何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/09/02 (Wed) 京旅行


 9月2日に帰ってくると書きましたが、9月1日の間違いでして!無事本日京都より帰って参りました!夜行バスの後遺症で初めてマックで爆睡したり、煩悩と戦いながら瞑想をしてみたり、お坊さんの話を聞きながらひたすら袈裟にはぁはぁしていたり、中々楽しいぷち修行でした。本当、等伯の絵を見た時は泣きかけましたけども。だってお坊さんの説明が……絵の中の大きな松は恐らく鶴松を表していて、幼くして病没してしまった息子に、絵の中だけでも大きく成長して欲しい秀吉の望みが表現されているって、あああああああ!ここで泣かずしていつ泣く!
 三日間お寺で生活をしながら、米村さんの心境を考えてみたりもしまして。治長と共に死ぬことを許されず、治長の娘である葛葉を守り続けるも、その葛葉は十七歳で病没し、自分の娘は葛葉に殉じて自害。その後、妙心寺の寺男として働いていた時に何かあったのかもなぁと。救いか、あるいはそれに似た何か。その上で、浅野の長治さんに仕える話を受けたんだと思います。むしろ、そうであって欲しい。次第に治長の姿も声も思い出せなくなって、存在を思い出すことも稀になって、だけど、長年治長に仕えているうちに染み込んだ毎日の習慣だけは残り続けているのが理想です。今わの際、迎えにきた治長を見ても誰か分からなかったけれど、こみあげるどうしようもない懐かしさと愛おしさに、治長だと思いだすとかでお願いします!← ぷち修行しながら何考えてたんでしょうね(本当にな) ただ、米村さんには治長を引きずったままでいて欲しくないなと。いえ、引きずっていても良いんですが、こう、何でしょう、はい← あと、治長の鉄砲頭で、夏の陣後、暫く男を捨て山に引きこもっていたらしい国島さんのことも色々考えたいです。国島さんは元々秀長に仕えていた人で、右手首を戦で失っています。ただ、治長にその武功を認められ召しだされ、鉄砲組頭として仕えるようになったそうな。山に引きこもってる間、何を思っていたんだろう、とか、考えてしまいます。
 ぷち修行が終わり、一日目に豊国神社、高台寺。二日目に醍醐寺と、豊臣関係の寺社ではこの三つに行ったわけですが、醍醐寺で義演さんが……やってくれました。秀吉のこと細かな指示で作られた醍醐寺三宝院の庭(大分好みの庭でした)に、木々で殆ど隠れてしまっている豊国大明神の祠があります。この祠は、明治時代に作られたわけではなく、義演さんの時代からあったそうです。つまり、義演さんが作ったんでしょうね、きっと。江戸時代中も隠れるようにではありながらも、豊国大明神を祀り続けていたと。夏の陣が終わった後に秀吉の法要を行った上、秀吉を祀り続けるとは、よっぽど醍醐寺を再興してもらったことに恩を感じていたんでしょうか。謎です。それから、庭のもみじが少し紅葉を始めておりまして。秀吉が義演さんに、次はもみじ狩りをしたいと相談していたという話を思い出して、ちょっとだけ切なくなりました。
 高台寺にて、秀吉が戦場に赴く時に必ず持参していた持仏があったと知ってびっくり。五㎝程度の小さな随求菩薩で、生で姿を拝むことは出来ませんでしたが、後で写真で拝見することが出来ました。ああ、この菩薩さんを秀吉はいつも持っていっていたんだなぁと、ちょっと感慨深いものが。いつ頃から持ち出したのかは、ちょっと分かりませんでしたけれども。
 次行く時こそは、養源院に行きます!養源院にある、茶々の持仏だった弁天さんを拝むことは出来なくとも、やっぱりここは行かなくては!何でうっかり忘れてたかなぁ……。

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