何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/08/03 (Mon) 六角とか


 ごごごごごめんよ秀頼!今の内に謝っておきます!今年も誕生日を忘れてましたぁああ!3日が誕生日だったんですよね……去年、来年こそはちゃんとやる!と決めたのですけども、結局なんだかんだで何も準備が出来なry 明日はばたばたしてしまうので、何か出来る自信が大いに無いのですけども……い、今からちょっとあがいてきます!
 そして、ついでに『近畿・近国の戦国合戦』の感想をちょろっとだけ。まだ序盤の方までしか読めていないのですけれども、は、畠山義就と畠山政長の戦いが泥沼合戦過ぎる件について。高吉、高広の二人に通じるものを感じる。ちょいちょい大和の方々の名前も出てきまして、ふおおお…!と。いまいち河内畠山家と、能登畠山家の関係が分からないのですが、能登畠山は畠山家の有力な分家ということで良いのでしょうか。六角宗家を後見する家柄である定頼様から続く六角家が、能登畠山家と重縁を結んだというのには意味がやっぱりあるような。能登畠山家は、六角と結ぶことで本願寺との繋がりを作りたくて、六角家としては、能登畠山家と結ぶことで、河内畠山家との繋がりを強くしたかったという感じなのでしょうか?(知らないよ)
 義弼のお母さんは、能登畠山家の当主であった畠山義総の娘なんですけども、義弼が四歳の時に亡くなっているみたいなんですよねどうやら……。義弼が長政のこと羨ましいとか思ってたら、もうどうしようどころの騒ぎじゃないですよ。あ、阿古さんに甘えさせて貰ってたら駄目かな!?← おまけに、義賢の継室である、土岐頼芸さんの妹さんが産んだ高盛の生年は1547年で、義弼ママの没年と同じ。元々別妻としておいていた土岐頼芸さんの妹さんが、そのまま正妻に昇格したということなのでしょうか。当時の土岐家の状況を考えると、いくら名門とはいえ、一族の娘を正妻ではない立場として差し出すのも仕方が無いような。阿古さんが親六角路線だった久政を支えていたのは、夫の政策に賛同していたからだけじゃなく、幼少の頃の義弼と親交があったからというもの理由にあると良いな、と、夢を見てしまいます← いや、土岐頼芸さんの妹さんが義弼を可愛がってくれていれば良いんですけれども。でも、義弼が斎藤義龍の娘を、父親である義賢に無断で娶ろうとしたのには、若干あてつけ的な意味合いもあったんじゃ、なんて邪推してしまいますが。義弼が結局義龍の娘を娶ったか未遂に終わったについては、未遂に終わったんじゃね?という説もあるようですが、娶ったという路線でここではいこうかと!そっちの方が萌える!という他に、六角と斎藤で浅井を挟撃したりしているので、そんな同盟関係が出来あがったのなら、やっぱり娶っただろうと。

義弼「俺のこと、義兄さんって呼ばせてやるよ」
龍興「頭蓋から洗ってきた方が良いんじゃない?」
長政「どうでも良いことをのたまう前に、お菓子を食べるのだから手を洗ってきなさい。取り上げるぞ」
義弼・龍興「「えええええええええ」」

 というやり取りを、やらせたい……っ!(頭が膿んでるだけです)
三人の中で一番年長の癖に、最年少の龍興と精神年齢が同じ六角義弼。保護者は言わずもがな長政。義景兄さんの面倒だって見るよ!← ここに顕如も加えてきゃっきゃうふふさせたい…!
 あと、やっぱり第一次の時も、第二次の時も、六角征伐の時の高頼ダディは格好良すぎる。甲賀衆に何であの人あんなに懐かれてるの…?おまけに、伊賀衆二百人までもがダディに呼応し蜂起する、なんて噂も流れるダディ一体どうなってやがるんだ。二回将軍から征伐を受けても生き残るダディは本気ではんぱないと思いますまぁダディにどう考えても非があるんですけどね!(…)

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