何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/10/30 (Fri) 表示障害



 すみません!何だかサイトが表示されなくなっているみたいです…!えええええ、な、何にもいじってないんですけども!て、天罰!?ちょっと復旧できないか、あれこれいじってみます!

追記:FC2さんのサーバーの方で結構深刻な障害が起こっていたみたいです。明日あたりのは復旧している…かも、です!

追記の追記:元に戻りました!どうやら、サーバーの障害でアップしていたファイルが全部吹っ飛んでいたようです。ただいまアップし直しましたので、恐らく大丈夫かと思われます。ですが、どこか不具合が御座いましたらご報告下さると助かります。



 私信:中様→御心配して下さって有難う御座います!一時ちょっとパニックになりかけましたが(笑) どうにか、元に戻りました!きっとお祈り効果です!そしてこんな所からであれなのですが、中様の直孝にはぁはぁしております←

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2009/10/28 (Wed) ロイヤリティの子供たち



 義賢の子供が一体何人いるのか、そういえばちゃんと数えたこと無かったなぁということで、ざっと書きだしてみました。今の所私が分かっている分だけですので、まだまだいそうですけども……

 畠山義綱室
 義弼(義治)
 高定(賢永)
 星合具親(北畠朝親)室 

 『寛永諸家系圖傳』にはこの四人が義賢の子供として、この順番で載っています。順番が生まれた順そのままを現しているのなら、畠山義綱室は義弼の姉かもです。それから、義賢の最初の正妻だった畠山義総の娘が死没した時期を考えると、義綱室と義弼の二人は畠山義総娘の生まれなのかもしれません。そうなると、下二人は後妻になった土岐頼芸娘の子供という可能性がありますね。高定は、頼芸さんと行動を共にしていることから、頼芸娘から生まれた子だと思われますが。
 そして『寛永諸家系圖傳』には載っていない娘がもう一人いたりします。『舟橋家譜』に存在が示されている娘で、船橋秀賢の妻だったそうです。同じく『舟橋家譜』で、秀賢の父方の叔母(舟橋枝賢の娘)が義賢の妻であるといった記載があります。もしかしたら、別妻として義賢に迎えられた枝賢娘から生まれた子であった為に、秀賢の妻は『寛永諸家系圖傳』にその存在が示されなかったのかもしれません。ということで、ちょろっと纏めると、

 畠山義綱室
 義弼(義治)
 高定(賢永)
 星合具親(北畠朝親)室
 舟橋秀賢室

 な具合でしょうか。
舟橋秀賢は、大坂城に招かれ秀頼に勉学を教えた人です。俊英として鳴らした人だそうで、何か秀頼に色々難しそうなことを教えています← 職制・法制・軍学・和歌・儒学等々。当時大坂城にあって秀頼の弓師範をしていた義弼とも、もしかしたら何かしらやり取りをしていたかもしれないなぁと。何てったって義兄弟!(お前) 秀頼が帝鑑図説を若干十五歳にして出版したことには、秀頼の素質の他に、きっと秀賢から受けた諸々の教育も影響しているような気がします。
 しかし、未だ義弼がちゃんと秀頼の弓師範を務められていたか不安です← 若い頃の気性の荒さを考えてしまうと、どうにも(…) 年食って落ち着いたのかもしれませんが。あ、でも逆に考えると、気性の荒い(きっとおまけにプライドも高い)義弼が弓師範をしてたということは、秀頼が温室でぬくぬくとしていただけじゃない証左に、ちょっとはなるような気がしないでもないです。何てったって若い頃の評され方が血気を好む婆娑羅の人← 杉谷善住坊を刺客に信様を殺そうとした張本人←← ……ぶっちゃけ、秀頼に良からぬことまで教えてないか心配になりました。

