何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/07/21 (Tue) ごちゃっと大坂



 秀頼が慶長18年の5月頃、住吉で度々遊行するということが「当代記」に書いてあるのですが、これがもしも本当だとすれば連れ出したのは治長な気がする……。「重臣にして親しき友人」なんて書かれるくらいだから、これくらいのことはしてそう。「豊内記」に書かれてる治長の性格は「宴会好きの上に、心が広すぎて逆に当たり前の礼儀を知らない奴だよ!」な具合なので、やらかしても不思議じゃないようなぁと。でも、女遊びを教えたわけではなさそうです。女遊びを教えるのなら、住吉より新城の方が向いてるのではないかと。新城には、秀吉公認の遊里があったわけですから、やっぱり。
 でも、豊臣家の内部から、日々あったことを記した日記というものが無いのがちょっと寂しいです。もしかしたら、誰かそんな日記をつけてたのかもしれませんが(永翁とか何か書いてそう) 大坂城が燃えた時とか、破却された時とかに消失しちゃったんだろうなぁ。豊臣家の誰かが、外の人から貰った書状とかもきっと。治長と織部のやりとりした書状もあったに違いない!と思うと、凄く惜しい気持ちになります。大坂城にきた織部を治長が出迎えた、ということを思い返す度に、滾りが止まらないんです(病気です) ちょっと逸れますが、未だ、「金森可重に治長の娘が嫁いでいた」とするサイト様の情報ソースが見当たりません……定頼様の嫁さんを「呉服前」だと書いていたのもそのサイト様で、実際に「呉服前」と書いていた史料を発見出来たので、金森可重に治長の娘が嫁いだと書いてあるのも根拠が無いわけではないと思うのですが……。むしろ、根拠が無いと、金森家に治長の娘が嫁いだなんて突飛な発想は出てこない← でも多分、可能性があるとしたら、可重ではなく息子の宗和な気がします。というのは、何か前も書いた気がしますが。大坂の役の時、金森掃部という、金森可重の息子が大坂城に籠っていたり、何か落ちていそうな気はするんのですけども。
 とにかく、住吉までぎゃーぎゃー遊びに行く譜代ーズの話が書きたいなという結論です(…) 秀頼、治長、治房、糺、重成、長秋、薄田さん辺りの面子で騒がせたいです。頑張れたら、高橋半三郎、十三郎の二人も!

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