何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/11/28 (Sat) 拍手お返事


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2009/11/28 (Sat) 六角の姫


 『慶長日件録』に漲りが止まりません!舟橋秀賢さんの書いた日記なのですが、秀賢とその妻(六角義賢の娘)の仲睦まじい様子にによによします。六角の姫たちで、一番幸せになれたのは秀賢に嫁いだ姫だったんじゃないのかな…とすら思ってしまいました。総じて不幸率が高すぎるんです六角の姫達は!何もあんなに悉く嫁ぎ先が没落しなくても良いじゃない……。一番壮絶な人生を歩んだのは北畠具教に嫁いだ娘かなと思ってます。三瀬の変は本当に、凄絶です。どんだけ死んだんだあれで。義賢の子供たちは、義弼、高定、畠山義綱室、星合具親室、舟橋秀賢室の五人かなぁと思っていたんですが、更にもう一人、女の子がいた模様です。『慶長日件録』に、秀賢室のお姉さんとして佐久間久右衛門室という人が出てきまして。秀賢の室は義賢の娘ですので、自然とその佐久間久右衛門という人の妻は義賢の子供になるなぁと。ただ問題は佐久間久右衛門という名前の脇に「安政」と注記がありまして。ちゃちゃーとネットで検索をかけてみましたら、勧修寺晴豊の娘が継室と書かれていました← うーん、どうなんでしょう。佐久間安政さんは柴田さんの甥っ子に当たる人なので、義賢の娘を娶っていたのなら色々妄想が膨らませられるのですが。何度義賢は柴田さんに煮え湯を飲まされたことか!(…)
 安政さんの方も調べてみないと、ここら辺は何とも言えそうにないです。ちなみに、秀賢室であり義賢の娘である姫の没年は1616年の8月8日で、法名は長寿院清月妙円というそうです。円姫と勝手に脳内で呼んでます(お前) 秀賢の死没が1614年ですから、結構その後すぐに亡くなったわけですね。
 それから、義弼の出家後の名前である玄雄も出てきましたよ!一回だけ!← 慶長十年に秀賢さんが秀頼へ法律やら何やらのお勉強を教えに大坂まで行ったついでに、有楽、玄雄(義弼)とかと御飯食べてました。しかし名前出てくるのがこの一回こっきりとは……忠興の名前は無茶苦茶出てくるのに!何故だ!本当に、えらい忠興と交流してます。秀賢さん。やっぱり親戚だったからなのでしょうか。二人とも耳聡いですし、その辺りで気が合ったのかも。どちらにせよ、慶長十年の段階までは、義弼は大坂城にいたってことで良いんですかね。慶長十七年に伏見で死没としか書かれていないので、いつごろ秀頼の元を辞したのかいまいち分かりません。妄想で補えと、そういうことか…!(違う)

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2009/11/25 (Wed) お茶を濁す行清


 フロイスの『日本史』に勝永(だろうと思われる男の子)が出てきて、一人によによしてました。可愛いよ可愛いよ、十一、二歳で馬に乗って大勢の家臣を引き連れやってくる勝永可愛いよ。きっと大真面目にびしっと決めながらやってきたんだろうなぁ、やら妄想してしまうと止まりません← 
 それから、官兵衛のイメージが何か、大分変わってしまったと言いますか……ばりばりのキリシタンというイメージに……。長政は何だかインテリです。な、長政の頭が良さそう、だと!フロイスの誇張表現もあるとは思いますが、妻や主だった重臣を全てキリシタンにしたい!と言っていた長政の重臣なのに、改宗した痕跡の見られない又兵衛について← ただ、黒田家自体、キリシタンの家臣がたくさんいるというイメージが無いのですけども。右近さんとか小西らへんの家臣は総キリシタン!という偏見がありますが(お前) 信仰を守り続けたらしい官兵衛の黒田家ですから、明石さんが関ヶ原の後黒田家のお世話になったというのは、ここら辺が関係しているのかなぁとちょっと思ったりしたのですが、どうなんでしょう。それにしても、官兵衛への秀吉の言葉攻めに、きゅ、きゅんと…あれは間違いなく言葉攻めです。あれか、秀→官か。秀→官なのか。「お前がキリスト教なんて信仰しているから、俺はお前に与えるはずだった領地を減らしたんだぞ」ということを再三官兵衛に言う秀吉っていうことはつまり、さっさとキリスト教を捨てて俺に忠誠を誓えば可愛がってやると、そういう意mげふんごふん。畜生萌えるな!


