何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
--/--/-- (--) スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


2011/04/28 (Thu) どきどき☆六角だらけの京都ツアー



 なつさんと『二泊三日 どきどき☆六角だらけの京都ツアー』に行ってきました。
 女二人がひたすら六角氏縁の地で興奮してるだけの、色気もへったくれもない旅です(…)

・相国寺(代々六角氏の子息が預けられていた寺。久頼や定頼様も相国寺出身)
・大徳寺大仙院(政頼の息子・古嶽さんが開いたと伝えられる塔頭。四ツ目結いフィーバー)
・六角通り(六角堂付近。時信時代の六角家の屋敷がこの辺りにあったそうな)
・一休寺(一休さんで有名なお寺。義賢と義弼の墓があります。義賢は宇治の田町で没したそうです)

 定頼様が、妻の呉服様と一緒に参拝した宇治の春日社にも行きたかったのですが、時間の都合で断念しました。あと、折角だったので、豊臣関係のお寺にも参拝してきました。豊国廟の麓が女子高とか女子大ってもう、グッジョブ!としか(…) 豊国社で、豊国社オリジナル御朱印帳を買うことができて、いやっふぅう!でした。日本全国の秀吉を祀ってる神社を参拝して、豊国社御朱印帳に御朱印を頂戴したいです。
 特別公開をしているということで、清涼寺にも参拝しました。
 正栄尼の肖像画が公開されておりまして、もうね、あれです、
 めっちゃ美人。 
 何この人!っていうくらい美人さんでした、正栄尼。八千草薫さんに、ちょっと雰囲気が似ているような……
 お寺の方に、「どうして正栄尼の肖像画があるのか?」や「何故、徳川家による豊臣方への残党狩りが激しい中で、正栄尼、並びに渡辺一族の供養を定期的に行っていたのか?」等を伺ってみたのですが、代々の住職さんが世襲制では無いらしく、お寺で受け継いでいくお話が途絶えてしまうことが多いらしいです。なので、正栄尼と清涼寺の縁についてのお話も、そうした中で途絶えてしまったのかなぁと。ただ、嵯峨源氏の開祖である源融と縁の深いお寺なので、嵯峨源氏である渡辺昌の妻として、渡辺糺の母として、生前から清涼寺と正栄尼は付き合いがあったのかもしれません。
 また、清涼寺の現在の本堂は徳川家の寄進によるものですが、それ以前の本堂は、秀頼の寄進によるものだそうで、その際、清涼寺側との折衝を行ったのが正栄尼や糺だったのかなぁ、な妄想をしてみました。
 あ! ちなみに、正栄尼の肖像画で賛を書いていたのは、琴誉という方でした。

スポンサーサイト

雑記 | trackback(0) | comment(0) |


2011/04/25 (Mon) 拍手お返事


 大変遅くなってしまいすみません!
 追記に、拍手お返事をさせて頂きます。

雑記 | trackback(0) | comment(0) |


2011/04/11 (Mon) 我身者天下取之娘



糺が光秀の孫(かも)だと………!?
そのような記述が『天正記聞』(=『秀吉事記』?)という史料にあるそうです。紀伊様、本当にいつもいつも有難う御座います…! 正栄尼が浅井長政の庶子かもしれない、とも取れる記述をしている本(not史料)があるので、正栄尼は長政の庶子な可能性があるのねーと思っていたのですが、こういった記述のある史料が存在するとは驚きです。勿論、全てを鵜呑みにするわけではないのですが、しかし、完全に否定する要素もまた、私は持っていません。概略すると、こんな内容だそうです↓

「明智光秀の前妻は、近江永原城主・大炊助の嫡男、仁左衛門の娘だった。光秀とこの女の間には、娘が一人生まれた。この娘は後に秀吉家臣・渡辺昌に嫁ぎ、渡辺糺を生んだ。夫の死後、彼女は尼となり、正栄と号した」

 とのことです。糺や正栄尼の自害の様子も書かれているのですが、こことでは略します。また、この史料によると、
・正栄尼には、糺の他に、ツルという名前の娘もいた(=糺の妹or姉?)
・糺の妻は、牧村利貞の娘
 だそうです。
 とんでもない内容ですので、はわわわとなるしかないのですが、もしも本当だとすると、糺は光秀の孫であり、正栄尼はガラシャの腹違いの姉、ということになりますね………また、糺と興秋が従兄弟ということに。守還俗の働きがけに忠興の名前があったのは、ここら辺が関係していたりして、と妄想してみたんですけれども、違うような気もする← 
 「天海=光秀で、秀吉への復讐のために大坂の陣でハッスルしてた」というぶっとんだ奇説と「正栄尼は光秀の娘である」という説の合わせ技をすると、一気に大坂の陣が、いたたまれない親子の物語になってしまうような(…)
記事のタイトルは『天正記聞』で、正栄尼さんが言っていた言葉です。

戦国的な | trackback(0) | comment(2) |


| TOP |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。