何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/05/31 (Mon) 鈴が鳴る。ここにいる。



 ふと書きたくなったので、追記に団右衛門×治房を。何となく講和期間辺り。


 そういえば、前回の記事に関する余談ですが、秀吉が政宗に与えた形見は刀ではなく、脇指でした。すみません。銘は鎬藤四郎吉光。毎年元旦の時のみ、政宗は身につけていたそうです。ですので、その特別扱いぶりが伺えます。政宗が没したのちに鎬藤四郎吉光を将軍へ献上したところ、仙台城二の丸の造営を許可されたそうな。ちなみに鎬藤四郎吉光は、明暦の大火で焼失してしまったとか。も、勿体ない!

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2010/05/30 (Sun) 義演さんの日記とか


 大坂夏の陣ぷち企画に、治房の話をアップ致しました。大変お待たせしまってすみません…!あと9つ、13日までに出来る限りあがいてみようかと思います。
 弥一郎=治房
 権之介=糺
 千十郎=兼相
 三助=重成
 弥八郎=治胤
 市吉=治純 
 となっております。糺の権之介の他は、しっかりとした確証のある字ではないので、ご注意下さい。治房の弥一郎と、治胤の弥八郎は、兄である治長の字が弥三郎である可能性が高いことから、勝手に予想して命名しました。兼相の千十郎は、秀吉の行軍に名前のあった「薄田千十郎」から。重成の三助は、重成養子説で実父とされる、佐々木三左衛門から取りました。治純の場合は、字の市兵衛を幼名に直したら、もしかしたら市吉かなと←
 まだふんぎりをつける前の糺なので(…) 男らしい言葉づかいにしたのですが、書きながらめちゃくちゃ違和感でした。ご、語尾を「~よ!」に修正したい!凄くしたい!←


 そういえば、この間『義演准后日記』を読んでみました。今まで、大日本史料集に断片的に記載されていたのは読んだことがあったのですが、しっかりと読むのは初めてで、うきうきしながらページをひらいたら早速「太閤御所御不例」の一文とご対面で崩れ落ちました。殿下いきなり危篤ですか…!「太閤御所」という呼び方にちょっとときめいちゃったけど!
 秀吉が意識を失うことが多くなってからは、ほぼ毎日義演さんは病平癒祈祷を続けていて、切なくなってしまいました。秀吉の体調が悪化したということを聞くたびに「私には祈ることしか出来ない…」と書いてあるのとか、もう、反則です。秀吉が死去するのは慶長三年の八月十八日ですが、義演さんにもその死は隠されていたようで、八月十八日から四日後くらい(うろ覚えですみません)の記事に「太閤様の仰せで寺領が加増されることになった、というお達しがあったよ!」とあって、うわぁあああ……と。ただ、いつ頃義演さんが秀吉の死を知ったのかは、いまいち分かりませんでした。いつの間にか、日記に「太閤様の御遺言で~」ということが書かれるようになったので、その間に知ったのでしょうけども。あと、豪が醍醐の花見に参加した人達の和歌が書かれた短冊の写しを欲しがっていて、ちょっときゅんと。醍醐の花見には、そういえば豪は参加していなかったんですよね。義演さんは豪の病気平癒を祈願していたり、秀家の無事を豪の依頼で祈願していたりするので、豪と親交があったのかなぁと。
 それから、この義演さんの日記のせいで、私の政宗イメージ崩壊にとどめが入りましたなんてことしてくれたんだ義演さん。私が最初に抱いてた政宗のイメージは、秀吉大嫌いないっそ猿死ねば良いのに、だったんです。それが段々段々と、アレ、ちょっとおかしいぞこれ。と思うような逸話に出会いつつ(大投げの花入の逸話・ねねと夏の陣終わってもメル友だった件・秀吉の遺品分けで貰った刀を後生大事に持ってた・関ヶ原直後に秀頼が今後も無事でいる方法を必死に模索して書状を徳川家へ送ったりもしたけどスルーされた件・秀吉から、利家と家康もくるお泊まり会に呼ばれて夜明けまで語り合ったんだぜ!という話を後に小姓へ自慢した件)義演さんの日記で、とどめがどーんと。この人、秀吉の病平癒を二回も義演さんにお願いして、義演さんから「結願したから大丈夫、安心して!」とか言われてるんですけど……。豊臣家へのご機嫌とり?という可能性も、勿論捨てるわけにはいきません。しかし、豊臣家からの公式依頼の他は、大名では政宗しか義演さんに病平癒の祈願を依頼していなかったので、少なくとも私の中で政宗は隠れ秀吉スキーに認定されました← 