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2009/10/27 (Tue) 水面下の兄弟


 そういえば冬の陣だなぁと気付きまして(…) 絶賛虫食い中の冬の陣年表を見てみたら、そろそろ和睦の話し合いが水面下で進んでる頃合いですね。まだちゃんとした一戦をしていない状況で治純が和睦の話し合いをするために城内へ出入りをしていますから、恐らく、本当の本当に水面下で続けられていた和睦なのではないでしょうか。……治房辺りに知られたら、実の兄弟だろうと治純に何をするか分からん← 知っているとしたら、秀頼・茶々・治長・有楽辺りがぱっと浮かびます。ただ、治長の何でも又兵衛に相談しちゃう癖を思うと、又兵衛も何か知ってそうな気がする。治長、何でもかんでも又兵衛に相談しすぎ!重成と糺は、知っていそうで知っていなさそうな。和睦の使者として治純が出入りしていても、治長が池田さん家へ内通を促す使者を送っていたりするので、まだ十月の段階では、大坂方は和睦をするつもりはなかったのかなぁと。前の記事にも書いた気がしますが、豊臣へ味方するよう促した書状を、諸将がことごとく家康へ渡していた、という現実を治純からつきつけられた時、治長は和睦をする決意を固めたんだと思っています。確か十一月の末頃、でしたか。
 治長治純兄弟の葛藤を妄想してしまうと、あまりの居た堪れなさに転がりたくなるこの衝動…!(病気です) この兄弟、仲が良かった気がするんです。慶長十九年(冬の陣が起こる年)の六月、家康へお礼をしに駿府へ下った治長が宿として使ったのは、治純の屋敷ですし。治長が滞在中は、日がな一日治純がべったりくっついているものだと信じて疑わない私がいます(治純ニート疑惑)(…) 
 しかし、治純が夏の陣の後どうなったのかいまいちわからない罠。とある本で、治長の弟だから!な理由で治純まで処刑されたって書いてあったのですけども、さすがにいやいやいやいやです。もしそうだったら、一体どのくらいの徳川方の人が処刑されちゃうの!でも、寛永年間に徳川家へ諸家が提出した家系図に治純の系統と思しき大野家が見当たらないわけでして……もしかしたら、元和~寛永の間に、改易されたのかもしれません。家康からは可愛がられていたようですけども(少々寵愛とか何とか書いてありましたので) その家康が死没した後は、どうなるか分かったもんじゃないような。元和~寛永の間に改易された旗本の一覧とか、探したら見つかったりしないかちょっと期待してみます←

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2009/10/26 (Mon) オフ予定は未定情報


 13と遊びに行った後に、クイさんと合流しまして、創作戦国オンリーで出す本の話し合いをしました。ポケモン擬人化に夢中になり過ぎて途中まで忘れてたわけじゃなry 
 で、はい← 当初の予定通り、大坂本の新刊を一冊出すのは確定として、ボリューム的には20P前後な感じになりそうです。クイさんが五人衆+治長、13が秀頼な何か、私は譜代ーズで小説、という具合になりそうです。予定は未定を地で行ってるような感じなので、まだまだこの先どうなるかは分かりませんが!それから、出来たら行清18禁本(小説)も持っていきたいなぁと。妄想が、はい、色々と発酵気味になってしまっていますから!← もっとちゃんと決まったら、また追ってここに書かせて頂きます。

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2009/10/24 (Sat) 拍手お返事



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2009/10/24 (Sat) 豊鑑


 『豊鑑』をぱらぱらー、とですが、読んでみました。半兵衛の死に嘆き悲しむ秀吉の様子が描写されていましたが、その部分を一体重門はどんな気持ちで書いたのでしょうか。あと、自分の身内のことは三割増位良く書く傾向のあるこういう類の史料で、殆どと言って良いくらい半兵衛の影が感じられなくて(せいぜい死没する所が書かれていた位)重門にとっての半兵衛って、一体どんな存在だったんだ……。そんな、珍しく妙にシリアスなことを考えながら読んでいたら、家康の名前が家ピー(自主規制)状態で不意打ちを突かれました← 噴くわ!普通に!江戸時代に書かれたものですので、家康の名前を書くのが憚られて、家-というように書かれているのでしょうが、つまりそれってピーてことげふんごふん。きっと、神君や東照宮とでも書けば良かったのかもしれません。しかし、敢えてそれをせず、秀吉にも家康にも敬称を付けず(途中、公とか卿とか付いてたりするところもあったりしますが)書き進めた重門の真意はどこにあったんだ、やら、妄想が無駄に掻き立てられます!
 おまけにどうやら『豊鑑』は未完のまま終わってしまったようです。一応秀吉が死没する所までは書かれていますが、末尾に「書き終えられないまま死ぬのが心残りだ。誰か後を引き受けてくれるものが現れるのを願う」といったニュアンスの言葉が書いてありましたので、未完なんだろうなぁと。
 『豊鑑』の中の聚楽第への行幸の行列の中に、七手組面子の名前がちょいちょいあって、にやついてました← 堀田さんが!伊東さんが!速水さんが!真野さんが!(助宗の方)それから、薄田姓の人もいたのですけども、薄田さんと繋がりがあったりするのでしょうか。薄田さん自体、秀吉の小姓出身だとか他にも色々言われていて謎過ぎます…個人的には、小姓出身だとしっくり来ますが。

