何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2008/11/18 (Tue) 図録到着


 長浜城歴史博物館から、頼んでいた図録が届きました!「戦国大名浅井氏と北近江―浅井三姉妹まで―」は、まだじっくり読めていないのですが、肖像画やら何やらに、おおおおと。浅井氏についても書いてあったので、しっかり勉強しなくては。
 そんでもって、ちょっと逸れるんですが、この図録の中に浅井家臣の奥さんの肖像画も載っていたんですよ。法体ではない姿でして、でも、賛によると追善の為にその子供が描かせた代物らしく…今まで私、女の人の法体じゃない肖像画で、生前に描かれたものを見たことが無いんですよね。茶々のものだって良く言われる肖像画も、本当に茶々の肖像画かも分からないし、そもそも死後かかれたものだし、良く見る市の肖像も、死後茶々の命で描かれたらしいし、お犬方の肖像画も、死後その夫が描かせたものですし、私が知らないだけで生前に法体姿でなく肖像画が描かれた女性もいるかもですが、取り敢えず今の段階では知りません。というわけで、治長嫁の肖像画ってどうなのかなぁと(結局そこか) そもそも、治長嫁がいつ亡くなったかも不明なのですけど、もしも夏の陣後(もしくは夏の陣で、一緒に自害)だったら描かせたのは葛葉で、大坂の役よりも前だったら、治長かなぁ妄想がもりっと。というか、他に描くことを依頼しそうな人がいない…。治徳と治安は自害と刑死ですし、まさか治純ってことは無いだろうし。あ、嫁さんの方の家系の人っていう可能性もあったか← と、取り敢えずその線は置いときまして!(お前)
 そこから更に妄想を繰り広げますと、葛葉17歳死没説でいった場合、千の侍女をしていたかもしれないにしても経済力の問題で、葛葉が描かせたというのはどうかなぁと。となると、大坂の役以前に亡くなり、治長が肖像画を描かせたというのが、個人的にしっくりくるのですが、どうでしょうか(どうって) 単にそっちの方が萌えるだけとも言げふんごふん。治長が描かせたのだとしたら、治長から嫁さんへの愛情を感じて、えらくによによするんです← 
 んで、別の図録ですと、豊国社の分布図を見た瞬間に、やばかった。おいちゃん、切なくなり過ぎた…。大名によって自領内へ勧請された豊国社が幾つかありまして、そのラインナップが、
・陸奥、弘前城
・加賀、金沢
・近江、佐和山城
・安芸、国泰寺
・阿波、小松島
・肥後、熊本
・筑前、神屋宗湛宅
 な、訳ですよ。どんなコメントをして良いのか。
何で弘前城にあるの、な突っ込みもしたいですし、佐和山に豊国社作ってる三成に悶え転がりたくなるし、豊臣VS徳川の気運が高まってきてる慶長19年に領内へ勧請する、蜂須賀家の猛者っぷりにうわおとなるし。熊本にまで持ってきた清正にきゅんきゅんするのは言わずもがなでして。問題は、おま、あれだ、筑前。神屋宗湛宅て、宅て何なの宗湛!家にまで持ってきますか秀吉を!?(別に秀吉持ってきたわけじゃ)(…) しかも、「大名によって自領内へ勧請された豊国社」というのを忘れちゃいけないわけでして…筑前の領主って確か、え、な、長政?関ヶ原の前か後かによって、長政or秀秋なんて、ある意味物凄い二択になるのですけど。長政だったら、あれだ、そんなことしてるから冬の陣の時、江戸留守居かっくらうのよ!とか言いたい。凄く言いたい。

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