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2010/05/24 (Mon) 拍手お返事



 拍手押して下さり有難う御座います!励みになっております!
 追記に、拍手お返事をさせて頂きます。遅くなってしまいすみません…!

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2010/05/24 (Mon) 六角の話



 レポート1つ、面倒なのに片がついたので、ようやく大坂夏の陣プチ企画の更新に着手出来そう、です…!本当に申し訳ないです。
 それはそうとしておいておきまして、改めて義賢の「斎藤ありえねぇんだけど!」の書状を読んでいると、義賢の人格が何となくわかって面白いです。あと、義弼とのどう贔屓目に見ても上手くいっていないに違いない親子関係← 義弼が反抗期過ぎる。多分義賢って、正義感と責任感が強くて真面目で潔癖症でカタブツで世間体を気にする人だったんじゃないかなぁ、という感じです。生きづらいことこの上なさそうな。テンション上がった状態で書いた書状だったからかもしれませんが、それにしたって「世間の笑い者である」とか「江雲寺殿の天下隠れ無き孫であるのに」とか「我が家は宇治川以来の名誉の家柄であるのに私の代で草紙で卑怯者と書き残されてしまうのは恥である」とかの言葉が頻出しています。とにかく「天下の笑い者」というニュアンスの言葉が盛り沢山です。そしてそんな義賢に、きゅん!となってしまう病気にかかっているんですけれども(…) 義龍嫌いが激し過ぎて、いっそ可愛いです。義龍アレルギーなんじゃないかこの人。最終的に、六角は斎藤と手を結んでいるので、引きつった笑みを浮かべながら義龍からの書状を受け取ってる義賢を妄想して、によによしてます。義龍は義龍で、そんな義賢を面白がってると萌えます。あれ、義龍×義賢ry……げふん。その辺の下郎共×義賢は非常にによによします(…) 人として間違っててすみません。
 そして、義弼との親子関係ですが、さぞかし義弼が言うこと聞かない子だったんでしょうね。
「全てお父さんの言う通りにします!」
 という起請文を出させています。その後に観音寺騒動が、義賢のまったく預かり知らぬところで起こっていたのを考えると、まったく起請文の意味がねぇという……。出陣先で、父親が蛇蠍の如く嫌っている相手の娘と婚約の約束を取り付けてしまう子なので、仕方ないと言えば仕方ないような気も← 義弼が斎藤家の娘を嫁にしようとしたのは、父親への当てつけなんじゃ?な妄想が少しありますし。
 そんな義賢ですが、意外と信長の存在を気にしていたようです。斎藤家との婚姻を嫌がる理由に、朝倉家や織田家との関係を挙げていました。斎藤家と婚姻関係になることは、朝倉と織田が当家へ遺恨を残す原因になる!とか。信長とかアオウトオブ眼中だし、というイメージがあったので、何だか意外でした。