 そしてすみません!行清集中更新期間に突入…と行きたかったのですが、課題やら原稿やらでちょっとすぐの更新は難しくなってしまいそうです。ですので集中更新期間に突入するまでSSS崩れでお茶を濁してしまおうかと…すみません!
 追記に、時間軸不明な行清でSSS崩れを放っていきます。いつも通りの病んだ二人です。


 

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2009/11/23 (Mon) 雑多に色々



 結城権佐という人が気になっています。秀頼の乳母筆頭だった右京大夫さんの息子という説のある人なのですが、何だこの情報の無さ……!重成糺と、秀頼の乳母二人(宮内卿さん正栄尼さん)の息子が登場しているのに、筆頭の息子がいなくてどうする!と思い立ったらまさかの挫折感です。『山口休庵咄』に、牢人の一人として結城権之助という人の名前があるのですが、もしかしたら結城権佐と同一人物なのかも…?な淡い期待を抱き続けますよ!
 どうでも良いですが『落穂集』にちょいちょい、米村権右衛門物語るに~な文が出てきてきゅんときます。三人衆が五人衆になったよ!という話も、米村権右衛門物語るに~で始まる話ですし。その話の中で、治長が三人衆に又兵衛と明石さんを加えて五人衆にして、色々相談に乗って欲しいと考えていた、とあるのは、本当に米村さんが語った話だとするなら、米村さんならではの話かなと。何だか治長、米村さんには心中を漏らしていそう。治長と米村さんの主従を妄想するだけで、二十四時間が過ぎていきます(お前) 恐らく士分ですらなかった(多分小者かそれ以下か)だった米村さんを士分に取り立てて、更に家老にまで取り立てるに至るまでの経緯を妄想するのに、二十四時間じゃ足りません← あと、国島さんをどうやって召し抱えたのかも気になります。秀長様じゃなくちゃ嫌だし!と大和豊臣家出て行った国島さんですから、何かこう、サプライズパーティ的なもので?(治長を何だと)
 あ!最後になりましたが、幸村+糺の話をアップしました!ぴょんは正義!

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2009/11/18 (Wed) 恵瓊さんとか


 講義で『三宝絵』についてちょろっとやったのですが、某聖なるお兄さんのはんぺん系の方が頭をちらついて離れませんでした(…) というのは置いておきまして、戦国の坊さんズも読んでいたのかなぁと思うと、ちょっと感慨が。どちらかというと『往生要集』の方を読んでそうですが。『往生要集』の地獄の話を延々何週も続けてされたせいでそろそろげんなりきていたので、内容が『三宝絵』に移ってくれてほっとしています。地獄の話はもう十分ですよ!殿下は確実に堕ちるな、ということしか分からなかったよ!← 『三宝絵』の壇波羅蜜の一部しかまだやっていないのですが、釈迦(というか釈迦の前世の人)が、鷹に追いかけられた鳩を助けたい!だけど、鷹が餌を失うのは良くない!じゃあ、鳩の重さの分だけ、鷹へ自分の肉を与えよう!と、自分の肉を切り分け始めた話を、恵瓊さんにさせてみたいです。臨済宗のお坊さんが読むものかどうかは知らないのですけども(お前) 浄土宗の信者の人が入門書として書いたものなので、どちらかというと小さい頃の証如さんとか顕如の方が読んでいそうかも。
 そういえば、お茶会で使う軸が「清風払明月」でテンションがだだ上がりしてます。恵瓊さん!恵瓊さんじゃないか!恵瓊さんは私の中で、未だに人物像がはっきりしない人です。俗物なのは明らかな癖に「師に出会い、初めて死のなんたるかを知った」と、後に東福寺の住持になった弟子の人が語るほどだったそうですから、もう何がなにやら。
 恵瓊さんの辞世の句である「清風明月を払い 明月清風を払う」という句には、俗世の執着やら悟りやらもぜーんぶ忘れて空っぽの清々しい禅における「空」の状態である、という意味があるそうです。「物もたぬ たもとは軽し 夕涼み」という境地なのだそうな。まぁ広家に丸投げしていったとも言う←

