何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/12/29 (Tue) 留守連絡とあと色々


 29日から1月3日まで父親の帰省に付き合って香川県まで行ってきます。行き帰りの途中で、太融寺や大阪城に寄ってくれるそうなので、写真やら何やらここにアップ出来たらなぁと。それから丸亀城にも!京極さん家はモッチーの印象があんまりにも濃厚過ぎてむしろモッチー=京極=モッチーという公式が頭の中で大手を振って歩いているので(…) モッチー以降の京極家は、高広高吉が泥沼合戦をやってる辺りまでしか詳しく知らないのですけども、茶々龍子さん古奈さん縁の一族のお城ということで、舐めまわすように眺めてこようと思います。

 最近、治長×嫁妄想が大変痛々しいことになってます(…) 織田家の娘という線が濃い嫁ですが、信包娘だったら小さい頃に会ってるかもと!むしろ幼馴染じゃねぇのかと!茶々と密通したという噂を立てられた治長が宇喜多邸へ避難している頃、嫁はどんな思いで治長を待っていたんだろうやら考えてしまうと、おろおろしてしまいます……。あの噂は茶々だけでなく、治長嫁のことも傷つけたんだろうなぁと。ですが、宇喜多家に匿われていた治長がどんな生活をしていたかも気になります← 明石さんと接触があったんでしょうか、やっぱり。
 微妙に話が飛びますが、大坂城の三人衆が五人衆になったよ!という話で、治長が明石さんも五人衆の一人に加えたいと考えていたのは(又兵衛は『三川記』を考えると納得として)、関ヶ原で明石さんの手腕を身をもって知ったからかもしれません。家康曰く「御宿勘兵衛と後藤又兵衛以外、怖い牢人はいないよ!」という評価だったにもかかわらず、御宿さんではなく、明石さんを五人衆へ加えたいと考えていたのは、やっぱり。関ヶ原の時の大坂面子も色々と妄想のし甲斐がありますね。……又兵衛と治長しか東軍がいませんが(…)

 ということで(どういうことでだ) 行ってきます!

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2009/12/26 (Sat) 譜代本一部抜粋


 お久しぶりです。メリークリスマス!という時機を明らかに逸しました(…)
某懸糸傀儡漫画に、今更ながらどんはまりしてました。げ、原稿も頑張ってましたよ!
 ただ、はい、全43巻を殆ど一気読みしたので、目がしぱしぱします← とにかく、ルシールの婆様に嫁にしてくれと叫びたい。あんな格好良いお婆様はあの人くらいだ。


 あんまりにも更新出来ず、SSS崩れすら書けず、きて下さる方に大変申し訳ないです。何かせねば!ということで、追記に、創作戦国オンリーで出す譜代本の一部抜粋を載せてみます。秀頼の小姓時代の糺(権之介)、重成、治房(弥一郎)、薄田さん(千十郎)、長秋(新十郎)の話です。冬のほんの一幕。


