何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/08/13 (Thu) 肖像画と神号と滾る二人



 秀吉の肖像画を拝みに、畠山記念館まで行ってきました。近衛信尹が賛を書いていて、ちょっと意外だなぁと。あと、描いた人が伝・狩野山楽とのことなんですが、山楽が描いたとされる秀吉肖像画の画稿とは随分顔が……。運慶快慶みたいに、殆ど弟子に作らせて、あとは師匠がちょいちょいと手を加えるやり方で描いたんじゃん?と一緒に行った友達が言っておりましたが、どうなんでしょう。というか、誰が描くのを依頼したんだろう。
 あと、秀頼が八歳の時に書いた豊国大明神の神号も展示されていまして、おおおおおと。一生懸命書いたんだろうなぁやら思ってしまうと、もう駄目だ、おいちゃんは泣く← 八歳(数えだから七歳ですけども)なら、もうそれなりの分別もついてる年頃でしょうから、今書いてる神号が、自分の死んだ父親のことだって分かりながら書いてたのでしょうか。飲んだお茶も美味しくて、部活で使ってるお茶より絶対数段良い抹茶を使ってるに違いない← まず確実に柏木ではないな!←←



 そして、凄く上の内容と関係無いのですが……千熊(三好義興)×聡明丸(細川昭元)は大いにありなのではないかと、最近思えてきました(膿んでます) 「せんくま、せんくま」言いながら義興の後を付いていく昭元は可愛くないですか!?(…) 長慶の手元で昭元は育てられたわけですから、義興とも一緒だったんだろうなと。人質として三好家に送られてきた昭元(七歳)の出迎え役が義興(十三歳)って貴方一体何事。おまけに、昭元の母親は定頼様の娘ですから、昭元は義弼の従兄弟にあたるわけですね。義昭が信様に奉じられて上洛してくる頃、昭元は義栄を担ぐ三好三人衆に細川家の当主として擁立されていたので、義弼が信様に従わなかったのはこの辺りの親戚関係が作用していたのでしょうか。『信長公記』によると、義昭を奉じて信様が上洛する際、従うなら天下所司代を仰せつける、と六角家に打診していたことに妄想を掻きたてられました。 絶対信様、定頼様のファンだって(…)
 これが定説だと、その話を六角家が蹴り、信様に攻められ没落する、というルートを辿るわけですが、氏綱から繋がる六角宗家が存在した場合、宗家(六角義秀)は信様に従い、箕作六角家(六角義賢・義弼)は抵抗し、箕作六角家は没落する、というルートになります。どちらにせよ、結局六角家は織田家から離反するので、『信長公記』にその辺りの顛末が書いてなくとも不思議ではないように思うのですが……。ここはやっぱり、六角宗家が存在した説に一票で。
 あと、義興×昭元は萌えるにも一票で(…) 十代の甘酸っぱい関係を期待したい← 秀次→→→秀勝(お次)もそれに似たものを感じます。十代の苦甘酸っぱい感じで。いや、この二人は苦みが強すぎるような気も……。秀吉が秀次に送ったお説教の手紙に「お次は病弱なんだからお前がしっかりしないと駄目だろう!」的な内容のことが書かれていて、えらく滾りました。何、一体どういう関係なのあの二人。

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