何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/07/27 (Mon) 本やら六角やら羽柴やら


 ついに『太閤史料集』を注文してしまいました。殿下!殿下!あと、『近畿・近国の戦国合戦』という本も。まさにこういう本が欲しかったんだ!という感じです。是非とも、生涯テンションうなぎ登りの男・木沢を堪能したい。人生フリーダム過ぎる。何だか密林にて定頼様の名前で検索をかけると、物凄い勢いで、日蓮宗徒と一緒に定頼様の兵が山科本願寺焼き討ちしたことを説明した一文が出てきます。……の、信様の先を行く男だぜ定頼様!←← 日本で最初に楽市楽座を始めた人であり、日本で最初の城割りをした人なんだぜ痺れるだろ……!定頼様世代ばかり追っていたせいか、最近、1530年生まれとか見ると、若いなぁと思ってしまいます。定頼様と四十歳近く年下なんて若すぎる!畿内が大混乱してた頃に、まだ秀吉生まれたてとか、どんだけ長いの戦国時代。定頼様の娘と、細川晴元が結婚した年に生まれたんだなぁ秀吉。
 なつさんから教えて貰ったんですが、六角が支配していた頃の江東に、羽柴姓を名乗ってる人がいたんですね。勿論、秀吉が羽柴姓を名乗る前です。羽柴長兵衛という名前の人で、畑田城という城の城主だったそうな。果たして秀吉と関係あるのか否やという疑問が起こってきます。城主をしていたほどの人なのですから、秀吉がその人のことを知らなかったとはちょっと思えないです。それから、秀吉の秀は六角義秀の秀を貰って付けたという話もあります。羽柴長兵衛さんは恐らく六角家臣。でも、繋がりそうで繋がらない!悔しい!な感じです。でも、秀吉が羽柴を名乗ったのは、柴田さんと丹羽さんの機嫌を取る為、という話はどうも根拠が薄いようなので(丹羽さんより上位の立場にあった柴田さんの柴が、丹羽さんの丹の下にあるのはおかしい。とか、秀吉が羽柴を名乗った頃は、織田家中で丹羽さんより上位の人がまだいたとか)そこら辺を考えると、この羽柴長兵衛さんは捨て置けないような気がします。ほ、本当に何者なんでしょうかこの人。
 信様の外戚(土田御前の家系)がどうやら六角の血筋らしい?という説もありますし、土田御前そのものが高頼ダディの娘だとしている史料もありますし、そこら辺で秀吉が六角家臣の人の名字を名乗った、とするのはちょっと苦しい、か← 単純に、秀吉自身が放浪時代に羽柴長兵衛さんと何かあった、とも考えられますけども。そういえば、秀次切腹に連座して木村重茲さんが切腹させられた後、近江馬渕に逃れた重成を、六角義秀が保護して育てたという話を見かけたことがあります。この頃には義秀はもう死没してますので、全面的に信じるのもあれですけど、重成が佐々木源氏の木村氏だという可能性は強い気がします。大蔵さんも、佐々木源氏の真野氏なのでしょうか。


 それでは、27日から31日まで、部活の合宿で日光まで行ってきます。ちょっくら、明神に挨拶する前に権現に挨拶してこようかと。


 

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