アマゾンのレビューにもありましたが、本当に文章が綺麗です。読みやすいのに綺麗という、ふおお!な感じです(どんなだ)

 鶴松と秀頼について、話の作り方がうまいです。もしかしたらそうだったかもしれないと思わせてくれます。ネタバレになってしまうので、ちょっと反転。
 <ネタバレ>鶴松がまず、秀吉と茶々の子ではありません。秀長とその侍女の間に生まれた子ということになっています。秀長は既に秀保を後継ぎとして貰っていたので、これから生まれる子の処遇に困り秀吉に相談した所、秀吉と茶々の実子として育てられることになった、という顛末でした。秀頼は、茶々の子ではありませんが、父親が秀吉か秀次か分からないという。一度秀吉のお手付きになった娘が、間をおかずに秀次の元に召されます。秀次の女絡みのごちゃごちゃに遭い、病と偽り実家に帰ってしまうわけですが、その娘が子供を孕んでいまして一体誰の子だと。本人が秀吉の子だと言い張る為、鶴松の時と同じく、色々と工作を凝らして世間には秀吉と茶々の子だと喧伝することに。結局最後まで、秀頼の父親が誰かは不明でした。秀長の子を、秀吉と茶々が育てるというシチュエーションにふおおおですよ(…)</ネタバレ>
 ほぼラストに近いシーンで、今頃秀吉はあの世で鶴松と一緒にトンボ釣りでもしているのだろうな、と茶々が想像しているシーンにちょっとだけ涙腺が緩みました。
 そんなこんなで、秀吉茶々夫妻に萌えたい人は、是非。

 

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2009/09/08 (Tue) 花の貌


 何だか突発的に書きたくなったので。性格もまだちゃんと決まっていないのに、秀次→→→次秀勝でSSS崩れを追記に突っ込んでおきます。暫定的な性格は、
 秀次→軽い。へらへらしてる。秀吉に匹敵する女好き。ただし時々真面目になる。文化人の人格者になるのは、まだ先の話。ただし後年になっても唐突に自分ルールを発動したりする(例:一の台さんとその連れ子の母子どんぶり)
 次秀勝→柔和で寛大。ほぼ同じ歳の秀次と、精神年齢で十歳位差が開いてる。秀吉に無条件の愛情を抱いている。
 こんな具合で。あと茶々もちょろっとだけ出てきます。精神的に疲れてくる前の茶々なので、ちょっと明るいです。

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2009/09/05 (Sat) おもかげバトン


 「二進も三進も」のP助様のところからバトンを奪って参りました!いつも有難う御座います。
 追記に収納しておきます。

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2009/09/05 (Sat) 興秋の出家


 江戸へ人質に行く興秋が、途中でいきなり出家しちゃったよ!という辺りの顛末を詳しく書いている史料(細川家記だった……かもしれない)(…)をちょっと前に読みました。
 出発前から無茶苦茶嫌がってる興秋に、うわー…ですよ。既に出家フラグびんびんですよ。そんな興秋を説得するように、忠興に頼まれている長岡さんという人がとてつもなく切なかったです。最初、忠興に興秋を説得するように頼まれて「そんな惨いこと、私には出来ません!」と拒否。けれど、忠興に頭まで下げられてしまって(あの忠興が頭を下げた!)仕方無く「三回までは説得しますけど、それでも嫌がられたら私はもう説得しませんからね!」と告げて、興秋の説得を開始します。案外あっさり興秋は江戸へ行くことを了承してくれたので国を出発し、京都まで行った所で興秋、建仁寺に休憩に立ち寄りたいと言い出します。はい、フラグが立ってまいりました。 建仁寺に立ち寄り逗留したわけですが、あんまりにもその逗留が長すぎるとのことで、長岡さんがそろそろ出発しなくちゃまずい、と思い始めた頃、興秋に呼び出されます。呼ばれた部屋へ行ってみると、そこには既に剃髪を済ませた興秋の姿が! 長岡さん、えええええええええです。長岡さん他、供としてついてきた人達も呼び寄せ「今まで世話になった。国へ帰り、忠勤に励んでくれ」と興秋は告げると、そのまま部屋の奥へ立ち去ってしまいます。仕方無く、国へ帰った長岡さんですが、そんな長岡さんを更なる不幸が襲います。ことのあらましを忠興へ報告した時、忠興の機嫌がたまたま悪かったという悲劇…! ぶちキレ忠興の勘気に触れ、長岡さんは父親諸共罰を受けることに。この罰の内容ですが、はい、すっかり中身を忘れました← 切腹はさせられていない、ような、あれ……切腹させられたんでしたっけ。ただでは済まなかったというのだけは、覚えています。
 慶長十年の出来ごとでしたから、1605年ですね。9年間ずっと寺に籠り続け、いきなり大坂に籠城とは、やっぱり溜まりに溜まった鬱屈があったのでしょうか。出家事件を起こした時、興秋は22歳でしたから、まだまだ若いですし。欲しかったのは死に場所か生き場所か、それとも父親への当てつけか。妄想がくすぐられます。
 ちょっと話が飛びますが、幸村とか団右衛門とか、あそこら辺の人達って、死に場所を求めて大坂城へやってきたというよりも、生き場所を求めてやってきたようなイメージがあります。死んだように生きるのなら、目一杯生きてやれ、それで死んだのなら仕方ない。という感じのような。
「生きていれば、死ぬのは当たり前ですよ」
 という科白を、幸村から伊木さんへ言わせたいです。いつか(…) 電波っ子幸村も、たまには真面目なことを言ったりする、はず!← 

