何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/07/22 (Wed) 豊国神社



 書こう書こうと思いながらうっかり忘れていたんですが、「秀吉の首はどこに消えたか」という本の中に書かれたことでして。明治二十三年に、豊国廟整備と、豊太閤三百年祭を成功させるために結成された豊国会という会の会長が、黒田長成侯爵という人だったそうです。筑前福岡藩最後の藩主の息子ということですから、官兵衛の子孫に当たる人なのかな。今ある豊国廟は、その豊国会の人達が再建したものみたいです。会長が黒田家で、他のメンバーで主だった人達は、前田家、浅野家、蜂須賀家だったそうな。なるほど、なメンバーな気がします。江戸から明治に変わったばかりの時でしたから、やっぱり、密かにこれらの家の人達は江戸時代中も豊臣家慕っていたのかそれとも、徳川幕府が無くなったから新しい時勢に乗ってみただけなのか。想像をくすぐられます。
 そういえば、金沢にも豊国神社ってあるんですね。江戸時代の時は、幕府を憚って違う名前にしてたみたいですが。あと、徳島県にも。徳島県の豊国神社は、江戸に入って破却されてしまいますが、明治になって再興されたとか。御神体は秀吉の木造で、なにやら秀吉の遺言で家政に与えられ、その木造を御神体に、家政が自分の隠居してる屋敷の近くに豊国神社を1614年(冬の陣の年)建立したそうです。その話に、全俺が泣いた。い、家政ぁあああ!
 福岡県にある豊国神社は、最初から豊国神社だったわけではなくて、最初はひっそり神屋宗湛が秀吉を偲んで屋敷内に祠を作ってた祀っていたのを、明治時代になって、秀吉の行った町割り300年祭をきっかけに豊国神社としたそうな。
 こうしてみると、結構豊国神社ってありますね。にしても、宗湛はどんだけ秀吉が好きなんだよと……。屋敷内にひっそり祠を作っちゃうってあなた。一家に一匹秀吉じゃないんだから。
 京都の豊国神社には、治長の寄進した石灯籠があるようで。め、めっちゃ見たい!むしろ見る!←

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