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2009/12/21 (Mon) 拍手お返事


 拍手を押して下さり、有難う御座います。原稿の海に溺れそうになっているので、とても励みになります!追記に、ブログ拍手お返事をさせて頂きます。

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2009/12/14 (Mon) 義弼がらみで



 お久しぶりです。生きてます。生きてます
まだどの原稿もひと段落していないのですが、寂しすぎて書きにきました(…) なつさんとお買いものに行きまして、六角が熱い…熱すぎるんだぜ畜生。某佐々木の哲さんの説だと、六角義堯は、義弼とは別の人物ということになっていますが、この義堯に関してはストレートに義弼とイコールだと、書状を読みながら感じました。花押がそっくりですし、義弼に仕えていた家臣の名前がそのまま義堯の書状に出てきますし。ただ、義賢が大本所と呼ぶ人物が存在することも事実です。佐々木の哲さん説だと、その大本所が義堯なんじゃね?とされていましたが、そこら辺はまた色々妄想するしかないのかなぁと←
 義弼=義堯だとすると、足利義昭や吉川元春とも色々絡められるんですよ!義昭に同行して鞆に下向していたらしいことが、元春や毛利の重臣たちへ送った書状から推測出来ます。主に元春を窓口にして、義昭を保護してくれよ!と毛利家に交渉していたようです。元春をチョイスした辺りが何とも言えない。それから、義昭へ味方することに関して謙信に送った書状もあったりして、テンションうなぎ登りです。若かりし頃は三好家と結んで義昭に敵対した義弼が、一体どんな具合で義昭に仕えていたのか非常に気になりますけれども← 義昭に同行して、毛利家や謙信に協力を要請する手紙を送りまくっていたということは、義弼はまだ諦めていなかったんだなぁと。長政の死が、義弼を動かす動力の一つになっていたら、ひどく、滾ります(…)
 ちょこちょこお手紙を読んでみると、信様に攻められて甲賀に逃れた後、手助けをしてくれたり付いてきてくれる家臣もいたようで、ちょっと安心しました。途中参入の黒川さんとか谷垣さんとかな…!誰!誰なの貴方達!主に狛さんという人と、木村筑後守という人がまめまめしく働いてくれていたようです。山中さんも義賢を助けてくれたようで、八十歳の義賢が病の床に就きながら書いた山中さんへの感謝の手紙に、何かもうどうしたら良いのかと。もう命は残り少ないとかいうなよ義賢ぁあああ!

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2009/12/09 (Wed) 更新停滞のお知らせ



 トップでもお知らせしましたが、ちょっくら「天下一番 戦国izm」での原稿の海にダイブしてきますので、更新が停滞します。ここに書きにくる頻度も、今以上に少なくなってしまうと思われます。すみません!
 出す本は、

 ・行清18禁本(干身)
 ・大坂本(乙式)
 ・大坂譜代本(干身)

 を、予定しております。
それでは、行って参ります!俺、この戦いが終わったら呉服御前様と結婚するんだ…。

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2009/12/07 (Mon) 曲


 戦国無双3のガクトの歌ってる曲聞いてたら、何故か六角時堯兄さんが頭に浮かんできたんですけど、と、時兄ぃいい!何で死んじゃったんだよぉおお!← むしろ、嘉吉の土一揆から始まる六角家の一連の戦いが、ばーっと頭に浮かんできました。どうするよ、戦国じゃねぇよ室町時代だよ(…) 予想以上に時兄のことが好きだったみたいです……。この曲を聴きながら、どんな気持ちで時兄が民や呼応した臣下を従え、父と兄を死へ追いやったのか考えるだけで、はぅあ!となってしまいます(病気です) それに加えて久頼王子と時兄の兄弟対決がまた、何とも。これが本人達の意志だけで迎えた結末ならば、こんなに切なくならないのかもですが、幕府の思惑に操られた感も否めないわけでして、何か、その、はい← 
 他にも色んな人にあてはめてによによ出来そうな曲なので、暫くによによしていようかと思います(…) とにかく、時兄熱が収まりません。六郎→→→→時兄で聞いてしまったら、駄目だ、もう戻れない…!

 あと、呉服御前様の出自は伊賀でも多いにありだと思う!<私信

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2009/12/06 (Sun) 契約



 唐突に湧きあがった勢いだけで、秀吉+(のような×のようないややっぱ+です)龍子さんのSSS崩れを書いてしまいました。木下勝俊と木下利房が、実は龍子さんと武田元明の間に生まれた子供なんだよ!という異説ルートで書いていますので、ご注意下さい。ということで、追記にSSS崩れを放っておきます!