 余談ですが、狩野山楽の描いた『犬追物図』は「佐々木玄雄なる古老から話を聞いて描かれた」という記録が残っているそうです。佐ww々ww木www玄www雄wwww どう見ても義弼ですどうもありがとうござry ということは、その『犬追物図』は、六角家流の犬追い物のやり方で描かれているんですね。家によって犬追い物のルールというのは違ったそうなので。山名家は犬追い物のルールがこますぎて若干引きます← 山楽は夏の陣で豊臣家は滅ぶまで大坂にいたので、恐らく、同じく大坂にいて秀頼の弓師範として仕えていた義弼が、病で伏見に引退するまでの間に描かれたのかもしれません。義弼が最期の地に、父親である義賢の没した伏見を選んだのには、やっぱり理由があるのかなと、ちょっと考えてしまいました。あまりしっくりいっていたイメージのない親子ですが、最後は何らかの形で分かりあえたのだと思いたいです。じゃないと、二つ並んでるお墓が白々し過ぎる!←
 義弼は若い頃や、足利義昭に付き従ってる頃を妄想してもによによ出来ますが秀頼の弓術師範をしている時も好きです。重成や糺と年甲斐も無くぎゃいぎゃいやってれば良いと思う。いや、しかし、義昭との関係も萌え……いや、だって、義昭が鞆にいる時側近として傍にいたことは確実で、しかもその後二人揃って秀吉のお伽衆になってるんです。名護屋城の在陣にも、二人とも行ってるんです。でも若い頃、義弼は三好と結んで義昭を殺そうと目論んでいたわけで何それ萌える。長政←義弼が私の中で王道なんですが(…) ちょっと、何か、目覚めたかもしれない(止めなさい)

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2010/05/21 (Fri) 拍手お返事



 いつも拍手を押して下さり、有難う御座います!
 追記に拍手お返事をさせて頂きます。

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2010/05/21 (Fri) 饗庭さんとか



 ふと、饗庭さんと政之(浅井長政の弟)て歳が近かったのかなぁと妄想してみたら、えらく萌えました。歳が近く、おまけに仲良しだったらきゅんとしてしまいます。×ではなく、+な関係で。
 最近は、糺・重成・長秋・兼相・治房妄想をぽけーとしている時はしているのですが、いつの間にか女房衆のことに妄想が移っておりまして、饗庭さんはぁはぁ状態に(…) 真に、茶々の苦しみや痛みを理解出来たのは饗庭さんなんじゃないかなぁやら考えてしまいました。勿論、大蔵さんも茶々の大きな支えとして傍にあったとは思いますが。でも饗庭さんは茶々の乳母であったことも加えて、茶々と同じく、戦で親と故郷を奪われた浅井の一族という境遇だったので、痛みを共有出来たんじゃないかなと。更に浅井が滅んだ時は、十代後半か二十代前半だったと思われますので、自我もはっきりしています。捕らわれた阿古さんが、織田方に指を一本ずつ切られ、数日かけて処刑されたという話も聞いたと思いますし、何か、はい、うぉああああとなります← 女の人は命を助けられる、という当時の在り方から考えると、阿古さんへの処遇は異常だなと思ってしまいます。いくら長政の母親だったとはいえです。処刑するにしても、首を切り落とすとかならまだしも、指を少しずつ切って数日苦しみを味あわせて殺すって……信長一体何があったし。大坂の役で、南部さんが大坂に籠城したかつての家臣をそんなやり方で処刑したなぁ、ぐらいしか聞いたことありません。その人は確か、指を切る役目の人が震えているのを見て、せせら笑ったという恐ろしい逸話を持っている人なのですけども(…) 阿古さんもそんなんだったような気がします。泣き叫んでる阿古さんというのが想像できない(阿古さんを何だと思って)
 そんなこんなで、大坂の役の時、饗庭さんは何を思ってたんだろうなぁ、小谷城が落ちた時のこと思い出してたりしたのかなぁやら考えてしまうともう駄目です← 茶々の身の回りの女の人達って、戦に巻き込まれたことのある人達が多いような印象があるので、結構どっしり構えてそうなんですよね。大坂城にいた初に至っては、関ヶ原で大津城が攻められたとき、自ら弾薬の運搬を手伝った猛者ですから← この時、銃弾が袖を貫通したのは初でしたっけ、その侍女でしたっけ。どっちにしろ、凄く、元気です。その戦真っ最中な大津城へ、開城勧告の取りなし役として孝蔵主(寧々の使者)と一緒に饗庭さん(茶々の使者)も行っているので、下手な男の人達よりも、戦のことは知っていそうな気がします。

