何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/01/29 (Thu) ごちゃっと



 ネットでごちゃごちゃ漁っていたら、定頼の嫁さんが「呉服前」という人であるというのを見かけたのですが、この人が義賢のお母さんらしい蒲生氏の人なのかしら。でも、何が出典なのか分からないので、何とも言えないのですけれども…。定頼くらい地位のあった人の嫁さんなら、もっと戒名とか残ってて良さげなものなんだけどなぁ。いや、残ってるけど私が調べ損ねてるだけか← 蒲生氏は蒲生氏だけど、本来なら定頼の嫁さんにはなれない庶流も庶流の人だったりして。1523年に起こった蒲生家の家督争いに、定頼が二、三枚噛んでいるので、そこら辺関係で協力要請的な意味も込めて蒲生高郷が嫁がせた、とか?義賢の生年が1521年であることを考えると、少なくとも1520年以前の輿入れで、その頃から高郷と秀紀の間に不和が生じていれば考えられなくもーないようなーそうでもないようなー(…)
 あと、細川晴元が義賢の姉婿であるというのを何か見かけたんですが、晴元で嫁いだ定頼の娘が、義賢の姉であるっていう史料があるのかしら。いや、定頼の還俗が1520年なので、1521年生まれな義賢にお姉ちゃんがいたとなると、一応まだ僧籍にある定頼が子供こしらえてらということになってしまうので。……いや、あり得なかったとも、言えないですけども← 晴元に嫁いだ娘が妾腹っていう可能性もあるしなぁ。ただ年齢だけが根拠だったりするのなら、1522年生年の義賢の妹に設定しても、婚約当時は9歳ですが、実際に結婚する歳は15歳になるので別に妹婿でも、良いような。六角関係はネット情報にしかまだ頼れていないのが歯がゆいところです。
 ついでに、定頼についてネットで調べてる途中、治長の娘が金森可重室と書かれているのをみかけたのですけども、ええええええええ?可重室というのはあり得ないとして、その子供の重近なら可能性があったりするのかしら…。父親の可重は古田織部に師事していたらしいので、治長とは織部の弟子同士。んでもって、wiki曰く重近は冬の陣の時、父親が徳川方につくのを批判したせいで廃嫡されたとか何だとか。でも、金森可重室っていうこと自体、何を元にしてなのか分からないので、妄想にとどまるしか無いのですけども!願望を吐くなら、治長の娘の一人が重近に嫁してると良いな、と。葛葉にしろ、治徳にしろ治安にしろ薄幸過ぎるんで!一人ぐらい幸せになってる子がいたって!(お前)

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