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2009/11/17 (Tue) フロイスの日本史


 フロイスの『日本史』をはすはすしながら読んでます。何が萌えるって、フロイスの書く殿下の人物像と、殿下の出した私的な文書から伺える人物像のギャップです。完全に秀吉ってば、表の顔と裏の顔使い分けてないかこれ。あと、あまりの殿下の悪逆非道ぶりにラwwwスwwボwwスwwwとしか言えなくなりました← 惚れるわ、本当。どこからどこまでがフロイスの誇張表現で、どこまでが本当のことなのか見極めるのは難しいですけども、少なくともあの悪逆非道行為については、本当に殿下はやらかしてる思う。 あの男なら、あれくらいぽーんとやってのけるはず!信じてる!なんてったってラスボスだもの。ただ、登場する秀次があんまりにも綺麗な秀次すぎて、一体のどこの秀次さんかと思っげふんごふん。禁欲とか、男色を嫌ったとか、謝れフロイス!万作ちゃんに謝れ!
 施薬院という秀吉の侍医が、秀吉のお妾さん(もしかしたら別妻ランクの人かもしれないですが)を斡旋していたというのを読むに、秀吉は実子を諦めていなかったのかもと、ちょっと思いました。江戸時代の話なので、秀吉に該当するか分かりませんが、江戸時代の大名家に仕えるお医者さんは、正室側室関係なく、子供を産める体かどうか調べるのも仕事の内、という話を以前聞きましたので、もしかしたら施薬院さんは子供を産める女の人かどうかを調べてから、秀吉の元へ斡旋していたのかもしれないなぁと。調べられる方はどんな気持かは知りませんが(お前) 無理やり連れてこられた人もいただろうし、秀吉の妾になれば裕福な生活が約束されているに違いありませんから、親に差しだされた人もいたでしょうし、中には自分から志願した人もいたかもしれません。その辺は、想像するしかないような。
 他には、小西お前泣き過ぎ!というのと、右近さんが輝いている!というのと、ちょいちょい名前の出てくる勝永のお父さんにきゅんときた、という具合でしょうか。我らの敵とか言われちゃう吉成さん(勝永のお父さん)萌え。でも、本当に官兵衛が秀吉のことを「極悪人」と陰で呼んでいたらちょっと切ないなぁと。まぁ実際極悪人ですが。どうあがいても否定できない!秀吉が官兵衛を遠ざけるようになったのは、別に官兵衛の智謀を恐れてとかじゃなくて、官兵衛が熱心なキリシタンだったからじゃないかな、とちょっと思ったりもしました。キリスト教の禁じられてる江戸時代の史料で、まさか「黒田家中興の祖である官兵衛孝高は、敬虔なキリシタンだったから秀吉から疎まれたんだよ!」とはさすがに書けないような気がするようなしないような(どっちだよ)
 それから、フロイスがあんまりにも、キリスト教を信仰している女の人の純潔やら貞節やら、一夫一婦制やらを主張しまくっているものですから、龍子さんが可哀そうになってきてしまいました……。キリスト教のそういう見地から見たら、龍子さんの立場そのものが罪なわけで、でもそれは龍子さんにはどうしようもないことなわけで、その教えを母親が信仰して周りに広めているわけで。でも当時の日本の文化から見ると、正妻が複数いることは不思議なことではないんですよね。秀吉の正妻は、ねねと茶々と龍子さんの三人だったようですから(第一夫人、第二夫人、第三夫人的な。当時の史料では、茶々は正妻を意味する言葉で書かれています。御台所とか簾中とか北政所なんてのもあったり) なので、龍子さんが改宗しなかったのは、ここら辺に多少なりとも理由があるのかなぁと。自分の存在そのものを否定するような教えには、さすがに賛同できないような……。
 憎悪しないものはいない、とまで書かれた殿下にはぁはぁしながら、続きを堪能しようと思います←

 

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2009/11/16 (Mon) 設定と年齢



 宣言通り、重成の設定をちょっといじってきました。これからがっつり、重成を六角に絡ませていこうと思います(お前) 重成にとって、初めての師が義弼である妄想が止まりません。年老いた義弼が、ぽつぽつ、重成に対してだけは元亀争乱を駆け抜けてきた心情を独り言っぽく語っていたら良いなぁと。傍目からは、気難しい祖父と素直な孫、な光景に見えていたら萌えます←