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2009/09/05 (Sat) 拍手お返事



 拍手を押して下さり、有難う御座います!
 追記に、ブログ拍手お返事をば。

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2009/09/05 (Sat) 殿下の女性事情


 届いた「ちゃちゃの城」をちょこちょこ読み進めています。龍子さんが男前できゅんときた……!手の平大の白い蛾を、冷静に扇の上に誘って外へ逃がす龍子さん萌え。虫が苦手な茶々へ、蛾を扇へ止まらせながら、人差し指を唇へあてがって微笑む姿にどきどきしました。嫋な外見ながら、肝がどっしり座っている龍子さんが理想なので、余りのど真ん中ストレートにびびりました。いっそもう龍子さん×茶々でも良いんじゃなゲフンゴフン。……冷静に考えると、凄く美味しい組み合わせじゃない…か…?← 
 そういえば、信様の娘の三の丸殿って、氏郷の養女として秀吉の別妻になったんですね。ということは、大分政治的意図の絡んだ取引というか……。秀吉に別妻が多いのは、秀吉自身に子が無く、外交戦術の一つである縁組に使える手駒が少なかった為、別妻として迎えることで縁組をしていった。という意見を読んだことがありますが、三の丸殿の場合、その事例の一つなのかもしれません。ただ、え?この家の娘って必要?という女の人は、純粋に秀吉が惚れて別妻にした可能性が高いですけども(…) でも、秀吉の場合、やることなすこと大体九割くらい打算があるに違いないんで、もしかしたら一見、うん?と思う家柄の女の人でも、何かしら秀吉にとって外交上意味があったのかもです。秀吉の行動言動に裏表が無くなって、打算がなくなるのは最晩年の狂気にとり憑かれた時だけかもしれないっていうのが、なんとも切ないです。昼間に笑顔で話した相手を地獄に落とすような命令を、同じ日の夜に下すような男でしたからね殿下は!惚れる!怒っていても泣いていても、そこに打算を感じさせる男は中々いませんって……。史料で秀吉が怒っていた場合、大体演技だと思うようにしています← 唐入の時、小西の偽装和平がばれで秀吉がキレたっていうのすら、演技の可能性があるってあなた。当時の状況を鑑みると、確かに、演技のような。えらい、感情のコントロールの上手な人、というイメージがあります。殿下。むしろ、感情のコントロールが上手じゃないと、あそこまで登り詰められないよなぁと。うっかり主君にきれて、
 もう嫌!出てく!→そして奉公構えへ―…(太閤記 完 )
なんて団右衛門現象をおこしかねないわけですし。どこで泣くと効果的かとか、どこで怒るとより良いかを、常に判断していそうな気がします。そんな感じの殿下が表現できたら良いのですが、物凄く無理な気配がぷんぷんします(…) ねねとか小六とか秀長とか浅野の長政さんとか半兵衛とか、限られた人に対しては限りなく(全てではないけど)素に近い状態で接していると、えらい萌えます←