 饗庭さん+政之で、野村合戦(姉川の戦い)前後辺りのことをちょっくら妄想してこようと思います。


追記:そういえば天文八年の証如さんからの手紙に「少弼殿(定頼様)御在津之由候間」という一文があるのですけれども、これってつまり「少弼さんは津にいらっしゃるので」という意味で良いのでしょうか。そうなると、「津」が伊勢の「津」を指しているのか気になります。翌年の天文九年に、六角家は北伊勢の長野氏とドンパチをおっ始めますのでこれが伊勢の津を指しているのだったら何か関係しているような気が。当時、伊勢の津は北畠氏の支配圏内に近かったようなので。長野氏は北畠氏と対立しているので、存外、この時に定頼様の娘が北畠氏へ嫁ぐ話が持ち上がったのかなぁという気もします。この「津」が伊勢の「津」を指しているのではなかったら、生ぬるく笑ってやって下さい←

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2010/05/20 (Thu) 生存報告



 お久しぶり過ぎて泣けてきました。生きてます!生きてますよ!ただ、変なもん食ったのか少しばかりリバースしてただけです(…) うかうかしているうちに、何だか色々過ぎてしまった気がしますが、今戦メールは長篠の戦いを実況中です。ちょっと前は桶狭間でした←

 そして、この間乙式メンツで遊んだ時に言われて気付いたんですが、

 このサイト二周年迎えたらしいよ…?

 ま、まじでかぁああああ!? 今はちょっとごたごたしているので、何も出来ないのですが、ちょっと落ち着いたら何かしたいなと!はい、何か!(…)
 最近ちょっと、色んな創作戦国サイト様での治長遭遇率の高さにニヨっとしつつ、ここら辺で失礼します。

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2010/05/15 (Sat) によっとしたこと


 今日、史料を読んでいて、によっとしたことを箇条書きに。

・容顔美麗と書き残された国松(秀頼の息子)
・あとやっぱり勝家の通称は長右衛門だと思う。
・又兵衛の援軍にやってくる薄田さん。
・舟橋秀賢さんの元へ、ちょいちょいおしゃべりをしに行っている幽夢時代の盛親。貴族の屋敷に出入りできる立場ではあったんですね。
・忠興の「にかにかしきこと」 でもこれニカニカ愉快といことなのか、苦々しいということなのかどっちなんでしょ……苦々しいという意味な気がする。
・「次郎兵衛を殺すな」と北川さんを助けに糺が突っ込んでくるところは、何度読んでもによつきます。
・幼い頃から秀頼に仕え~と書かれた浅野長晟さん。もし本当だったら泣きたくなるどころじゃねぇぞ。

 夏の陣が終わった後、大坂からの落人だけでなく、大坂に籠城していた人が預けた物にまで幕府からの詮索の手が伸びています。古田織部が治長に贈った秘伝書の「大野修理殿へ」という奥付に、何度も削られた後が残されているのは、治長より秘伝書を預けられた人が、秘伝書を守り通そうとした苦肉の策なのかなぁと、ちょっと思ったりしました。

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2010/05/13 (Thu) 延期宣言


 今年は、6/13が、旧暦での5/7らしいです、よ!(笑顔) ………ということで、大坂夏の陣ぷち企画は6/13まで引き延ばしでも良いでしょう……か!まだ一つもアップ出来てない状態で何言ってんだお前な感じですけどもすみません!フライング土下座で許してください!
 ちょっとだけ、レポートの海に沈んできます。もういっそ、全部燃やしてしまえれば良いのに←

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2010/05/11 (Tue) 拍手お返事



 拍手をおして下さり有難う御座います。
 追記に、ブログ拍手お返事をさせて頂きます。

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2010/05/09 (Sun) 修正と浅井さん



 読み返してみたら、明らかに年代の辻褄合わないだろ、という箇所があったので「同じうてなと知りせども」をこそっと直しておきました(…) また「百年華影」の一章0話でも、浅井直政(明石さんの婿ではない方。蔵屋さんのお父さん)が永正十一年(1515)の頃には亡くなっていることを前提とした科白を書いていたのですが、直政さん、お亡くなりになられたのが天文九年(1540)だった模様で!こちらも、さきほど大慌てで直しておきました…。

