何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/09/23 (Wed) 六角本その2



 引き続き届いた本を読んでいます。義賢の斎藤さん家への呼び方が「国盗りの被官人」だった衝撃。本当に嫌だったのねー…。だがしかし、そんな義賢と義龍の年の差が六歳程度だというのに滾らずにはいられないです← 
 それから、定頼様が杉山さんという人に出した感状に萌え滾った件について。お決まりの文句(忠節尤もとか)の後に「怪我の具合はどうですか?心もとなく思います。養生が肝要ですよ」と書いてありまして!よし、杉山さん!私と代われ! 私も定頼様にそんなこと言って貰いたいよぉおお!(…) 羨ましすぎる。でも、杉山さん家の感状を貰っている量が半端ないです。何者なんですか杉山家。一番槍だわ、九里宗忍という人を討って滅茶苦茶褒められてるわ、定頼様からの感状に「毎度この如く」とありましたから、合戦の度にそれなんですか杉山さん。おまけに、高実ちゃんからも感状貰っちゃって!大永五年の感状なんで、この頃はまだ高実ちゃんは梅戸への養子に行ってなかったということなんでしょうか。杉山さんの家は、伊庭さんの跡職を貰う話をしていたりしますので、六角にとって割かし重要な国人だったのかもです。
 大永六年に、定頼様が朝倉勘解由左衛門という人に宛てた書状を見るに、大永五年に亮政と定頼様が争った時やってきた朝倉宗滴は、浅井の味方ではなく、六角側として小谷城の曲輪に陣取ったらしいです。浅井家について書いた本で見かけたことはありましたが、その書状をちゃんと書き下し文でも読んだのは初めてなので、ほえーと。その書状では、宗滴(書状の中では教景と呼ばれていますが)が六角についてくれたことにお礼を述べていたり、長い在陣でお疲れでしたでしょう、とか書いてありました。なので、長政の代の浅井家が織田から離反したことに、朝倉家はあんまり関係無いんじゃないのかなぁと。織田家から家臣として扱われていることに、我慢ならなくなったんじゃ…とか邪推してしまいますが。あとは、近江に帰ってきた義賢・義弼父子がどう唆したか、ですけども← 
 何にしろ、長政と義弼が一緒にいるだけで私は満足です(…)

 

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