何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/10/03 (Sat) 高虎とか龍子さんとか



 高虎が、茶々と秀頼の十三回忌法要を行っていた件について←
た、高虎?予想外過ぎて、暫くぽかーんでした。高虎は身も心も徳川へ捧げたものと解釈していたので、ちょっと意外というか。十三回忌ということは、慶長二十年から十三年後ということですから、寛永六年(あれ、五年?)(…)高虎の死没が寛永七年ですから、寛永六年にしろ五年にしろ、死没の直前です。死期を悟った頃になって、高虎にも色々と思う所があったのかもしれません。それから、高虎絡みで、高虎は秀保が死没した後、高野山に引っ込んで、秀吉に引っ張り出されたと良く言われますが、藤堂家の文書によると、天正二十年辺りには、大和郡山豊臣家を出て高野山にいたそうな。秀長の死後、一年して高野山に引きこもり、そこを秀吉に引っ張りだされ、秀保の後見を頼まれたやら。果たして、実際はどうだったのでしょうか。どちらが妄想のし甲斐があるかによryげふんごふん。秀長の後継者を守ろうと頑張る高虎も、秀長が死んだら高野山に籠もってしまった高虎も、どちらも美味しく頂けます← ただ、秀長死後、大和郡山家を離れた人達は多かったらしく(治長家臣の国島さんも、元々は秀長家臣で、その死後、大和郡山家を離れた人です)秀長の人望が偲ばれるような。秀長も当然、秀吉と同じく、代々の家の譜代と呼べる人はいなかったわけですから、秀長個人への忠節を誓っていた人が多かったのかもしれません。
 そういえば、一か月前の京都旅行で、養源院に行けなかったのが滅茶苦茶後悔なんですが、豊国廟に行けなかったというのもまた……。いや、大荷物をロッカーに預ける前に、豊国廟の近くに行ったので、さすがにあの阿弥陀峰を登る体力は無かったやもしれませんけども、せめて麓にあるらしい龍子さんと国松のお墓にはお参りしたかったです。うっかり、うっかり、龍子さんと国松のお墓は大阪城の豊国神社にあるものと思い込んでいたみたいです←
 龍子さんのお墓と、そのすぐ傍にある小さな国松のお墓を写真で見るだけでも涙腺がたがたなのに、本物を見たらどうなることやら……。国松の遺体を引き取り、自分の生前墓の傍らに埋葬する龍子さんの心境を考えてしまうと、色々、やばいです。茶々と秀吉の関係について幾ら考えても考え足りませんが、龍子さんと秀吉の関係もまた、深いような気がします。一言では言い表せなさそうな。龍子さんとくすさん(茶々の異母姉で、龍子さんの侍女)も早く登場させたいなぁと。小説の龍子さんでは、とにかく『ちゃちゃの城』の龍子さんがどツボでした。

 

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