 それから、私の中での年齢区分をしっかりさせようかなと。
 今まで、なんとなーく、

 糺、治房(三十代組)
 長秋、重成、秀頼(二十代前半組)

 というイメージだったのですが、よくよく考えてみたら、糺は二十代の方が自然なのかも…?という所に行きつきました。大した根拠は無いんですけどもね!(お前) 今まで糺を三十四歳だと思っていたのは『土屋知貞私記』に糺の年齢が三十四歳と載っていたからなんですが、その史料だと、重成の年齢は三十五歳という……。城に籠城していた長澤さんの書いた『長澤聞書』には、重成は二十四歳!とくどいくらい書かれているので三十五歳が誤りだとすると、糺の三十四歳もどうなのかしら、な疑問が起こってきてしまいまして。あと、重成の石高は七百石で、糺の石高は五百石です。もしも糺が三十四歳で五百石だった場合、五百石が少ないとは言いませんが、重成と同じく一手の将に冬の陣の際任じられていたにしては小身過ぎねぇかと。だって、治長家臣の米村さんと殆ど同じ石高←
 ですので、殆ど重成と同じ年齢、同じ立場だったんじゃないのかなぁと。一、二歳くらいの違いはあるかもしれませんが。だとすると、あの二人の仲の良さもしっくりくる気がします。


 治房(三十二歳)
 糺(二十四歳)
 秀頼(二十二歳)
 重成(二十二歳)
 長秋(二十一歳)
※夏の陣の時の年齢

 な具合で。長澤さんの言う通り、秀頼と重成の年齢を二十四歳にしたら、秀頼の生年に合わなくなったので、二十二歳にしました← こう見ると、大坂方は若武者が多かったんだなぁと思います。徳川方にも、直孝やら利常やら至鎮やら長晃やら忠直やら若いのがたくさんいましたから、こう、何か、血が滾りますな!その分、若いのに囲まれて高虎が気疲れしてないかちょっと心配です(余計な御世話だよ) 

 多分、皆秀頼の小姓出身だと思うので、その頃のぎゃーぎゃーやってる話を書いてみたいです。千の輿入れに、無駄におろおろする治房糺重成の三人とか(…) 完子の結婚にだだ泣きする糺とか、妄想が絶えません← 

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2009/11/14 (Sat) 六角のお姫様



 『センゴク』の最新刊を読んでいたら、まさかの畠山義綱の登場に、婿殿ぉおおお!と叫びたくなりました。だ、だって……義賢の娘の旦那!義弼の義兄弟!あんなに侘びしい姿を描かれてしまうと、読みながら鬱になってしまいます← ちょくちょく参考にさせて頂いております能登畠山専門のサイト様によると、大徳寺塔頭興臨院に所蔵されている過去帳に1593年没とあるそうなので、煩悶のあまり義綱が入水自殺したというのは伝説の域にとどまる話だと思われます。むしろ本当にそうだったら、義綱に嫁いだ義賢の娘が不憫すぎる。十歳の息子と離れ離れにされた挙句、その息子は十九歳で暗殺されて、更に夫が入水自殺とか!ないわ!
 義綱は、守護代という間の存在を排した、直接的な政治を行おうとしたら家臣の猛反発にあい追放されてしまったそうです。その後、暫く六角の元に身を寄せています。

