何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2008/12/11 (Thu) 家臣とか


 「北村甚太郎覚書」という、関ヶ原の時に田辺城へ籠城した人の記録をちょいと目にしたんですが、同じく籠城した人の宮津衆という括りに、ちょいちょい北村姓の人が出てくるんですよね。宮津って、治長父の居城だと伝わる大野城のある大宮と同じく丹後ですし、「宮津府志」だと、治長父は、浅井が滅んだ後、故郷の丹後へ帰り、幽斎に仕えたともいわれていますので……治長家臣の北村善太夫は、宮津出身なのかなぁと思ったりしました。いつもの通り、根拠の無い妄想なんですけどね!← 何かごちゃごちゃあって、治長父に仕えてた善太夫は、治長父が死去した後、そのまま家督継いだ治長に仕えたのかなぁ、やら色々妄想が止まりません。ただ、「網野町年代史」だと、治長父は、一色に仕えてたっぽくも書かれているらしいので、何が何やら。一色家が滅んだ後、海賊に与してぶいぶい言わせてる治長父に痺れた←←
 治長家臣繋がりで、どうやら湯川権八は、紀伊の土豪的な人で、夏の陣が始まるか始まらないか辺りで、大坂に籠城した人のようです。あと、また例の如く、治長治房の混同が起こって、治長家臣とされていますが、やっぱり治房家臣だったんだろうなぁ実際と。まぁ、治長が紀伊に領地を与えられていた時に仕えたという設定で、ここでは突っ走りますが!(お前) 

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