何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/07/07 (Tue) 老人と小動物




 亮政と定頼様の命日がどえらい近くてちょっとちびりかけました(…) 亮政が病没したのは1542年1月6日で、定頼様のは1552年1月2日って……ちょ、月が一緒で、しかも日にちが近い近い!九年後とか十一年後とかでなく、十年後っていうのが、きり良すぎる。定頼様を連れてったのは亮政な気がします← 箕浦の戦いの様子を書いてる史料って無いのかな。亮政VS定頼様で、凄く熱い戦いの一つな気がします。阿古さんのお父さんのこととか考えると、こう、視界が霞む←


 それでは、話しが一気に飛びまして。今日、ふと、夏の陣で山里曲輪に籠る時、大助に対して徳川方にいる大叔父さんの元へ逃げなさいって言ってくれたのは、速水さんなんだよなぁと思いまして。もしかしたら、速水さんって大助のこと可愛がってたのかも!な妄想が展開しました(…) ということで、追記に速水さん+大助でSSS崩れをば。物凄く短いです。








 男が一人胡坐を組む。そう、胡坐を組む。
それだけである。書物を持参しているわけでもなければ、食べ物を食べるでもない、胡坐を組んでいる。縁の上、鋭い線を描く頬を緩ませることなくただひたすら延々、延々と。
「甲斐のおいやん、おもしゃいんなえ」
 屋敷をぐるりと囲む塀が口を利いたとしても。正しくは、塀ではない。塀の上、そこそこの高さを有するはずのその上に座り込み、細い足を揺らしている子供が口を利いたのだ。しかしそれでも、男は口をひらきはしない喉を鳴らしもしないほんの少し、顎を引くのみでたったそれだけの動きにも、子供は喉をからからからから。
「すいじょのー、そげなことしちょーたら、わえきけてまうってよー」
 一寸たりとも動くことの無かった男の眉が微か、眉間に皺を作り出した首が傾けられた。
 それを認めた子供の姿ほんの微か男の視界から掻き消えすぐにまた、現れる。塀の下に。子供の上背を優に超える塀から軽々飛び降りた子供は、飛びはねん勢いで無言を貫き通す男の元へと駆け寄ってくる。
「あんな、きけてまうっちゅーんは……えー、うー、何やいしょ。あんな!あんな!」
 隣へ座り収まった子供があんまりにも自然に過ぎたからか、男は何ら苦言を呈することなく頭をひねる子供を横目にじっとじっとじっと。微か、呼気がその喉もとで鳴った。
「……………しんどい」
「てぇえええええっ!それじょーっ!しんどいじょ!きけてまうっちゅーんは、しんどいっしょ!おいやん、どてらいんじょなぁ!」
 日射しを受けているせいだけではきっとない、輝く子供の目に顔を覗きこまれ男は再び口を噤んだ。
「わえ、ここ来てよー、どてらい人ぎょーさんいちゃること知ったんっしょよー。伊木のおいやん、信濃、式部、宮内のおいやんに豊前のおいやん!掃部のおいやんもそうじょ!又兵衛のおいやん、修理のおいやん長門のにーやんに内蔵助のおねーやんに……ほあ!指が足らへんってよー!」
 全ての指を折りきってしまった両手を掲げる子供を男は眺め、皺と豆に塗れた手がその小さな頭へ乗せられた。軽く、たった、それだけ。









 速水さん、小動物とか絶対好きだと思う(何を根拠に) ここの大助は、速水さんに餌付けされてます。でも速水さんが大助は逃げるように勧めた話って、ちょっとだけ穿った見方をすると、やっぱり真田の人は(ひいては牢人衆は)譜代の人にとって、あくまで「客人」っていうことだったのかな。一緒に主君に殉死させるには忍びない存在といいますか。勝永と勝家は、関ヶ原の後牢人してただけで、限りなく譜代だし、豊臣家の家臣という括りでみられてたんでしょうけども。治徳、勝家、大助の三人を仲良し!という前提でそこらへんを妄想すると、えらく切ないことになります← 

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