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2009/10/21 (Wed) お祖父ちゃん子妄想


 一番上にある記事が、うだうだ言ってる奴というのもあれなので!
『江源武鑑』で、何かあるたびに、江雲寺殿(定頼様の菩提所)に籠もる義弼に全俺が滾りました← あれですよ、小さい頃、義賢から手厳しく叱られた後には、必ず江雲寺殿に籠もってすすり泣いてれば良いじゃないのと!(…) 定頼様が生きてる頃は、定頼様にべったりだと萌えます。お祖父ちゃん子義弼。定頼様が孫に優しかったりしたら、ふぉおおお!です。江雲寺殿に籠もって一人泣いてる義弼を迎えに行く役は賢持にお願いしたい。
 そういえば、話は滅茶苦茶飛びますが、京都旅行で豊国神社に行った時、蜂須賀の木という札のついた若木が植えてあったんですよね。現代の蜂須賀家から贈られた木なのだとしたら、今に至るまで続く秀吉と蜂須賀家の縁にふぉおおお…!となります← ちょっと前、うっかり小六×秀吉←家政の妄想をしてしまっげふんごふん。

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2009/10/20 (Tue) 譜代についてあれこれぼやいてみました


 風邪をひいたせいか、ちょっと気分的にしょんぼりな具合になってます←
そんな状態でネットを色々回ったせいか、無駄にこう、吐きだしたくなったといいますか。追記で、大坂の役と譜代の世間様での扱われ方にぼやいているだけですので、スルー推奨です!

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2009/10/20 (Tue) 輿に乗る人


 治長が城内を輿で移動してたのは、慶長十一年に患った病気が完治してないからなんじゃ…?とふと思ったりしてました。症状を見るに、腸か胃の病気っぽいんですが、当時の薬で完治するものなんでしょうか。完全にこういう方面に無知なので、なんとも言えないのが歯がゆいですけども。病気を体に巣食わせたまま、職務を果たそうとする治長を妄想すると、ふおおおお…となります(お前) 治長が城を輿で移動するのを許されていた、と記録した長沢さん程度の立場の人だと、治長が病を患っていたことを知らない気がしますし。そんなこんなで、妄想ばかりが広がっていきます← 
 気鬱を患っていた茶々を除くと、他の大坂面子はすこぶる健康体っぽいなぁと。特に又兵衛。病気のびの字も感じられないんだぜ…!

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2009/10/18 (Sun) 今後予定



 やらなくちゃならないことの個人的メモ

 ・長浜話
 ・大坂話
 ・行清更新期間

 長浜話と大坂話の中身は大体練れたので、課題が終わったらすぐにとりかかります!遅くなってしまって本当にすみません!長浜話は、いつもぎゃんぎゃんやってる面子に加えて、石河一光と嘉明をメインに持っていけたらなぁと。大坂話は、大坂面子の誰をメインに持ってくるか迷ったのですが、一度もちゃんと書いたことが無かった、糺と幸村の二人で行こうかと。この二人のコンビもなんやかんやで好きなので。
 ですが、その前に課題終わらせろって話ですね!←

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2009/10/17 (Sat) 拍手お返事



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2009/10/17 (Sat) 分かったこととか



 『めのと』読み終わりました!ですが、この滾りをぶつけるとなるとえらく時間がかかってしまうので、感想はまた次回ということで。とにかく、幼少時代の大野兄弟に鼻血が流れ出るかと思った← 万福丸と治長の関係は完全に盲点でしたので、なるほどなぁと。それから、呵々と笑いそうな毒舌阿古さんに全俺が惚れた。お忍びでちょいちょい秀頼を馬に乗せて遠出に連れ出す治長と、そんな治長に懐いてる秀頼に、もう、動悸が止まらな……ッ ただ、治長と嫁の関係がちょっと残念でしたけども。嫁に手ひどく離縁される治長に、何だか滾ったとかじゃなげふんごふん。滾りました← 治長と茶々の関係を恋愛という形で描かれていたので、嫁との離縁という展開は仕方が無いのかなぁとも思いますが。千と茶々の関係はとんでもなく理想的でした。幼い千に添い寝してあげる茶々に、もう…!です。


