何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/06/27 (Sat) 孝蔵主について



 孝蔵主の記事目当てで「江戸期おんな考」を買ってみました。
取り敢えず、孝蔵主がどんだけ恐ろしい女かってことは良くわかりました!← 1590年に、政宗へ孝蔵主が送った書状が載せられていまして、
 (以下超意訳)「上様、北政所様は貴方のことを親身に思っておられるので、御安心下さい。貴方が心変わりを起こすのではないかと進言するものがいますが、上様は、いかなることがあろうと政宗が別心を起こす心配は無い、と固く仰せられました。さて、かたじけないことと思いますでしょう。このような御恩をもしもお忘れになった暁には、罰をお与えしたい所存で御座います
 こえええよ孝蔵主!政宗にこんな手紙送りつける女、孝蔵主しかいねぇよ。
秀次の弟の秀保が死没した時、その死を秀吉にどう伝えるかの相談として孝蔵主が呼ばれたりもしていたので、どんだけ権勢があったのかと。ねねの侍女頭であると同時に、秀吉の奏者でもあったようです。名護屋城の在陣にも、鷹狩にも連れまわされてる孝蔵主に萌えた← 無位無官の癖して、朝廷の内侍所に入り込む孝蔵主にときめいた←← 秀次が、孝蔵主宛てに朱印状を書いているのも注目ポイントかなぁと。
 時慶さんの奥さんが孝蔵主の妹だ、という話は今までずっと疑問だったんですけども、親戚ではありそうでした。時慶卿記を真面目に読んだことが無いので(…) 知らなかったんでけども、時慶さんの女房衆(奥さん?)が、病気の見舞いの為に孝蔵主の里へ行ったのだとか。それから、時慶さんの娘の綾さんが孝蔵主の元を訪れて、ついでに聚楽第に泊ったりしたらしいので、親戚関係ではあるんじゃなかろうか、という記事に納得。時慶さんの女房衆の人が、川副彦右衛門さんという人に養育されていたそうです。孝蔵主は川副氏出身なので、きっとこの彦右衛門さんと同じ川副氏ではなかろうかと。ただ、やっぱり妹ではなくてあくまで親戚じゃないかなぁ。可能性があるとしたら、秀吉の別妻になった川副徳さん関係の家系から出た人とか……。
 ただ、三成との関係や、松平忠輝ママの茶阿局との関係について触れられてなかったのが、ちょっと残念。



追記→三好氏の勉強をしようと思って、それ関係の本を読んでたら、予想外の所で定頼様の名前が出てきた!伊庭さんと九里さんを討つために、細川高国に頼んで兵庫の港に陸揚げした大きな船を、牛車に乗せて、陸路で、琵琶湖まで運んだ定頼様えええええええ!?九里さんの居城は岡山城という城で、琵琶湖の近くにある水城でした。きっと陸で運んだ船を琵琶湖に下ろして、九里さんの予想もしない方向から奇襲をかけたんでしょうが……鷲尾隆康さんという公家の日記に、運んだことが書かれていたらしいです。「二水記」かな。そら、隆康さんも「計略奇特なり」って書くわ。もう、惚れるしかねぇよ定頼様。


 

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