何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/01/31 (Sat) 日記とか



 夏の陣終った直後辺りの『義演准后日記』の記事を読むと、胸が切なくなるというか、呼吸不全になる(病気です)
 5月15日の記事で、「将軍様は昨日伏見城へお入りになった。女子供を取って陣衆は帰ってきている。浅ましき(超意訳)」とあるのですけれども、あさましき体にて候とかでなく、「あさましき」て淡々と書いてあるのが逆に読んでてきます。同じく『義演准后日記』の5月9日の記事には、「雨、秀頼様の確かな最期を聞かず。御母についても同じである(超意訳)」とあります。別の日記、例えば『梵舜日記』とかには、はっきりと「秀頼公自害」的な内容が書いてあるのを考えると、義演さんは、秀頼と茶々が死んだのを信じたくなかったのかなぁと。義演さんが、小さい頃の秀頼に手ずからお菓子を貰ったことについて、慶長3年3月16日の記事で「秀頼様より手ずからお菓子貰っちゃったよいぇっふー!」な風に書いてるくらい、秀頼様大好きオーラ出しまくってるのを考えると、そんな風に邪推しちゃうんですよね。
 夏の陣の後、秀吉の法要まで営んじゃう義演さんが何でそこまで豊臣家に肩入れしていたのか、逆に気になってきます。
 あと、もう一つ切なくなったのが、忠興が家中へ夏の陣の直後送った手紙で、一切、興秋のことについて触れていないことです。治長に関して「今回の大野修理の手弱さはどうしようもねぇな。死体の上に恥じを上塗りしても、仕方無いことだよね(超意訳)」な、忠興ひでぇwwwwなこと書いてる余裕があるのなら、興秋のことにも触れてあげてお父さん!まだ貴方の息子生きてるのよこの時!← それとも、敢えて触れなかったのかな。『花鳥の乱』読んだせいで、この父子の愛憎ぶりは如何ともしがたいことになってるんですけど脳内で(…)

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