何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/02/23 (Mon) 和議諸々



 今まで図書館からコピーしてもらったのをちょっと読んでいたんですが、治長が本格的に和議に応じるようになったきっかけは、11月24日に治純の持ってきた、今まで自分が諸大名に宛てた書状だろうなと。秀頼につくよう、諸大名へ送った書状が、全部家康の元に渡っていて(すなわちそれは、受け取った大名が家康へ渡していたということで)もう、どの大名からの味方も期待できない状況になったら、そりゃ和議にもなるよなと。縁のある大名の味方頼みみたいなところがあったしなぁ。それが期待出来なくなったら、出来るだけ好条件で和議を結ぶ路線に、治長は方向転換したんじゃね?というのは、「真説大坂の陣」に書いてあった言ですが、私も、多分そうだったんじゃないのかなと思ってます。
 城内での米価格の異常な高騰、弾の不足、木製の銃まで使わなくちゃならない状況に加えて、外からの味方が期待できないとあったらさ。ただ、12月3日の段階まで、秀頼は和議に反対していたらしいので、その後に、もういっちょ何かあったんだろうけど。大筒は既に11月の晦日に櫓目掛けて使用され済みなので、やっぱり茶々が大筒を恐れて和議を結んだというのは、可能性が薄いと思います。

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