何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/03/12 (Thu) 大野さん家の諸々



 「油魚の交わり」の後編をちょこちょこ練ってるんですが(まだ書いてないとか)(…) 
大野兄弟のお父さんである大野パパの経歴は、「宮津府志」と「網野町史」の合わせ技で行こうかと。完全にゴリ押しな感じになりそうですが!← 浅井家に仕え、浅井が滅んだ後は故郷の丹後へ帰り、細川幽斎に仕えたという「宮津府志」と、一色家に仕え、一色家が滅んだ後は海賊やってました、な「網野町史」をごったまぜにして、
 浅井家→細川家→伊也の輿入れに合わせて、一色家に→海賊→大蔵さんの旦那ということで豊臣家へ。
 な、具合になりそうです。治房は幼少期を、海賊でぶいぶい言わせてた大野パパの元で過ごしたということで。京都の松木町に住む商人の養子に出されたという話の残っている治胤は、一色が滅んだ時に、養子に出されたというのがしっくりくるなぁと。ということで、大分前にアップした「幸いの定義たれぞ決す」の内容を、ちょこっといじるかもしれません。まだまだ調べ不足なので、なんとも言えませんが…。
 そういえば、何で治純って四男とされていることが多いんでしょうか。治長の弟と書かれているだけで、四男だと書かれている史料を見かけたことが無いのですけれども。個人的には、やっぱり次男だと思うんだけどなぁ…根拠になっている関ヶ原後の知行宛がいの書状を、ちゃんと自分で目にしたわけではないので、完全に人様の意見に乗っかってる感じで申し訳ないですが(お前)

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