 亮政にとって、直政さんが唯一頭のあがない人だったら面白いなぁと思ってます。八歳かそこらの時、父親を戦で亡くした亮政にとって、直政さんは父親のような存在だったんじゃなかろうかと。そういえば、直政さんと亮政の年齢差ってどうなってるんでしょう。一応従兄弟という関係らしいのですが、あんまり年齢に差が無いとなると、さっきの妄想が使えなくゲフンゴフン。……歳が近くても、逆にそれはそれで美味しいんですけども← 歳が近かった場合、従兄弟の亮政を自らの婿にして、家督を早々に継がせた直政さんの心境を妄想してしまいます。おまけに、家督を譲った後は、亮政の補佐役になるとか何それ妄想しろと言うことか!(違う)

 浅井家の家系図を改めて見てみたら、あまりの賑やかさにはぁはぁしてしまったので、長政の兄弟達から作っていってしまおうかと目論んでます(…) しかし、久政次男の名前が「政元」とは、不きつry……素敵な名前を貰いましたね!没年が若干二十六歳ながら浅井家の財政管理や、兄・長政の参謀を務めた人らしく、脳内ではすっかり七三分けです。凄く、右側に置きたい、です。三男の政之は、姉川の戦い(本来は野村合戦と呼ぶのが正しいそうな)で戦死したということ以外事跡が残っていないそうなのですが、その辺は妄想力でカバーです。阿古さんの子の可能性がある=長政と同母弟という可能性がある、ということに加えて、末の弟なので、長政に可愛がられまくってりゃ良いじゃないと。
 しかし、五つの時に帰ってきた長政という長兄の存在を、政元がどんな風に受け止めていたのか、考えるとちょっともだもだしてしまいます←

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2010/05/08 (Sat) 5/7



 ついに5月7日が過ぎてしまいました…。何もアップ出来ないのが口惜しいです。ちょっくら、お題更新頑張ってきます!でわ!

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2010/05/07 (Fri) 大坂夏の陣プチ企画


 パソコン版サイトのトップに、大坂夏の陣企画会場へのリンクを貼ってみました。中身がすっからかんで大変申し訳ないです。新暦での大坂城落城である6/3までに、全部のお題が出来たら良いなぁ、という趣旨の企画です(…) 座談会にしよう!や、大坂面子でビーチバレーでもやらせれば?というアドバイスも貰ったのですが、きっとそこまで頑張る元気が無い!と気付きまして…お題に挑戦してみる、ということで落ち着きました。実は、前々から大坂面子で挑戦してみたかったお題なので、丁度良いかなぁと。誰がどのお題の主役になるかは、阿弥陀様に委ねました← そんなこんなでパっとしない企画ですが、生ぬるく見守って頂けましたら幸いです。

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2010/05/05 (Wed) 小さな恋のメロディry


 ようやっと更新できました!もう昨日の話なのですが(…) 又兵衛と兼相の話です。ちょろっとだけ明石さんも出てきます。書いてて思ったのですけども、うちの又兵衛は押しかけ女房に弱い、ような(例:治長、重成、兼相) 重成と兼相の押しかけパターンが似てしまってアイタタターです。
 又兵衛の介錯をした人は、伝わっている色んな名前の中で「金方」さんという人の名前を使わせて貰いました。多分長沢さんに匹敵するくらいの又兵衛狂い。後藤組を書くなら、長沢さんや一意、古澤さんも考えなくちゃなぁと思うのですが、まだそこまで体力が回復しておりません(…) 又兵衛と明石さんの関係を考える上で、古澤さんは外しては通れないような気がします。明石さんの舅か、もしくは義兄弟という可能性のある人ですから!おまけに、又兵衛の先鋒として戦死とは、色々と慄きます。