 義賢の身内への接し方はなんかこう……萌えます(お前) 身内にはとことん甘い人だったのかもしれません。妹とその夫である土岐頼芸さんが追放されてきたら匿い、妹とその夫である晴元がきたら将軍諸共匿い、娘とその夫である義綱がやってきたら匿い、妹達の嫁ぎ先とは決して戦はせず。義昭上洛の際、義昭側につかず、三好三人衆側についたのは、当時三人衆に擁立されていた細川昭元が妹の子だったからかなぁと。あと、絶対潔癖だと思います。精神的に、すごく。義賢の出した「斎藤ありえねぇんだけど!」の文書を読むと、そんな感じがするなぁと。身内殺しはどんな事情があろうとも、許されざる悪とか考えていそうな。父親に逆らうとかマジあり得ねぇし的な。なので、長政の久政へのぷちクーデターに関して「悪い子だな!」とか思ってたらきゅんときます(…) きっとその潔癖ぶりが子育てによからぬ影響を与えたせいで義弼があんな子nげふんごふん。
 義賢の実際の血縁ではありませんが、本願寺顕如の奥さんが三条さん家の娘で、晴元の養女となり、さらに定頼様の猶子という形で顕如へ嫁いだということは、実質上晴元の元で育てられたということでしょうか。もしもそうだったら、えらく妄想を掻き立てられます。晴元の妻は定頼様の娘ですので、顕如の妻を育てたのは定頼様の娘だったりしたのかなぁと。完全に妄想ですが!
 それから、最近、北畠具教に嫁いだ定頼様娘のことを考えると、色々滾ってきます。『勢州軍記』によると、夫婦仲は悪く、嫡男が定頼様娘の子供である他は全て、別妻との間に生まれた子供なのだそうです。絶対に、夫婦間でプライドのぶつかり合いがあったに違いない← 定頼様娘が嫁いだ経緯からして、ぴりぴりした状態で迎えられたこと請け合いですし……。六角と北畠が戦!六角は伊勢の二郡を獲得する代わりに、娘を嫁がせるという形で和睦したそうです。六角と北畠は両方とも名家中の名家ですから、何か、色々妄想してしまいます(お前) おまけに、定頼様娘は、具教と不仲であったと伝えられるくせに、三瀬の変で自害したと伝わっていたり、三瀬の変を生き延びた後、北畠旧臣同士の諍いの仲裁に輿で乗り込んだとも伝わっていたりで、えらいことになってます。何にせよ、意志の強い人だったんだろうなぁと。
 どうでも良いですが、土岐頼芸に嫁いだ定頼様娘と、頼芸さんの別妻だった深芳野の二人は、やっぱり面識があったのでしょうか。ここも何か、あれこれと、はい(何だよ)

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2009/11/10 (Tue) 奴の茶杓



 八日に畠山記念館へ『戦国武将と茶の湯』という展示を見に行きました。秀吉直筆の消息もありまして、殿下本当に字が汚い!大好き!あの字の汚さは奇跡です。紙に墨が滲んでいたりするのを見ると、ああ、本当に秀吉がこれを書いたんだなぁと。改めて、秀吉が確かに生きてそこにいた人なんだってことを実感しました。でも、いつ出した消息なのかいまいち分かりませんでした。戦の最中だということは分かったのですけども……帷子送ってくれて有難う!めっちゃ嬉しい!戦のことは気にしなくて良いからね!近々上洛するよ!という内容でした。それから、秀吉と落曇という茶杓の逸話(というより、恐らく実話。同時代の人が書き残していやがった)に胸がきゅんと。愛しさの余り茶杓の曲がり具合を自分好みに直そうとして、それが上手くいかなかったからって、きー!となって捨てようとする殿下にはぁはぁです。さすが「皆!滾りたる茶をしろよ!」と命じた男← 滾りたる茶て。それから、印字金鎖という、恵瓊さんが所持していたと伝わる物体(…)が何だか綺麗でした。作りが南蛮っぽいので、クルス的な役割のものなんじゃ?という説明書きがありましたが、恵瓊坊主坊主。見ようによっては南蛮風に見えないこともないし、仏教的に見えないこともないという感じでしょうか。何だかちょっと密教ちっく。帰りに古本で『戦国三姉妹物語』を八百円で買いました!アマゾンのユーズドだと六千八百円で売られているのを考えると、かなりお得な気分です。

 茶器繋がりで、なつさんから聞いたんですけども、有楽が茶会でしょっちゅう使っていた茶杓の銘が、玉ぶりぶりだと知った時、どう反応したら良いんだろう。

 玉ぶりぶり……だぞ……?