 感想はまた今度、えらいだらだらと書くと思うので、今日入手した糺情報を。糺情報というか、糺の渡辺家の情報というか。糺の渡辺家が東山の一乗寺と田中という地を支配していたことは知っていたのですが、その他ちょいちょい具体的なことが分かりました。『寛政修重諸家譜』には、糺のお父さんが宮内少輔という官名を名乗り、兄と共に一乗寺の城に住んでいたということが載っています。義昭に与し、義昭が槙島で負けた後は没落し、兄弟は散り散りになりました。『信長公記』によると、義昭に与し一乗寺の城に籠もったのは、渡辺宮内少と磯貝新右衛門で、後に降参して城を立ち退いたそうです。後に磯貝さんは吉野に隠れていたところを見つかり、土地の人間の手で殺害。首は信様の元へ送られたそうな。肝心の宮内少輔さんですが(高確率で糺の父親である昌さんだと思われますが)近江へ逃げ延びたらしいです。糺の母親である正栄尼さんが、長政の娘であるという説もあるらしいのを考えると、何だか色々妄想のし甲斐がありますね← 
 ただ、渡辺党の本幹地であろう渡辺館(これが一乗寺の城だと目されているっぽいです)に、長男である重さんではなく、弟の昌さんの方が籠もっていたというのは、一体どういう状況なんでしょうか。重さんの方は、義昭と一緒に槙島の方に籠もってた、とか?それから、磯貝さん一体貴方何者…!
 渡辺家とは関係ないですが、同じく『信長公記』で、義弼の籠もる鯰江城を攻める為に四つも付け城作らせたり、鯰江城を支援していた百済寺を焼き討ちにしたり、信様、大分義弼にイラッときてたっぽいですね←



 最後になってしまいましたが、76の中様より頂戴しました、某月の住人を頂き物の項目へアップさせて頂きました。もう、電波ぶりが完璧過ぎてによによが止まりません…!

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2009/10/15 (Thu) 三雲の人



 取り急ぎこれだけ!
 建部賢文+六角義賢と、三雲賢持→←六角義弼は神だと思う。
 も、ももももももも妄想が止まらない……!特に賢持と義弼。野良田の戦いの切なさ度が急上昇ですよ!ネットで賢持の没年が1566年で、長政の戦いで戦死とあるのを良く見るんですけれども、寛政修重諸家譜だと永禄三年(1560年)に長政との戦いで戦死とあるんですよね。ということで、1560年戦没で妄想していこうかなと。お陰様で、長政と義弼の間柄が一筋縄ではいかない感じになりました(…)

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2009/10/14 (Wed) 帰郷に伴うあれこれ


 今年の年末に大阪城へ行けそうです!
父親の実家が香川県でして、その帰郷に付き合うならという条件付きなのですけれども、良いとも!行ってやるとも!顔もろくに知らない親戚連中の相手してやるとも!ただ、あくまで途中の寄り道という扱いなので、あんまりゆっくり見てはいられないみたいです。ですが、山里曲輪にある、三十二義士を祀る祠を見られたら私はそれで十分ですとも……!それから、茶々秀頼三十二義士達の「本当の」自刃の地を拝んでおきたいなと。祠にある観音様は少しだけ俯いていて、丁度、本当の自刃の地だと目されている場所を見つめる形になっているそうです。普通のスロープになっている場所が、本当の自刃の地だそうで、本当にもう…!です。何故コンクリの下に!史料の展示も見たいですけども、じっくり色々見たいですけれども、とにかく、私はこの祠に合掌が出来たらもうそれで十分です。勿論、大阪城だけでなく、太融寺にもお参りしたいですが。どうやって父親を唆すかに全てがかかっています← 奴め、島サコと北条にしか興味を示しやがらない畜生!ああああ!大阪城内の豊国神社にも行かなくては!
 実家が香川県なので、丸亀城にも連れていって貰えそうです。京極さん家の城、でしたよね確か。あの城っぽくない、ずんぐりした要塞な感じが好きなので、舐めるように眺めてこようかと思います。ついでに、家の家紋も調査出来たら良いなぁと。桐紋だったら良いのに、何て淡い期待を抱いていますがまず絶対にあり得ねぇ← きっと、見たこともない地味ーなもんだと思います。四つ目結いのなつさんが羨ましいぜ!……宇都宮笠だったら鼻血噴いて卒倒しますけど、あれは家紋ではなくて旗印だった罠。