 明石さん絡みですと、明石さんの娘(カタリナでしょうか)と、浅井直政との小さな恋のメロディを書いてみたいです← 本当にこの二人は妄想すればするほどニヨニヨできます(…) 浅井直政は茶々の親戚に当たる人です。饗庭さんの姉である海津局さんの息子として伝わっていますが、恐らく海津局さんが嫡母であり、実の母親は別にいたのではないかと思います。実の母親が三好氏であったのならば、後年、御台所である江に憚り、浅井姓を外戚の姓である三好に改めた、というのも納得出来ます。なので、饗庭さんにとっては義理の甥ということになるのでしょうか。また、長秋にとっては義理の従兄弟ということにもなります。直政の没年から計算すると、大坂の役の時には十五歳でした。なので恐らく、大坂の役真っ最中(もしくは講和期間)に明石さんの娘と結婚したという可能性があるわけで……これで萌えずしてどうする← 直政の父親である浅井政高は、夏の陣で戦死しています。また、自害したという話も聞きます。その辺りで妄想すると、直政とカタリナ(明石さんの娘でカタリナ以外の名前が見当たらないので、仮称、ということで御容赦下さい)(…)は茶々や秀頼と一緒に山里曲輪へ籠もったけれど、説得されて海津局さんと一緒に城を出たのかなぁと。手に手をとって逃げる二人の姿を想像すると、ボーイミーツガール!という感じがして、凄く、滾ります。
 しかし、二人の間に生まれた男の子は、幼少より江戸城の大奥で育てられます。直政にとっての嫡母である海津局さんが母親分でした。カタリナは早世、もしくは、棄教せず離縁ということになってしまったのかもしれません。江の侍女として仕えた海津局さんと二人が共にあったとするならば、徳川の保護なしでは生きられない立場ですし……。
 なんにしても、明石さんを義父さんと呼ぶ直政を妄想して、はぁはぁしてしまうのは仕方が無いです(…)

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2010/05/03 (Mon) ちょっと息抜きに妄想してみた


 今期のアニメではABを楽しみにしているのですが、あれみてると学園パロがやりたくなりますね!脳内で、すっかり大坂面子に制服を着せてます(…)

 高校三年:重成、糺、長秋、秀頼
 高校二年:青柳、治徳、治安
 高校一年:千、直政、一意、大助、勝家

 父兄参観がカオス以外の何ものでもなくなりますね!(笑顔) 年齢とかをまったく無視して、治房と兼相も突っ込んでみたかったんですけども断念しました← 時々勝手に校内に入り込んで、体育館占拠して在校生と一緒にスーツ姿のままバスケでもやってて昔からいる先生に追いかけられて叱られてれば良いじゃない(長い) そして、重成、糺、長秋、秀頼に校内放送で「回収しにきて下さい!」とかかるということで一つ。
 きっと体育祭の日は、秀頼と千のために、豊臣家と徳川家から応援団がやってくるに違いない。
 学園パロ妄想は、やっぱり楽しいですね← 


 

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2010/05/01 (Sat) 土下座の日


 ごめ、団右衛門、ごめ…!今年もスルーしたよ団右衛門の命日。 某中様の日記を見て、あああああああ!と叫んできたばかりです(ご近所迷惑) 戦メールの団右衛門討ち死にの内容を、半寝の半目で眺めてる場合じゃなかったですよ。気付けよ、団右衛門の命日って!はい、そんなこんなで、今年も何も用意してませ、ん(…) ゴールデンウィーク明けに提出しなくてはならないレポートが結構ありまして、大坂の陣合わせで何か出来るかも微妙になってしまいました……ど、どうにか抵抗してみたいとは思いますが!
 岡山口の戦いを改めて読んで、絶賛治房はぁはぁ中です。秀忠の旗本が前線まで出てきているのを見て、秀忠の周りが手薄になっていると考え、自分の与力に前田隊を任せ、自分は直臣の手勢だけを率いて秀忠の陣目掛け突っ込んでいく治房って。糺、治房、兼相、重成らの面子は、戦をへるごとに駆け引きが上手くなっていっているような気がして、によによしてしまいます。勿論、兵の士気が異様に高かったからとも言えるのですけれども。兼相は駆け引き……駆け引き…?な具合ですが← 一人薄田無双をかますような男なので、兼相はあれで良いんだと思います。素手で敵兵を千切っては投げ千切っては投げをするような男は、あいつ一人で十分です。

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