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2009/09/04 (Fri) 番組感想


 「歴史秘話ヒストリア」という番組を録画したので、見てみました。幸村をメインにした回でして、梶浦さんの音楽もあいまり、めちゃくちゃ幸村格好良かったです。ただ、気になることが一つだけ。
 何で、幸村以外の豊臣方の兵が差してる旗、全部宇都宮笠なん……? オール治長じゃねぇかwwww いや、良いんですけどね!テンション上がったんでむしろ歓迎なんですけどね!← 宇都宮笠の紋を見るだけで、息が荒くなる病気にかかっています。
 幸村をメインに据えたものなので、他の大坂方が取り扱われないのは仕方が無いと割り切れた分、妄想力が強化されたというか……幸村旗下の兵が映る度に、伊木さんはいないか!?やら、あれは糺なんじゃ!?やら、大変痛いことをしていました(本当にな) 何の史料に書かれていたのか、うっかり見落としてしまいましたが、番組の中で紹介された、とある徳川方の史料で、幸村の隊が戦場へ現れた時の表現が「さながら躑躅の花の咲くが如しというものだったのに、鳥肌が立ちました。何だ…その神ががかった表現。きっとその咲いた躑躅の中に、幸村だけではなく、清海の爺ちゃんや、もしかしたら伊木さん、糺、吉治がいるかもしれないと感じたからではなかろうかと。伊木さん、糺、吉治は幸村の指揮下にありましたが、個々に隊を率いていたので、赤く鎧を染めていなかったかもですけど。やっぱり、赤くしていたのは幸村直属の隊だけだったんでしょうか。伊木さん達三人も赤く染めていたら、滾るどころの話じゃないですが!幸村があそこまで突っ込んでいけたのは、幸村の手腕もさることながら(勝永が同じくらい頑張ったのもありますし)、伊木さん、糺、吉治らの幸村に属していた隊がサポートしていたのも大きいんじゃないのかなぁと。小勢で突っ込むということは即ち、相当数討ち零す人がいるわけで、そんな人達が突っ込んでいった幸村隊を追撃できないよう、抑えていたんじゃないのかなと。行かせねぇよな具合で。ここら辺の糺や伊木さんや吉治の状況を書いたものをちゃんと読んでいないので、妄想も甚だしいんですが!← 
 勝永と治房の頑張りも、いつかテレビでクローズアップされないかなぁと、無駄に考えています(…) 秀忠目がけ突っ込んでいった治房とその隊は、泥の中を駆けていったそうなので、さぞや壮絶な姿になっていたのではないでしょうか。 
 まだまだちゃんと本や史料を読めていないんで、本当にぼんやりとしたイメージなのですが、7日の配置の状況は、
 ○勝永、治長、七手組(真野さん?)
 ○幸村、伊木さん、糺、吉治
 ○治房(治胤含)
 ○明石さん
 というのをうっすらイメージしています。治長が、小笠原さんを攻める勝永のサポートに動いていることを記すものがあるので、治長の隊が勝永の隊の近くにあった可能性は高いかもです。
 歴史にifはないですが、もしも、永翁の隊の兵が先走って銃を撃っておらず、事前の作戦通り戦いが進んでいたら、どんな戦いになっていたのだろうと、ちょっと考えてしまいました。少なくとも、明石さんの隊が役目を失うことは無かったと思うのですが……。とにかく、「さながら躑躅の花の咲くが如し」(微妙に間違ってるかもでれない)(…)のフレーズは、いつか話の中で使ってみたいものです。
 この番組、鳥肌をかきたててくる曲が多すぎるので、もういっそ、サントラを買ってしまおうかと思っています。このサントラ一つで、戦国前期から大坂の役まで妄想出来る気がする。

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2009/09/03 (Thu) 政頼卿とアンケート


 昨日書こう書こうと思っていながら忘れていたので、忘れない内に書いておきます。
京都旅行で大徳寺大千院の説明を読んだ瞬間、頭が真っ白になりました。

大千院

 ま、ま、ままままま政頼卿ーーーーー!?

 まさかの政頼卿との遭遇に、動悸がえらいことに。中に入ってもちょこちょこ正四つ目結の家紋が目に入ってしまって、によによが止まりませんでしたよ畜生!事前の調べ不足で、義賢と義弼のお墓のある一休寺には行けなかったので、物凄く嬉しかったです。大仙院の庭は、政頼卿の息子である宗亘さんのお手製らしく、センス良すぎでしょう。祀られていた宗亘さんの木造が女性的な顔立ちをした姿だったので、六角一族は全員そんな感じなんだと妄想しておきます← 500年前から変わらない廊下とのことですから、そこでお茶を点てた秀吉や利休は勿論、もしかしたら高頼ダディや定頼様も歩いたかもしれない廊下なんだなぁと思ったら、その……すごく、頬ずりしたくなりました(止めなさい) 踏みとどまりましたけどね!!←



 話は変わりまして、アンケートにご協力くださった方々、本当に有難う御座いました。行清が一番多く票を入れて頂いておりましたので、票の入った項目の話を一通りアップし終わった後、行清強化期間を設けさせて頂きます。ちょっと遅くなってしまうかもしれませんが、お待ち頂けましたら幸いです。ご協力、有難う御座いました!

