何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
--/--/-- (--) スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


2009/04/05 (Sun) 明石さんと盛親のご家庭



 大日本史料で、明石さんの嫁さん(モニカさん?)が「古澤四郎兵衛満興」という人の娘であるという記述を見かけました。そして何やら、この古澤さんをネットでちょちょっと検索にかけましたところ「大坂市史 1」にて、この人が又兵衛の指揮下で道明寺の戦いに参戦し、戦死したという記述があるそうで。しかも、又兵衛隊の先頭に配されていたようです。この古澤四郎兵衛さんが、モニカさんのお父さんである古澤四郎兵衛さんと同一人物かは断定しかねるのですが、もしかしたらもしかしたらかもなと。疑問なのは、どうして明石さんの隊じゃなくて又兵衛の隊にいたのかってことですが…。な、謎です← モニカさんの実家について、明石さんの娘を娶った(浅井)直政が、後に名字を三好に改めていることから三好さん家の娘さんなのかなぁとぼんやりと思っていたのですけど、ものの見事に外れました(…) いや、本当、直政の三好は一体どっから来たんだ…。督に憚って浅井から改姓して、外戚のものにしたって書いてあっても、外戚である母方の方の名字がそもそも浅井なのだしなぁ。嫁(明石さんの娘)の方の名字にするとしても、明石さんは幕府にとっては犯罪者なわけで、その名字を名乗るのもあれだし。いっそ、田屋にするとかじゃダメだったのかな。三好の出所が、謎です。
 あと、大坂面子の子供らをちょっと妄想したいなぁなんて、煩悩に塗れた(…)理由で、「系図纂要」の長曽我部家の所を読んでみたら、盛親、子供が六人いたってまじか。 系図に名前があったというだけで、その人が実在していたと判断するのは早計だとは分かっているのですけども、やっぱり気になってしまうというか!以下、軽く抜粋。

 長男・盛恒(右衛門太郎。元和元年五月七日討ち死に)
 次男・盛高(右衛門次郎。父や兄と同じく死亡)
 三男・盛信(右衛門三郎。元和元年五月五日、大坂から土佐に帰る。兵を挙げた為、山内一豊に殺される)
 四男・盛定(右衛門四郎)
 五男・童(右衛門五郎。元和元年、国松丸に代わり討ち死に)
 六男・盛澄

 こんな具合で。この頃にはもう、一豊死んでるだろとか、通称が安直過ぎやしねぇかとか、突っ込み所はちょいちょいあるんですけれども!五男の右衛門五郎の、国松丸に代わり討ち死にが一番解せません。一豊の所は忠義の間違いだとすれば良いとして、ど、どこの国松丸さんなんでしょう、か…!まさか秀頼の息子の国松ってことはないだろうし…いや、もしそうだったら滾るどころの話じゃないのですが。先走った妄想が酷くなり過ぎる恐れがあるので、ここらへんで!

スポンサーサイト

戦国的な | trackback(0) | comment(0) |


<<子供ら | TOP | メモ>>

comment











管理人のみ閲覧OK


trackback

trackback_url
http://nanhaki.blog71.fc2.com/tb.php/378-621b4ed8

| TOP |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。