 そろそろ織田家の方々は破滅的なネーミングセンスをどうにかした方が良いんじゃなかろうか。

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2009/11/07 (Sat) 拍手お返事




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2009/11/07 (Sat) ドン満綱と頑張れ左門君


 なつさんと話をしていたら、六角満綱、六角持綱、六角時綱、六角久頼の親子が異様に気になってしまいました…!切ねぇ!切ねぇよあの親子!ドン満綱と持綱若頭を、息子であり弟である時綱が自害に追い込んで、細川勝元にプロデュースされた久頼王子が兄である時綱を殺してって、誰かこの連鎖を止めてあげてと言いたくなります。そして時綱の息子である政堯が、幼い政頼卿(久頼王子の息子)を追放して近江守護職につき、今度は政堯が守護職を剥奪され、十六歳になっていた政頼卿が守護職に返り咲き…な出来ごとが続くんですけども。明らかに、幕府の思惑や権力闘争の駆け引きに使われてしまった感があります。しかもその間に、両佐々木(六角と京極)の暗黙のルールを破り、一時期モッチーが近江守護職に就いたりなんやりで、六角のばたばたぶりは半端ありません。
 とにかく、ドン満綱が 大 好 き に なりました。金融界牛耳ってるとかもう、ドン!惚れるわ!京極持高さん(モッチーのお兄さん)との仲の良さにもはぁはぁします。二人揃って出陣なんて…!おまけに、持高兄さんが死没した時期と、ドンが隠居した時期がかぶってるのはもう、色々勘ぐってくれと言っているのだと判断しておk?(…) それにしても、京極も色々大変だったんですね。なつさんに教えてもらうまで知りませんでした。持高兄さんが死没したことで、持高兄さんとモッチーの叔父さんが京極家の当主になるわけですが、当主になってから二年そこそこで足利義教と一緒に赤松さんにウボァアアされてしまうとか。鴨なんて見に行くから!その後にモッチーが家督になったわけですから、結構回りまわってモッチーの所に家督の座がやってきたという感じなんですね。
 とにかく、ドン満綱とその子供たちに悶えています←



 そして話は飛びますが、又兵衛の息子の左門君の立場の微妙さに全俺が戦いた。多分又兵衛が出奔した後だと思うのですけれども、毛利家預かりになっていた左門君へ「大坂城に籠もった父親を説得して徳川方につかせろ」なんて指令が下っていたなんておいちゃん知らなかったよ…!左門君は船で大坂へ送られたわけですが「発狂して海に飛び込まないよう注意しろ」なんて指令が書かれた書状を読んだ瞬間、仰け反りました。左門君!頑張れ左門君!この後一体左門君はどうなったのでしょうか…又兵衛の息子として『長沢聞書』に登場するのが一意君だけなので、どうなってしまったのか分かりません。もう、はわわわわとしか……。

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2009/11/06 (Fri) 真田丸パーティ


 12月4日の真田丸パーティ(…)にはまだちょっと早いですが、大日本史料に載っているその辺りの史料を読んでみました。コピーを取らせて貰っただけでじっくり読んでいなかった分、あまりの幸村と伊木さんのコンビネーションの鮮やかさに悶えましたよ!か、かかかかかかか格好良いんだよお前ら!阿吽の呼吸とはきっとああいうのを言うんでしょうね……もう結婚してしまえお前ら← 出城に籠もっている大将が幸村と伊木さんの二人と書かれているものもあって、幸村というよりも、二人の出城という感じだったのでしょうか。特に『大坂御陣覚書』に書かれている内容が、今まで大坂方の積んできた手が連鎖状態に入った!という感じで、ふおおおお!です。頑張って連鎖にしようと重ねていたテトリスに丁度旨い具合に欲しいテトリスがきた感じというか(どんなだ) 
 前田さん家が最初に突っ込んでくる→前田さん家を見て家も負けてられんぞ!と越前松平さん家が突っ込む→気付いたらなんか井伊さん家も突っ込んでた→ぶっちゃけ良くみると藤堂さん家と奈良衆の人達も突っ込んでた→石川さんの持ち口で火の手が上がる(単に石川さんの手違いで火薬箱落として爆発させちゃっただけ)→南条さん裏切りの合図だ!と攻め手のテンションうなぎのぼり→ちょwwwまwwwになった家康の再三に渡る制止で、どうにか全軍真田丸より撤退
 とにかく落ち着けwwwwと言いたくなります←
石河さんのあげた煙を南条さん裏切りの合図と攻め手が勘違いしたことで、一層攻め手の被害が増えたわけですが、南条さんが内通しているのを糾明したのは重成・糺・治長・薄田さんで、南条さんの内通がばれたことを徳川方へ悟らせないよう、南条さんの旗をそのままにするよう策を立てたのは又兵衛で、その二つを行った結果の総決算を行ったのが幸村と伊木さんで、というのを考えるとえらいテンションあがります。あと、誰か石川さんを褒めてあげて(…)
 大助と伊木さんが五百の兵を率いて突っ込んでくるところまた格好良くて、大助の初陣のサポート役が伊木さんで本当に良かったなぁと思います。何だろう、伊木さんのこの安心感← 幸村と伊木さんの隊は動きがきちっきちっとしっかりしていて、教育が行き届いているのかもと。ほら貝一つ吹くだけで大助と伊木さんの500の隊がさぁっと出城に戻っていくんだぜ…?よっぽど事前に話し合って、がっつり端々の兵に至るまで作戦を仕込んでいたのかもしれません。
 あと、松平直政(十四歳!)の可愛さが尋常じゃなかった件について。馬で堀に突っ込むんだ!それが駄目ならお前俺の旗、堀の下に立ててこいよ!と駄々こねる直政可愛すぎるだろ…!畜生!

