何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
--/--/-- (--) スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


2009/05/30 (Sat) 絵とか




 夏の陣の後、長政が描くことを命じた大坂の陣図屏風って、誰が描いたか不明っぽいですが、描き方が岩佐又兵衛っぽいよねぇな意見もあるそうで。もしも本当に岩佐又兵衛だったら、色々と感慨深いことになる← 村重の息子が、官兵衛の息子の依頼で絵を描いたとか、又兵衛の師匠だったかもしれないねな内膳のいた城を描いたとか。それから、又兵衛の描いたバージョンの豊国祭礼図屏風が徳川美術館に所蔵される前は、高野山→蜂須賀家な所有ルートを辿っていたことに、ちょっとによつきました(…) 内膳バージョンは豊臣家の依頼で描かれたんで、豊国社に奉納されましたが、又兵衛は一体誰の依頼で描いたんだろ。高野山なのか別の誰かなのか。というか、昭和八年に徳川美術館に所蔵されるまで、ずっと持ってた蜂須賀家に萌える← 高野山光明院は蜂須賀家との縁が深かったようなので、蜂須賀家の依頼で描いたけれど、一時的に高野山に預けて、あれこれなほとぼりが冷めた頃にまた蜂須賀家に戻された、な解釈も出来る…のか? 単純に、光明院にあった祭礼図を見た蜂須賀家の人があれ欲しい!な具合に貰っただけかもしれないですけども← もしくは献上品とかね。
 あと、山雪のひねくれぶりというか、ちょ、おま、な反骨精神に動揺しました(…) 二条城が完成してから、洛中洛外図は二条城を中心に描く感じになったっぽいんですけど、二条城を描かずに方広寺をはっきりと描いた「洛外図」が山雪の作品にありまして、うわぁ…としか言えない← 内膳と良い山雪と良い、ぶっ壊れてるはずの方広寺を描くのがはやりだったのか?(違うと思う) 京狩野としての、山雪のプライドの表れなんだろうなぁと思うけども。

スポンサーサイト

戦国的な | trackback(0) | comment(0) |


<<大坂 | TOP | ごった煮>>

comment











管理人のみ閲覧OK


trackback

trackback_url
http://nanhaki.blog71.fc2.com/tb.php/428-a6a0c81c

| TOP |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。