レポートが三つ溜まっているにも関わらず、秀秋のことまで調べようと触手を伸ばしているんですが(恐ろしく采配の影響です)(ああああ)
「大日本古文書」の毛利家のに載っている慶長4年の書状で、秀吉の遺命により筑前筑後を秀秋に与えるっていう五大老連署のものがあるんですが……どういうこっちゃ?← 秀秋って、越前に減封されそうになっていたのを、秀吉の死後、家康の執り成しで免れたとか思いこんでたのですけれども、そういうわけじゃなかったのかしら。それとも、別に秀吉はそんな遺命残して無かったけど、良いやでっちあげちまえ!とか?(どうだろう) ただ、五大老連署なことを考えると、やっぱり秀吉の遺命だったのかなぁと。あと、秀秋が名島時代に、疱瘡に罹っていたとか。その秀秋を見舞う輝元と、見舞った輝元に、秀秋を見舞ってくれて有難う的な書状を出す秀吉にちょっと萌えた(お前)
あと、秀秋とは関係ないんですけど、秀吉の小姓時代清正宛書状で、宛名が加藤虎殿になっていたのに悶えたら駄目ですか。虎て、虎て…! 普段から秀吉がお虎お虎呼んでたっつーことで良いのかしら。あ、あと、秀吉と浅野の長政さんが義兄弟の契り結んでた^^^^^^ ……そっちの意味で解釈して、オケ?(黙れ)
つーことで!レポートの作業に戻ります!何故溜めたし…!
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