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2009/11/06 (Fri) 拍手お返事



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2009/11/05 (Thu) フロイスのブログと糺の話


 フロイスのブロg…もとい『日本史』を注文してみました。たっかい!たっかいよフロイス!文庫本なのに一冊1200円って!全十二巻を揃えるには、えらい時間がかかりそうです← 『日本巡察記』も読んでみたかったのですけども、フロイスのせいでお財布がすーすーしてしまったので、またこんどにしようかと……。ヴァリニャーノさんちょっと待ってて。学校の図書館には多分置いてあると思いますけども、て、手元に欲しい癖がついつい。フロイスの書く、秀吉の暴君っぷりにはぁはぁしようかと思います。殿下!殿下!それから、小西と右近さんの仲がどんだけのもんなのかも、ちょっと興味が。切支丹としての小西の姿が知りたいなぁと。

 そしてフロイスとも小西ともまったく関係の無い話で恐縮ですが、最近、糺のことを考えると呼吸が、若干、困難に…!恋か!恋なのかこれは!(違うと思う) 
 鴫野の戦いで逃亡したということは、きっと糺は生きたかったんじゃないかなぁと。口ではもしかしたら命など惜しくは無い!とか言ってたかもしてませんが、本能は生きることを望んでいたからこその敵前逃亡なわけで。一度生きることに執着して、執着した自分をまざまざ見せつけられて、それを経たうえでの夏の陣における戦死(or自害)は、何だかとても重い気がします。糺という人間を深く考えれば考えるほど、ずぶずぶ深みにはまっていってしまうような← 
 領民に慕われていて(糺に世話になったからという理由で糺の息子を助けてくれたそうな。それが幕府にばれたらえらいことになるのは明白)、秀頼を裏切った人には容赦無くて、重成と仲が良くて(妙に一緒に行動してる)、盛親と北川さんの譲り合い精神に重成と一緒に振り回されて、1対6の殺し合いにも負けなくて、手負いの仲間の傷を自分で手当てしちゃう人で、でもうっかり治長とは切り合いになりかけたり。……ふと思ったんですが、本当に糺と治長が切り合いになったら、治長が一方的にやられる方に一万ペソです。治長も腕にはそこそこ自信があったようですけども、多分糺とは基本スペックからして違い過ぎる…!冷静に考えたら、本気で殺しにかかってくるでっかい刀ぶら下げた男達六人相手にたった一人で勝利するって、とんでもないことのような気が。しかも、その争いで糺自身が負傷したという記述が一切ない件について。
 そんなこんなで、糺が好きだ!という話です(お前) 生きたいと望んだ人が、それでもなおそんな望みをかなぐり捨てて戦うという心境はいかばかりのものか、のほほんと生きてる現代人の私では推し量れるわけもありませんが、色々と考えてしまうなーと。

 

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2009/11/03 (Tue) 拍手お返事





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2009/11/03 (Tue) 重成の設定


 重成の出自を、重茲の実子ではなく養子という設定に変更します。設定の所はまだ変えていませんが、後で変更を加えておきます。長秋の設定と良い、一度決めた設定をあれこれと変えてしまって大変申し訳ありません。ですが、養子という形が一番個人的にしっくりき、また、クイさんや13の許可も得られたので変更してしまおうかと。
 設定としては、