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2009/09/02 (Wed) 京旅行


 9月2日に帰ってくると書きましたが、9月1日の間違いでして!無事本日京都より帰って参りました!夜行バスの後遺症で初めてマックで爆睡したり、煩悩と戦いながら瞑想をしてみたり、お坊さんの話を聞きながらひたすら袈裟にはぁはぁしていたり、中々楽しいぷち修行でした。本当、等伯の絵を見た時は泣きかけましたけども。だってお坊さんの説明が……絵の中の大きな松は恐らく鶴松を表していて、幼くして病没してしまった息子に、絵の中だけでも大きく成長して欲しい秀吉の望みが表現されているって、あああああああ!ここで泣かずしていつ泣く!
 三日間お寺で生活をしながら、米村さんの心境を考えてみたりもしまして。治長と共に死ぬことを許されず、治長の娘である葛葉を守り続けるも、その葛葉は十七歳で病没し、自分の娘は葛葉に殉じて自害。その後、妙心寺の寺男として働いていた時に何かあったのかもなぁと。救いか、あるいはそれに似た何か。その上で、浅野の長治さんに仕える話を受けたんだと思います。むしろ、そうであって欲しい。次第に治長の姿も声も思い出せなくなって、存在を思い出すことも稀になって、だけど、長年治長に仕えているうちに染み込んだ毎日の習慣だけは残り続けているのが理想です。今わの際、迎えにきた治長を見ても誰か分からなかったけれど、こみあげるどうしようもない懐かしさと愛おしさに、治長だと思いだすとかでお願いします!← ぷち修行しながら何考えてたんでしょうね(本当にな) ただ、米村さんには治長を引きずったままでいて欲しくないなと。いえ、引きずっていても良いんですが、こう、何でしょう、はい← あと、治長の鉄砲頭で、夏の陣後、暫く男を捨て山に引きこもっていたらしい国島さんのことも色々考えたいです。国島さんは元々秀長に仕えていた人で、右手首を戦で失っています。ただ、治長にその武功を認められ召しだされ、鉄砲組頭として仕えるようになったそうな。山に引きこもってる間、何を思っていたんだろう、とか、考えてしまいます。
 ぷち修行が終わり、一日目に豊国神社、高台寺。二日目に醍醐寺と、豊臣関係の寺社ではこの三つに行ったわけですが、醍醐寺で義演さんが……やってくれました。秀吉のこと細かな指示で作られた醍醐寺三宝院の庭(大分好みの庭でした)に、木々で殆ど隠れてしまっている豊国大明神の祠があります。この祠は、明治時代に作られたわけではなく、義演さんの時代からあったそうです。つまり、義演さんが作ったんでしょうね、きっと。江戸時代中も隠れるようにではありながらも、豊国大明神を祀り続けていたと。夏の陣が終わった後に秀吉の法要を行った上、秀吉を祀り続けるとは、よっぽど醍醐寺を再興してもらったことに恩を感じていたんでしょうか。謎です。それから、庭のもみじが少し紅葉を始めておりまして。秀吉が義演さんに、次はもみじ狩りをしたいと相談していたという話を思い出して、ちょっとだけ切なくなりました。
 高台寺にて、秀吉が戦場に赴く時に必ず持参していた持仏があったと知ってびっくり。五㎝程度の小さな随求菩薩で、生で姿を拝むことは出来ませんでしたが、後で写真で拝見することが出来ました。ああ、この菩薩さんを秀吉はいつも持っていっていたんだなぁと、ちょっと感慨深いものが。いつ頃から持ち出したのかは、ちょっと分かりませんでしたけれども。
 次行く時こそは、養源院に行きます!養源院にある、茶々の持仏だった弁天さんを拝むことは出来なくとも、やっぱりここは行かなくては!何でうっかり忘れてたかなぁ……。

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