何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
--/--/-- (--) スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


2010/08/28 (Sat) 生存報告


 お久しぶりです!すみません、生きてます!
 ちょっとまだやることがごたごたしておりまして、暫く失踪状態が続いてしまいそうです……。しかし、妄想だけは悶々としてます← 治長が秀吉に仕えた時期って判然としてないんだよなぁ下手したら小谷城落城した後秀吉の世話になった可能性も否定し切れないだよなぁ、やら、重成が重茲の養子だった場合、父親の佐々木さんは何て名字だったんだろう、やら、はい!特に重成の妄想はひどくなっていく一方です。本姓「佐々木」を名乗ることが出来た佐々木一族は限られていたので(六角・京極・朽木・大原・高島辺りしか佐々木を名乗っていない…ような)重成養子説の重成父は、一体どこの人なんだろうねっていうね!(…) 良いじゃない、もう重成の父親六角の人で良ryげふんごふん。

 かのんー!バトンはしっかりキャッチしったよー!ちょっと待っててくれー!<私信

スポンサーサイト

雑記 | trackback(0) | comment(0) |


2010/08/20 (Fri) 拍手お返事+雑記


 ファフナーが映画化……だと……!? 戦国に関係の無い話ですみません!いえ、でも、ファフナーが映画化って嬉し過ぎて失禁するかと思った。随分前から情報が出回っていたようですが、今日初めて知りました!ファフナーは、中学時代に誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントとお年玉とお小遣いをフルに使って、DVD全巻揃えた甘酸っぱい思い出のある作品なので(…) 今から楽しみ過ぎてなりません。当時は何も知らない純粋な子供だったので← 主人公二人の関係は精神的な繋がりの異常に強い友情として捉えていたのですが、今見返すと若干妖し…げふんごふん。しかし、本編が放送していた時には、15歳だったメインのキャラ達と同じ歳だったのに、いつの間にかえらい年上になったもんだなぁと、遠い目になってしまいます。これをリアルタイムで見るためだけに、深夜にセットした目覚ましで起き、見終わった後に再び寝るという生活を毎週繰り返していた、痛々しい思い出が(…) 剣司は未だに俺の嫁です。何だあの可愛い生き物。


 こんな記事の続きですみません!追記に拍手お返事をさせて頂きます。いつも有難う御座います!

連絡事項 | trackback(0) | comment(0) |


2010/08/15 (Sun) 拍手お返事


 拍手を押して下さり有難う御座います!追記に拍手お返事をさせて頂きます。

連絡事項 | trackback(0) | comment(0) |


2010/08/15 (Sun) まだこの手は繋がっている


 何となく書きたくなったので、追記に千+茶々なSSS崩れを放ってみました。千が十二、三歳くらいの年頃というイメージです。例によってうちの千は茶々コンです(…)

SSS | trackback(0) | comment(0) |


2010/08/14 (Sat) 佐々木右衛門督殿の履歴書


 軽く義弼の一生を纏めてみました。

※年齢の計算は満年齢です

1545年(0歳):南近江(観音寺城or箕作城)に生まれる ※同じ年に浅井長政も観音寺城にて生まれる
     ↓
1547年(3歳):母・畠山義総女が死去
     ↓
1552年(7歳):祖父・六角定頼が死去
     ↓
1553年(8歳):浅井長政が小谷城へ返還される   
     ↓
1558年(14歳):箕作六角家の家督を継ぐ ※六角義久実在説の場合
     ↓
1560年(16歳):野良田の戦いで六角家は浅井家に敗北
同年: 斎藤家との縁談を勝手に取り付け、父・六角義賢の逆鱗に触れる
※義賢の「斎藤ありえねぇ!義弼の我がままどうにかしろ!父上最高!やっぱり斎藤ありえねぇ!」という思いが赤裸々に綴られた手紙が書かれたのはこの時である
     ↓
1561年(17歳):父・六角義賢と共に京奪還を目指し出陣する。
※畠山高政軍と同盟。この戦いで畠山軍が三好長慶の弟・三好実休を討ち取る
同年:三好長慶と和睦し帰国
     ↓
1562年(18歳):再び、父・六角義賢と共に京へ出陣する
     ↓
1563年(19歳):六角宗家宿老衆・後藤賢豊+その息子を謀殺する。重臣たちの強い反発を受け、一時蒲生家へ避難する。パパ・六角義賢の逆鱗に触れる
     ↓
 何か色々な所と色々戦がありました。
     ↓
1567年(23歳):六角家家臣により制定された六角家式目(勝手なことしちゃダメよ!というお約束)を承認させられる。義弼しょんぼり。
     ↓
1568年(24歳):織田信長が足利義昭を奉じて上洛。義昭からの使者に「路次の人質を出せ。無事入京を果たした後は、義賢を天下所司代に任じよう」と伝えられるも、拒絶する。
同年:三好三人衆と同盟し、箕作城に籠城する。三人衆の一人・石成友通の援軍もあり、善戦。しかし信長が帰国としたことで石成友通も帰京。その隙に再び織田に攻められ甲賀へ逃亡。
甲賀衆を従え、ゲリラ戦開始
     ↓
1570年(26歳):杉谷善住坊に命じ、京から岐阜へ帰国する信長を狙撃させる
※浅井長政の織田からの離反に、義弼が関わっていたかの真相は闇の中
同年:野洲川の戦いにおいて、柴田勝家、佐久間信盛と戦う。敗北。
同年:2万の兵を率いてみたり、山科まで出張ってみたりする。11月、信長と和睦する。
     ↓
1573年(29歳):7月から鯰江城に籠もる。攻め手の面子は柴田勝家、佐久間信盛、蒲生賢秀。小谷城が落城した後の3日後、9月4日に落城する。
※浅井長政自害(享年29歳)
     ↓
1576年(32歳):この年から、足利義昭の側近として毛利家(主に吉川元春)との外交を始めている。もしかしたらもっと以前から、義昭の傍に仕えていたのかもしれない。
     ↓
1587年(42歳)以降:足利義昭が出家し秀吉の御伽衆となったのと多分一緒に、秀吉に仕える。
     ↓
1592年(47歳):秀吉の名護屋城在陣に、足利義昭と共に付き従う
     ↓
1598年(53歳):父・六角義賢が死没。宇治一休寺に葬られる。
     ↓
いつの頃からか出家し、玄雄と名乗る(もしかしたら秀吉or義昭の死没により出家したのかも?)
・秀頼の弓術師範となる
・狩野山楽が『犬追物図』を描くにあたり「玄雄なる古老」の話を聞いたそうな
・1605年(61歳):大坂へ秀頼に勉学を教えるためにやってきた舟橋秀賢と共に、御飯を食べている。有楽も一緒。
     ↓
1612年(68歳):伏見にて死没。宇治一休寺に葬られる。
※長政の死から36年後のこと。
※この2年後に大坂冬の陣勃発。


