何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/08/01 (Sat) 帰宅報告


 本日、無事帰ってまいりました。取り敢えず、にゃんまげ怖い←
家に帰ったら、『畿内・近国の戦国合戦』と『太閤史料集』と『歴史と旅』が届いていてうっひょひょーいです。載っている治長に関する記事だけ目的で買った『歴史と旅』を真っ先に読んだのですけども、ちょ、ちょっとだけコメントに困ったと言いますか。植村清二先生の『歴史と文芸の間』に収載されてる治長についての論考を、少しいじっただけの内容ってどうなの……。ただ、城外出撃策を治長が却下したという話についても言及していたのは、興味深かったです。私は城外出撃策自体無かったものと思っているのですけれども、この記事は無かったとまでは書いてはおらず、誰が城の主将になったとしても、籠城策をとっていただろうという考えになっていました。さすがに、あの短期間で京都を占拠するのは無謀だろうなぁ……と。6日と7日に盛親、又兵衛、仙石宗也斎、明石さんその他大勢の牢人が入城していて(勝永、幸村の入城した時期は不明)同じ月の16日には、もう高虎が山城国に着陣、20日には、松平忠直が京都の六条に陣を敷いています。もしも大坂方が、纏まり?何それ美味しいの?じゃない集団だったなら、高虎が山城国へ着く10日以内に京都を占拠するなんてこともできたかもしれませんけども。ねぇ?← でも、例え占拠が出来たとしても、その頃には続々と近江へ軍勢が集まっていましたから、すぐに囲まれて、もちゃっとされてたと思いますが。
 ということで、これからじっくり『太閤史料集』を読んでこようかと!綺麗な殿下もエグい殿下もお腹一杯堪能したいです。

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