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2009/10/12 (Mon) 本とか侍女とか



めのとめのと
(2009/10/08)
植松 三十里

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 大蔵卿局を主人公にした小説が出たそうです!
大蔵さんが主人公というだけで漲ってくるのですけれども、何やら参考文献の一覧の中に、いつもお世話になっております、茶々の顕彰サイト様『萩の御前』様の名前が載っているらしく!ますます、これは読まなければと早速注文してきました。ちょっとだけ、ショックを受けたりがっかりするような場面もあるようなのですが、それでも、読みたいなぁと。
 この勢いで治長主人公の小説が出ないものかと思ってます← 短編でも治長が主人公の小説って、み、見かけたことが無いような……。
 茶々の手足だった大蔵さんの足跡を追っていくと、大坂城の奥御殿でのんびりしていた時期が殆ど無いんじゃないか、という位に色んな所に挨拶や何やらに出向いたりしているんですよね。それに加えて、一万人いたと言われる大坂城の女性たちを束ねる立場にあったわけで、有能な人だったんだろうなぁと。勿論、色んな人達がしっかりサポートしていたのでしょうけども。饗庭さんとか右京大夫さんとか宮内卿さんとか正栄尼さんとか伊茶さんとか阿古さんとか。茶々に仕える女の人達の結束力を妄想すると、すごくによによします← 大坂城落城から現在に至るまで、茶々の侍女だった人達やその子孫の人達によって茶々の供養が営まれているのを考えると、その結束も、やっぱり茶々を中心にした結束のような気がしまして!夏の陣の後、初めて作られた茶々のお墓は氏家古奈(萩原道喜の娘。茶々の侍女。京極高次と初の養女)によって作られたそうです。しかもそれが、徳川方による豊臣方の残党狩り真っ最中に作られたという話ですから、どえらいです。
 古奈繋がりで、萩原さんもちゃんと作りたいなぁと。家康から三度誘われて、三度ともその話を蹴るって、どんだけなの萩原さん(一度目は関ヶ原。二度目は冬の陣前。三度目は夏の陣前)夏の陣前には、十万石で誘われたそうな。速水さん、清海の爺ちゃん、萩原さんの爺ちゃん三人を縁側に並べてほっこりさせたい。格好良すぎますよ爺ちゃんズ……。秀頼と茶々、どちらの介錯を萩原さんがしたのかは分かりませんが、とにかく、その二人の介錯をした時の萩原さんを考えると、チキン肌になります。
 そんなこんなで、本が届くのを楽しみに待っていようかと思います。

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2009/10/12 (Mon) 拍手お返事



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2009/10/12 (Mon) 悶々としてみました



 勝永について悶々と考えていたら、うっすら私的過ぎる解釈が出来かけたような気がします。
良くも悪くも豊臣家の狂信者。忠誠ではなく、信仰。ある意味偶像崇拝。大坂方できっと一番とんでる。それでも普段はどこまでも温厚な良い人。癒し系。勝家は父親に依存。忠義とは、豊臣家に対する在り方ですれ違うどころか、そもそも次元が違い過ぎてすれ違いすら起きない。豊臣家に関して話すと、会話が決定的にかみ合わなくなる。お互い「?」「???」的な←
 そんな具合で悶々と考えていました。勝永が冬の陣と夏の陣の幕間期間、開戦派に属していたのがどうしても消化し切れなかったんですけども、こんな感じで一つ妄想を←

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2009/10/10 (Sat) 姉である人



 『花々の系譜』を読み終わりました。
ぅをぁあああああ姫ぇええええ!茶々が初を城から出す場面で、喉元がぎゅーっですよ。茶々と一緒に死のうとする初を、江の支えになって欲しいと送り出す茶々に、はぅあです。茶々が初の背中を押した場面を読んだ瞬間、分かり切ったことなんですけども、やっぱり茶々は初の姉なんだな、というのを改めて噛みしめたと言いますか。それから、茶々と千の仲も良くて、によによです。完子も招いて、茶々、千、初の四人で能を見たという文に、悶え転げそうになりました。千の筆跡は茶々にそっくりだそうで、千に読み書きを教えたのは茶々なのでは?という意見をちょっと前に読んだばかりなので、悶えっぷりが当社比二倍です。
 それから、江可愛いよ江。頬を膨らませる江においちゃん、胸がきゅーんと← と、とんだ妹キャラだぜ。江をでろでろに甘やかす秀吉と、無邪気な江のコンビが何だか好きでした。この本の江にとっての秀吉は、時が経つにつれ美化されていく思い出の典型なのかなぁと。秀吉が死没するまでは、秀勝のこともあり、秀吉に対して冷ややかだった江が、秀忠に嫁いで秀吉が死没して、段々秀吉を懐かしむような手紙を初に送るようになるのが感慨深かったです。人の思い出なんてもんは、そんなもんなのかもしれません。
 とにかく今、浅井の三姉妹がどうしようもなく愛おしいです。茶々に背中を押されて、それが茶々と初の今生の別れとか、もう……!江のことも初のことも案じて、最後まで二人の姉だった茶々は、市と交わした妹達を守るという約束を果たしたのかなぁやら、悶々と考えてしまいます。勿論、小説でフィクションだということは分かっているのですけれども、落城した直後まで大坂城に残り続けていた初のことを考えると、何か茶々とやり取りを交わしたように思えてなりません。信包の居城にいた頃を妄想してによによしていようかと思います(…)