 と、はい、ざーっと義弼の生涯を書き出してみました。
ちょいちょい年齢やら年号やら間違っていたらすみません!晩年は本当、大坂城でほっこりした余生を過ごしていて欲しいです義弼……しかし、御伽衆だったのが、一体どういう経緯で秀頼の弓術師範を引き受けるにいたったのか気になります。茶々にお願いされたとかだったら、えらいきゅんとくるんですが。長政の娘の頼みだったら、そりゃ義弼さん断れないですよ←

戦国的な | trackback(0) | comment(1) |


2010/08/10 (Tue) 拍手お返事


 今更ながら、どの話を書くにしても、秀吉の話と、戦国近江の話をしっかりやらない限りは上手く絡ませられないということに気付きました← 秀吉の話にも戦国近江の話にも、大坂の役参戦者が多くいますので……過去があって今がある、という感じにしたいなぁという叶いもしない願望が、はい(…) 幼い頃の伊木さんを、いてこましたくて仕方ないです。賤ヶ岳の時に十六歳で手柄をあげて、その働きによって黄母衣衆に選抜されたって色々美味し過ぎる。


 拍手を押して下さり有難う御座います!追記にて拍手お返事をさせて頂きます。

連絡事項 | trackback(0) | comment(0) |


2010/08/08 (Sun) Couldn't put Humpty together again.


 3日、誕生日だったねそういえば秀頼…!ごめんなさ、その、忘れてましたっ!← この勢いで秀吉の命日も何も出来そうになくて怖いですしかし秀頼……ら、来年!(お前)

 追記に何故か、むらむらっときた勢いで書いた長政×義弼風味なSSS崩れを放ってみました。好きなことを好きなように垂れ流しただけな具合です。私の妄想する二人はこんな感じです!という宣言も兼ねまして(…)

SSS | trackback(0) | comment(0) |


2010/08/06 (Fri) 帰還報告等々


 只今帰って参りました!もう足首と膝がひーひー言ってます……お菓子なんて暫く口にしたくないです← でも、親指の感覚が数日戻らなかった去年に比べると、まだマシかもしれません。
 四泊五日の合宿を耐えるために、ひたすら妄想スキルに磨きをかけていました。お陰さまで、合宿中は秀吉時代の豊臣家の波と、大坂の波と、戦国まっただ中近江の波が交互にきている状態で頭の中がえらいことに(…) とにかく今は、六角と浅井の波がきております…!改めて、浅井の相手役は六角しかない!と無駄に確信してますすみません疲れてるんです。どこかに義弼と長政がきゃっきゃしてる小説転がってないですかね(無茶言うな) 信様と長政がアッーな仲な小説があるという話は知っているんですけれども、長政の心を占めていたのは信様ではなく義弼だと主張したい私は所詮単なる六角好きです(…)
 義弼の生まれた年を二パターン見かけるので、長政の生まれた年と同じ1545年生まれ説で突っ込んでいこうかと思います。義弼と長政の二人が同じ年に、観音寺城で生まれたかと思うと、えらく滾るものがあります。いや、義弼は箕作城生まれかもしれないんですけれども!何かこう、ひたすらに切なくなってしまいます。大坂の若い連中を妄想する時とはまた別の切なさと言いますか!義弼が一方的に長政に絡んでいるようにみせかけて、実は共依存な関係で妄想してしまってます。織田から離反するよう、浅井を説得したのは六角だと信じていますので(…) そこら辺で色々考えてしまいますと、はい。ということで、誰か私に長政×義弼を恵んで下さい← 野良田の戦いが起こった後の義弼の荒れっぷりを妄想するのが、最近の楽しみです(お前)

戦国的な | trackback(0) | comment(0) |


| TOP |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。