何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/02/20 (Fri) 京極さん家



 『北畠氏の研究』とあともう一冊『北畠太平記』という本を買ってみたわけですが、知りたかった定頼と戦ったことについて書いてない…だと…?うーん、天文十一年にあった出来事らしいのですけれども、大日本史料とかにこの辺の史料が載ってないか調べてみようかしら。何かあると、すぐに大日本史料に頼る癖はどうにかした方が良いとは思うのですけれども、だって便利なんだもん(…)
 あと、この二冊とか、北畠家について色々載っているサイトさんによると、天文十三年に、北畠は六角に加勢して、京極と戦っているとかなんだとか。おまけに、その戦いで京極家の当主佐々木六郎が自害云々やら書かれてしまうと、私としては、えええええとしか言いようがないというか!その後に続く、浅井亮政が北近江の国人を纏めきることが出来ず、北畠の後ろ盾を頼んだというのは、天文十三年の時点じゃもう亮政は死没してるし、何かいまいち良く分からなかったので置いておくとしまして。
 京極家の当主と表現されてもおかしくない、佐々木の六郎さんと言ったら、通称が六郎の高広しか私には出てこないのですが、高広は天文二十二年に六角と戦い消息不明になってる筈。天文十三年に自害してしまったのなら、天文二十二年までの間に書状やら出してる高広は一体誰なんだという話になります。私の読んだ二冊の本とも、天文十三年に京極家当主・佐々木六郎が自害したことの出典史料を書いていないので、下手すると、本の方が間違ってるという可能性もなかりしもなんですが……何かそれじゃつまんないじゃん?←
 ということで(…) 本の方の記述も正しい!ということ前提で、妄想を膨らませていこうかと思います!(やめときゃ良いのに) 
 天文十三年に高広が自害していたとして、その後に書状を出している「高広」が誰なんだという話になった時、個人的に、高広長男の高弥を挙げたいなぁと。この高弥、どうやら、「高広」と名乗ってた時期もあるらしいよ?ということらしいので、もしかしたら天文十三年以降の「高広」は、高弥だったかも?な具合で、一つどうでしょうか。完全なる妄想なんですがね!←

 京極繋がりでもう一つ。大坂の役で、城に京極備前という人が籠っています。この人はどうやら、京極丹後守の従兄弟とのこと。京極氏で丹後守というと、ぱっと頭に浮かぶのは高知だったりするんですが、この京極備前さんは高広の子なのかな。役後は牢人したらしいのですけれども、高広の子なら、京極家の誰かに仕えたりできなかったのかしら。それとも、高広と高吉が家督争いやってた時代の確執が未だ残ってた、とか?(さぁ)

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