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2009/10/08 (Thu) 三姉妹の本



 『花々の系譜』を読んでます。
茶々達三姉妹が「浅井長政の娘」ということを誇りにしていて、何だか嬉しくなりました。どうしても、やっぱり「織田信長の姪」ということをどの本でも強調されてしまっているような気がするので……。浅井三姉妹には、浅井の姫であることを誇りにして欲しいと思ってる身としては、ふおおおお…!でした。秀吉の妻になってからの浅井の人達に対する保護や、父母である長政と市だけでなく、お祖母様に当たる阿古さんへの供養、浅井家の帰依していた竹生島への弁天さん像の寄進やら何やらを見てみると、茶々はやっぱり織田ではなく、浅井の姫なんだなぁと思います。柴田さんの供養もしていましたけどね。秀吉と敵対した長政や柴田さんの供養をするには、当然秀吉の許可が必要なわけで、そのやり取りをする二人を妄想すると、すごく、頭がぐるぐるします。秀吉は結構あっさり了解してそうな気がしますけれども。秀吉、長政のことも柴田さんのことも、嫌いじゃないと思うというか、長政の戒名が付けられた徳勝寺を長浜城の中に持ってきてますし。柴田さんに関しては、柴田さんの生前は嫌いだったかもしれないですけど、その死後、豊公能で柴田さん主役の悲劇の話を作っている辺り、何かしら「嫌い」やら「敵」やらでは括れないものを抱いていたのではなかろうかと。完全な妄想ですけども!←
 普段は物静かだけれど、時折凛とした声を出す茶々に、もう、きゅんきゅんです← あと、初が茶々のこと大好き過ぎます。ほぼ一日お姉様のこと考えてるよこの子……でも、旦那、旦那のこともちょっと考えてあげて!← 無邪気な江も可愛いです。龍子さんに懐いている小さい頃の江が可愛すぎる…!
 初視点だからでしょうか、あんまり豊臣家の人達と初が直接接する場面が無いので、豊臣家の人達の外面の仮面だけに触れているような感じがします。秀吉にしろ龍子さんにしろ。むしろ、豊臣家の外面にだけ触れているというか。まだまだ三分の一ちょいくらいしか読めていないので、これが今後変わるのかもしれません。今際の際の秀吉が、初へ朱印状を与えたという辺りのことをどう表現されているのか、ちょっと楽しみです。ちなみに、大蔵さんが女版官兵衛と言われていて噴きました。ちょ、大蔵さん!

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2009/10/07 (Wed) 本購入


戦国ファッション絵巻―戦国の魅力、いにしえのファッションで徹底解説! (マーブルブックス)戦国ファッション絵巻―戦国の魅力、いにしえのファッションで徹底解説! (マーブルブックス)
(2009/08)
植田 裕子

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 こんな本を、この間買ってみました。表紙はいかにもな感じで、ちょっとアレなんですが、中身は結構しっかりしてます。鎧の着方や、袴のはき方がイラスト付きで書いてあったり。これを読んで、素襖と直垂の違いがやっと分かりました(…) 元就の肖像画や、秀吉の有名じゃない、四十代頃っぽい肖像画は素襖を着た姿なんですね。それから、鎧を着ていないけど、それでもちゃんと戦中ですよ!な、あのラフな格好は鎧直垂と言うそうな。し、知らなかった← 三方ヶ原で負けた家康が描かせたという肖像画の格好が、鎧直垂と。女の人の唐輪髷というらしいお団子スタイルは可愛い過ぎると思います。亮政の奥さんである蔵屋さんの木像はポニーテールですし、結構自由に髪型を弄ってたんですね。
 それから、商業用の戦国BL漫画を発見してしまいまして……お、恐ろしい!ブームって恐ろしい!早く過ぎ去ってくれ!いや、秀吉が右側で、治長が登場するなら迷い無く買いましたけどね(お前)

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2009/10/06 (Tue) 妄想一つ



 もしかしたらもしかしての、金地院さんと治純との接点を勝手に妄想して、勝手に悶えていました← 冬の陣が講和で終わってちょっとした頃(だったと思うのですけども)(…) 金地院さんが片桐貞隆さんへ手紙を出しているんです。その内容をかいつまむと「壱岐守(治純)は無事駿府に着きましたよ」という内容でして。まず、治純は金地院さんと顔見知りという感じがします。貞隆さんが治純と親しかったかたら、わざわざ金地院さんがこんな手紙を貞隆さんへ送った可能性もありますが、もしかして、金地院さんと治純もちょいちょい交流があったのかなぁと。おまけに、金地院さんは一色氏の人です。治純の父親(佐渡守)は『一色軍記』で一色に仕えた水軍の人として書かれているそうな。ちゃんと読んだことありませんけども(…) そんなあれやこれやを繋ぎ合わせてみると、色々と、はい、妄想が←

