何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/11/26 (Fri) 地を這う犬二匹



 むらっときたので書いてしまいました。追記に秀吉×龍子さんなSS崩れを放ってみます。下卑たことを平然とのたまう下種秀吉と、それを面白がる、こちらも少々人格的にアレな龍子さんの二人組でお送りしますのでご注意下さい。龍子さんはこんなんじゃない!と、はい、私も思います(…) 秀吉は、うん、好きだよ殿下。ド外道なところが。いっそ、信様殺しの真犯人は秀吉だった!な方が、魅力が増す気がするのですけれども。あれこれ本を読んで、秀吉が真犯人なのはあり得ないと自分の中で結論を出してしまったのでアレですが。秀吉のイメージはぐっちゃぐちゃに熟れた腐りかけの果物かなぁと。何かちょっとエロくて良ry ぐちゃぐちゃに熟れた殿下を誰か恵んで下さい(お前)
※秀吉が下種です。龍子さんが人格的にアレです。男女の同衾表現がちょっぴりあります。

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2010/11/22 (Mon) メモリアル梵舜


 いつもお世話になっております紀伊様の「萩の御前」様において纏められております史料の項目にて、思わず感嘆してしまった事項がありましたので、紹介させて頂きます。

・冬の陣が終わった後の1月に治長が上洛していたことは知っていたのですが、具体的に何をしていたのか分かりませんでした。しかし『舜旧記』によると、治長は養源院(茶々が父・長政の供養の為に建立した寺)を訪れているそうです。そこで、梵舜とも会っているそうな。
・幸村の妻(大谷さんの娘)が、浅野長晃に捕らわれた際、秀頼から賜った来国俊の脇指を献上している(つまり、大谷さんの娘が直々に秀頼から賜ったか、幸村が秀頼から賜ったものを預けられたかのどちらかだと思われ)
・夏の陣後の豊国社(ぶっちゃけ梵舜さん)への嫌がらせの数々。道を塞がれるわ、勝手に松を刈り取られてしまうわ、散々です。
・養源院にて行われる、茶々と秀頼の一周忌法要。仏事を行ったのは「御台」だそうで、寧々なのか江なのか不明だそうです。
・梵舜さんの、豊国社再興への執念。
・神龍院内豊国神社鎮守社(豊国社の敷地没収!やら言われてしまった梵舜さんが、自前の神龍院の敷地内へ、豊国大明神の御神体を移してこっそり祀った社)への、八条宮智仁親王(秀吉猶子)の参詣。
・『舜旧記』曰く、徳川和子(後水尾天皇妻、秀忠と江の娘)が懐妊した際に行われた着帯の儀において、用いられた神具のことごとくが、豊国社のものだったそうな。
・寛永元年(1624年)に黒田官兵衛の嫁さんが、寧々に会いに行ってたり
・かなり長く続いている梵舜(つまり豊国社)と龍子さんの付き合い。神龍院内豊国神社鎮守社になっても続いてます。
・寛永4年(1627年)に豊国社が再興される夢を見る梵舜さんに、涙腺がたがたです。
・内藤玄春という人の妻であったらしい刑部卿局(千の乳母)
 この人には内藤長秋(木村重成の与力。若江の戦いで戦死。重成の妹婿という説もある。享年21歳)の母親という説もありますが、もしも本当ならば、長秋の父親はこの玄春さんという可能性もあるんですね。

 勝手にすみません!
 和子さんには、豊国大明神と淀姫神様両方の加護があるような気がしてなりません(…) しかし、官兵衛の嫁さんは、寧々とどんな話をしたんだろうなぁと。

 

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2010/11/20 (Sat) 大野治房の息子


 大野治房の息子について、走り書きのメモで失礼します。
名前は永井勘兵衛。大坂落城当時は幼く、京の近辺に隠れ住んでいた。成長した後は、長崎で市井に混ざり暮らすようになる。しかし、慶安二年(1650年)に密告され、京へ送られる。息子が京に住んでいたが、この息子ともども死罪となった。
 とのこと。『長崎旧記』に記載されている内容です。まったく別件で史料をあさっていたら「大坂城ニ籠もる大野主馬子永井勘兵衛ト云者長崎ニ捕京都へ被渡事」という見出しがあって、目玉ひんむきました。しかし、この永井勘兵衛の説明が「大野道軒弟大野主馬子永井勘兵衛」て……治胤と治房の上下が逆転しとる。1650年と、夏の陣から三十五年も経っていますし、当時のことを知っている人も散り散りになっているので、情報がおかしくなってしまっても無理はないかなとは思いますが。気になるのは、大坂城に籠もっていた譜代の罪(罪というのもおかしな話ですが。幕府的にはということで)を許すというお触れが、随分と前に出ているはずなんです。牢人に関しては、中々そのお触れは出ませんでしたが……よっぽど、治房だきゃあ許してなるものか!となっていたのかもですね。おまけに本人は最後まで捕まらなかったのですから、むきー!となりそうです。永井勘兵衛を探し出す時も「長崎中ノ下人迄残壱人宛三四世代以前先祖ヲ改稠敷被吟味遂候」なので、とにかく長崎中の人間の先祖を洗い出しました!と、物凄く熱入ってます。いや、でも、本当、治房はどこへ行ったんだ(…) 明石さんと一緒に海外に渡ってたりして←

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2010/11/10 (Wed) 生存報告


 帰宅宣言をした直後に一カ月失踪とか、本当に申し訳無いです……。
 相も変わらず糺にきゅんときたり、又治妄想をしたり、小六×秀吉でぼーっとしたり、近江な人達でもだもだしたりしてます。最近は秀吉×龍子さんが熱いです。何か寧々や茶々とはまた違った、アダルティックな香りがする(何で) 書きたいことは山積みなのですけれども、中々時間が確保出来ず…!また暫く留守をしてしまうかもしれません。早く大坂夏の陣企画終わらせたり、百年華影の続きを書いたりしたいですっ
 しかし、六角は浪漫だと思うのですよ(遠い目)
 凄く爛れた関係な亮政と定頼様な話、どっかに落ちてないかな←

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