何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/10/02 (Fri) 遺品


 『島左近のすべて』に載っていた白川亨先生が書かれた所を読んでいたら『石田三成の生涯』が読みたくなりました。三成の親戚関係について書いてあるのを読んでみたいといのは勿論のこと、孝蔵主と三成の関係にも言及しているらしく……!このコンビが好きな身としては堪りません。孝蔵主が、三成の娘であり、寧々の養女になっていた辰を連れて京から下向した辺りの状況を、もっと詳しく知れたらなと。それから、孝蔵主の姪である徳さんが秀吉との間に一女を儲け、その娘は丹羽さんの家臣の人に嫁ぎ、子孫が現在に至るまで続いている、ということの詳細も知りたいです。

 それからですね、茶々の持仏の弁天さんが、東福門院(江の娘で後水尾天皇の中宮。茶々の姪)に伝わり今に至る、という話を知った瞬間に良い意味の鳥肌が、こう、ぞわわわっと。そうですよね、現存しているわけですから、茶々が誰かに持仏を託していたというのは当たり前の話なわけで……おまけにそれが東福門院に伝わったということは、彼女に親しい人へ茶々は託したんじゃないかなぁと。そこでぱっと頭に浮かんだのは江でした。茶々が、城から逃がした誰かに持仏を託し、その託された人が江へ渡したとか。千と共に城を出て、後に江へ仕えた海津局さんに託したという可能性もありますが、私は千を推してみたいです。いや、何となく←
 姉の形見である持仏を、恐らく風当たりが強いであろう場所へ嫁がなければならない娘に持たせる江の心境を妄想すると、鳥肌ものです。江にとって、やっぱり茶々は大好きなお姉様だったんじゃないのかなぁ、やら、止まりません(…) 茶々の持仏が弁天さんなのは、浅井家が篤く帰依していた竹生島で祀られているのが弁天さんだから、とかだったりするのでしょうか。現在まで伝えられていたりするものを元に妄想すると本当、止まりません← 浅井一文字や茶々の来国光の懐刀のことを考えると、あああああ!ってなりますから(お前) 大坂の陣の時鎧を纏っていた茶々の腰には、長政の形見である浅井一文字があったら良いなぁと。

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