 そして、中様にちょこっと私信を!
<私信>伊木×真野、大いにアリだと思いますよ!イキマノって何だが語呂が良いですし!伊木×真野前提で、お互いを手にかける場面を想像すると、もう…もうっ!という感じになります(…)</私信>

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2009/10/03 (Sat) 拍手お返事


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2009/10/03 (Sat) 高虎とか龍子さんとか



 高虎が、茶々と秀頼の十三回忌法要を行っていた件について←
た、高虎?予想外過ぎて、暫くぽかーんでした。高虎は身も心も徳川へ捧げたものと解釈していたので、ちょっと意外というか。十三回忌ということは、慶長二十年から十三年後ということですから、寛永六年(あれ、五年?)(…)高虎の死没が寛永七年ですから、寛永六年にしろ五年にしろ、死没の直前です。死期を悟った頃になって、高虎にも色々と思う所があったのかもしれません。それから、高虎絡みで、高虎は秀保が死没した後、高野山に引っ込んで、秀吉に引っ張り出されたと良く言われますが、藤堂家の文書によると、天正二十年辺りには、大和郡山豊臣家を出て高野山にいたそうな。秀長の死後、一年して高野山に引きこもり、そこを秀吉に引っ張りだされ、秀保の後見を頼まれたやら。果たして、実際はどうだったのでしょうか。どちらが妄想のし甲斐があるかによryげふんごふん。秀長の後継者を守ろうと頑張る高虎も、秀長が死んだら高野山に籠もってしまった高虎も、どちらも美味しく頂けます← ただ、秀長死後、大和郡山家を離れた人達は多かったらしく(治長家臣の国島さんも、元々は秀長家臣で、その死後、大和郡山家を離れた人です)秀長の人望が偲ばれるような。秀長も当然、秀吉と同じく、代々の家の譜代と呼べる人はいなかったわけですから、秀長個人への忠節を誓っていた人が多かったのかもしれません。
 そういえば、一か月前の京都旅行で、養源院に行けなかったのが滅茶苦茶後悔なんですが、豊国廟に行けなかったというのもまた……。いや、大荷物をロッカーに預ける前に、豊国廟の近くに行ったので、さすがにあの阿弥陀峰を登る体力は無かったやもしれませんけども、せめて麓にあるらしい龍子さんと国松のお墓にはお参りしたかったです。うっかり、うっかり、龍子さんと国松のお墓は大阪城の豊国神社にあるものと思い込んでいたみたいです←
 龍子さんのお墓と、そのすぐ傍にある小さな国松のお墓を写真で見るだけでも涙腺がたがたなのに、本物を見たらどうなることやら……。国松の遺体を引き取り、自分の生前墓の傍らに埋葬する龍子さんの心境を考えてしまうと、色々、やばいです。茶々と秀吉の関係について幾ら考えても考え足りませんが、龍子さんと秀吉の関係もまた、深いような気がします。一言では言い表せなさそうな。龍子さんとくすさん(茶々の異母姉で、龍子さんの侍女)も早く登場させたいなぁと。小説の龍子さんでは、とにかく『ちゃちゃの城』の龍子さんがどツボでした。

 

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2009/10/02 (Fri) 遺品


 『島左近のすべて』に載っていた白川亨先生が書かれた所を読んでいたら『石田三成の生涯』が読みたくなりました。三成の親戚関係について書いてあるのを読んでみたいといのは勿論のこと、孝蔵主と三成の関係にも言及しているらしく……!このコンビが好きな身としては堪りません。孝蔵主が、三成の娘であり、寧々の養女になっていた辰を連れて京から下向した辺りの状況を、もっと詳しく知れたらなと。それから、孝蔵主の姪である徳さんが秀吉との間に一女を儲け、その娘は丹羽さんの家臣の人に嫁ぎ、子孫が現在に至るまで続いている、ということの詳細も知りたいです。