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2009/12/05 (Sat) 江南の妻



 定頼様の妻である呉服さんの名前って呉服(くれは)と読むのかもよーと、なつさんに教えて貰ってからテンションだだ上がりです。くれは…何その可愛い名前!むしろ、くれはと呉服さんの名前を呼ぶ定頼様を想像するだけで、卒倒出来る気がします(…) 呉服(くれは)というのは、呉服(くれは)神社といって、機織りの技術を求めて、呉の国から来てもらった呉服(くれは)なんちゃら比賣を祀っている神社からきているそうな。呉服(ごふく)の語源も、この呉服(くれは)だそうです。そこから呉服さんの出自が割り出せないかなぁと思ったのですが…呉服神社は大阪にあった件について← さすがに、さすがにそこから嫁は連れてこないだろう!ということで、更に考えてみたら、いっそ武家じゃなくて商家の出とかだったのかなぁ、とも思えてきました。呉服をそのまま呉服(ごふく)(読みはクレハだとしても)として捉えると、保内商人の家柄の娘さんだったのかもと。保内商人の主な売り物の中に呉服もあったそうです。保内は伊勢とも通じ京都も近く、おまけに日本海側にも抜けられるという商売にはもってこいの立地だったそうなので、物凄い経済力がありそうな気がします。その経済力を求めて、呉服を中心に扱う保内商人のどこかの家と縁を結んだという可能性も、無いとは言い切れないようなそうでもないような← 
 とにかく「くれは」という響きにやられました。定頼様夫妻に漲りが止まらん…!

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2009/12/02 (Wed) 戦国だったりそうでもなかったり



 戦国とまったく関係の無い話ですみません!ラッキードッグ追加ディスクとか!神か!そうか!バクシー!俺だー!視姦させてくれー!ところで、ホーマールートとデイヴルートはいつ攻略できますか?(…) 

 そういえば、七手組がいつ頃結成されたのかいまいち良く分かりません。どの史料に初出なのでしょう…。文禄年間の母衣衆の中に、七手組頭の名前がぼちぼちあったりしたので(速水さんとか伊東さんとか青木さんとか野々村さんとか)伊木さんも当然のように同じ母衣衆の中に名前を連ねていまして、速水さん伊東さん青木さん野々村さんと同僚だったということになりますね。母衣衆の中から、優秀な人達を選抜して七手組頭に任命したということなのか、それとも別に選抜理由があったのか、一体どうなんですか速水さん!← 名前がたまたま載せられていなかっただけで、真野さん一家も母衣衆出身という可能性もありますし、伊木さんと頼包さんで妄想が止まりません。
 話が飛びまくって申し訳ありませんが、又兵衛の進言採用され率は異常。……ほぼ又兵衛の進言が採用されているのばかり読んでいる気がすry




 

雑記 | trackback(0) | comment(0) |


2009/12/01 (Tue) 全力疾走秀吉



 読む速度が鈍足過ぎて完走する気配のまったく見えないフロイスの『日本史』ですが、秀吉の宗教観についてちょっと書いてあって、興味深いなぁと。いや、その、あくまでフロイスの書いたことなんですけどね! 実際はどうだったのかは分かりませんが、秀吉は禅宗を信仰していて、来世なんてものも、地獄も極楽も信じてはいなくて、死んだら皆まとめて一つの混沌に還っていくだけなのだと考えていたやらなにやら。本当にそうだった!と断定することはできずとも、何となく、らしい気がします。殿下っぽい。そのくせ、死の間際には夥しい数の神仏の名を記した誓紙(秀頼を盛りたてるっていうアレです)を書かせていたり、戦場へ行く際には随求菩薩の持仏を持って行っていたり、その辺もまた殿下らしくて、お前矛盾してんじゃん!とは言えない← ねじれにねじれて矛盾してるのが秀吉ですからね!(お前) 
 ただ、神として祀るよう命じたというのは、秀吉自身本当に本当の意味で自分が神になるとは思っていなかったのかもと。あくまで、神となることで豊臣家の権威を高めることに加え、自分という存在を後世に残すという欲望を満たそうとしたんじゃないの妄想が、もりっと。家康の場合は、本気で自分が神となることで徳川家を守り続けようとしていたような気もしますが。ガチで神仏を信じていそうな気もしますし。
 フロイスがあんまりにも、秀吉の目的は自分の名を後世に残すことだやら書くものですから、色々と勝手なイメージを抱いてしまっています。秀吉の、自分の名を後世の残すことに対する執念は、生物の生殖本能にも似た感じだなぁ、とか、はい← 来世も地獄も極楽も信じていない殿下だったからこそ、今生へ自分を焼きつけることに執着したのかも、と。というか人生全力疾走過ぎる。そんな考えを世の最底辺を彷徨っていた時期に得たのだしたら、もう、もだもだが止まりません(…) 

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