 佐々木三郎左衛門と宮内卿局との間に生まれた子。三郎衛門が死没した後、宮内卿局は重茲の別妻として迎えられる。しかし、重成は正式な子として認められなかった。母である宮内卿局が茶々の元に召し出され秀頼の乳母となった為、重成も豊臣家の奥で育つ。父のいない重成を哀れに思った茶々が秀吉に執り成し、重成を重茲の養子とした。重茲が秀次事件に連座したことで自害させられた後は、宮内卿局と共に近江の馬渕へ逃れる。暫くは六角義康の元で養育されていた。秀次事件のほとぼりが冷めた頃、茶々の声がかりで再び宮内卿局が召し出され、重成も秀頼へ仕える。

 な具合でしょうか。『太閤さま軍記のうち』に、重茲の妻子が処刑されたことが載っているので、恐らく宮内卿局さんは正妻ではなかったのではなかろうかと。
 茶々が秀吉に執り成し、重成を重茲の養子としたことは『明良洪範続編』に書かれています。近世中期に書かれた『明良洪範』の更に続編ですから、書かれている内容に信憑性があるかと言えば首を傾げざるを得ませんが、一つの可能性としてはアリかなぁと。六角義康の元で養育されたというのは『止戈談義』の佐々木義郷の元で文武を学び~な内容を元にしています。義郷は恐らくこの頃にはもう死没しているので、佐々木哲説では秀次に仕えた義康に登場願いました。というか、六角を重成に絡ませたのは完全なる趣味です(お前) 佐々木を名乗りながら六角と関わりが無いなんてそんなの……嘘だろ?← そんなこんなで、拙宅の重成は義弼に懐いてると思われます。重成の「片桐市正殺すっ」やら「まだ家康の首獲ってねぇもん!」という姿勢に佐々木の血を感じてなりません(…)

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2009/11/01 (Sun) 誕生日



 31日になつさんとかのんに誕生日お祝いパーティをして貰いました!というか、買い物した後大半ゲームしててあとは飲み屋で飲んでただけry 二人がドラクエを通信プレイしている間ひたすらイーブイに出産をさせていました。ボックスの半分がイーブイだよ!
 誕生日を迎えたおかげで、もうどこにも遠慮することなく飲める年齢になったのでむふふです。八海山うまー。酒飲みながら色々話してたわけですけども、凄く楽しかったです。モッチーはやっぱりふたなりで良いと思うよ!なつさんかのん!それから、どっちかが(いっそ両方!) 秀吉×治長を描いてくれるものと信じてる。あと、どうしてあんなに皆可愛いの応仁の乱周辺…!なつさんが『応仁記』の話をしてくれたのですけども、山名宗全のことを可愛いと思ったのは酒が入ってたからじゃきっとない← ことごとく行動を「奇怪なり」と書かれてしまう宗全はぁはぁ。朝倉の孝景さんはチートだし!モッチー涙目だよ!赤松さんの男前ぶりも神がかっていますし。何あの人結婚したいいや赤松さんの嫁はめし様だった!なつさんの話で、応仁の乱辺りのことが気になっているのに加えて、かのんに尼子清定の情報を教えてと頼んだので、ちょっとまた時代を遡るフラグが立ちつつあるかもです← 清定お父さんも大分チートですから、室町末期から戦国前期にかけての人達、本当、痺れます。何より、六角政頼卿が大好きです(…) モッチーうざいもう嫌!でお父さんが自害しちゃうとか。人を自害にまで追い込むモッチーのうざさも神がかっていますね!そしてそんなモッチーが大好きだ!守護職を追われた時の政頼卿を妄想するだけで、動悸が激しくなります← 将軍の六角征伐で、甲賀の人達が六角の為に決起してくれたのは、政頼卿の隠遁中に色々あったからじゃないかなぁと勝手に妄想しています。

 あと、もう一つ。焼酎は二度と飲まないと誓います!
 今の今まで二日酔いでぶっ倒れてたのは、間違い無くあの焼酎のせいだよかのん!

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