 それからですね、茶々の持仏の弁天さんが、東福門院(江の娘で後水尾天皇の中宮。茶々の姪)に伝わり今に至る、という話を知った瞬間に良い意味の鳥肌が、こう、ぞわわわっと。そうですよね、現存しているわけですから、茶々が誰かに持仏を託していたというのは当たり前の話なわけで……おまけにそれが東福門院に伝わったということは、彼女に親しい人へ茶々は託したんじゃないかなぁと。そこでぱっと頭に浮かんだのは江でした。茶々が、城から逃がした誰かに持仏を託し、その託された人が江へ渡したとか。千と共に城を出て、後に江へ仕えた海津局さんに託したという可能性もありますが、私は千を推してみたいです。いや、何となく←
 姉の形見である持仏を、恐らく風当たりが強いであろう場所へ嫁がなければならない娘に持たせる江の心境を妄想すると、鳥肌ものです。江にとって、やっぱり茶々は大好きなお姉様だったんじゃないのかなぁ、やら、止まりません(…) 茶々の持仏が弁天さんなのは、浅井家が篤く帰依していた竹生島で祀られているのが弁天さんだから、とかだったりするのでしょうか。現在まで伝えられていたりするものを元に妄想すると本当、止まりません← 浅井一文字や茶々の来国光の懐刀のことを考えると、あああああ!ってなりますから(お前) 大坂の陣の時鎧を纏っていた茶々の腰には、長政の形見である浅井一文字があったら良いなぁと。

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2009/10/01 (Thu) 拍手お返事



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2009/10/01 (Thu) 五月八日の妄想


 茶々と秀頼の籠もった山里曲輪の蔵に鉄砲が撃ちかけられ、茶々秀頼を始めとして籠もっていた面々が自害する辺りの史料をもそもそと読んでいました。何となく思ったんですが、鉄砲が撃ちかけられてから、火の手が上がるまでの間隔が短いような気がするんです。少なくとも蔵には三十二人籠もっていたわけで(下手したらもっと)その全員が自害した上で、勢い良く火を燃え上がらせるなんて結構時間がかかると思うんですよ。三十二人ですから、大体一クラス分の人数が自害したわけで。おまけに、蔵にいた人達の亡骸をどれが誰のだか分からないくらい燃やしたわけですから、火薬やら枯れ草やらの準備が必要なのではと。
 そこで、ちょっとした妄想が頭に浮かんでしまいまして← 治長と速水さんが徳川方の使者の人達相手に、秀頼茶々助命の交渉を行っていた時にはもう、自害は始まっていたんじゃないのかなぁと。勿論史料によっては、鉄砲が撃ちかけられてから、念仏を唱える声が聞こえ、火の手があがったとしているものもありますけども、秀頼茶々を騙して秀頼を捕え、衆目の面前に晒そうとしていた豊島さんや加賀さんが、果たして大人しく衆目の面前に晒したかった秀頼の亡骸が燃えていくのを見過ごすかなぁな邪推が……はい← 鉄砲を討ちかけて一気に蔵に押し入って秀頼を生け捕るか、もしくはその首を獲るかしそうな気がするのですよ。それをすごすごと、全員が自害するのを待って、おまけに火が蔵を焼き尽くすまで放っていたというのはつまり、鉄砲を撃ってから押しかけるよりも前に、勢い良く火の手が上がったからなのではと。なので、治長と速水さんが行っていた助命嘆願は、時間稼ぎなんじゃ?という妄想が(…) 『粟田口の狂女』(幸村も又兵衛もぶっちゃけ大坂の陣の有名どころがロクに出てこない、びっくりするくらい鬱になれる大坂の陣小説。忠朝可愛いよ忠朝)(…)では確か、そんな風に書かれていたような気が。
 ということで、蔵では自害が繰り広げられている中、何も無いような顔で使者と接する治長と速水さんを妄想したら、あああああああ…っとなりました← もしも本当に時間稼ぎだったとして、千は何も知らされていないと良いなと。純粋に秀頼と茶々の命を救おうとしていたけれど、実は救われていたのは自分の命の方だった、的な。
 あと、史料によって蔵に籠もっていた時の治長の衣装がマイナーチェンジしている件について← 黄色の陣羽織から朽葉色の帷子に白い帷子まで幅広いですよ!浅黄色の鉢巻きを巻いている、と書いてあるものに不覚にもきゅんときました(何で) 鉢巻き……良いな、鉢巻き。衣装は違えど、共通しているのはどっかしら怪我をしているという点でしょうか。顔に傷を負っていたり、左脇から出血していたり。左脇からの出血が恐らく事実だと思いますが、顔の傷も捨てがたry
 速水さんと治長が、とにかく茶々と秀頼の顔を晒すのを拒んでいたり、千の顔を坂崎さんが纏っていた羽織ですぐに隠したという話を読むと、やっぱり貴人の顔は無暗やたらと晒してはいけないものだったのんでしょうね。あの戦場の状況だと、将士だけでなく、雑兵らにまで顔を晒すことになりますから。御簾越しの秀頼とか、想像するだけでちょっと動悸が← 

 

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