何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/10/17 (Sat) 分かったこととか



 『めのと』読み終わりました!ですが、この滾りをぶつけるとなるとえらく時間がかかってしまうので、感想はまた次回ということで。とにかく、幼少時代の大野兄弟に鼻血が流れ出るかと思った← 万福丸と治長の関係は完全に盲点でしたので、なるほどなぁと。それから、呵々と笑いそうな毒舌阿古さんに全俺が惚れた。お忍びでちょいちょい秀頼を馬に乗せて遠出に連れ出す治長と、そんな治長に懐いてる秀頼に、もう、動悸が止まらな……ッ ただ、治長と嫁の関係がちょっと残念でしたけども。嫁に手ひどく離縁される治長に、何だか滾ったとかじゃなげふんごふん。滾りました← 治長と茶々の関係を恋愛という形で描かれていたので、嫁との離縁という展開は仕方が無いのかなぁとも思いますが。千と茶々の関係はとんでもなく理想的でした。幼い千に添い寝してあげる茶々に、もう…!です。


 感想はまた今度、えらいだらだらと書くと思うので、今日入手した糺情報を。糺情報というか、糺の渡辺家の情報というか。糺の渡辺家が東山の一乗寺と田中という地を支配していたことは知っていたのですが、その他ちょいちょい具体的なことが分かりました。『寛政修重諸家譜』には、糺のお父さんが宮内少輔という官名を名乗り、兄と共に一乗寺の城に住んでいたということが載っています。義昭に与し、義昭が槙島で負けた後は没落し、兄弟は散り散りになりました。『信長公記』によると、義昭に与し一乗寺の城に籠もったのは、渡辺宮内少と磯貝新右衛門で、後に降参して城を立ち退いたそうです。後に磯貝さんは吉野に隠れていたところを見つかり、土地の人間の手で殺害。首は信様の元へ送られたそうな。肝心の宮内少輔さんですが(高確率で糺の父親である昌さんだと思われますが)近江へ逃げ延びたらしいです。糺の母親である正栄尼さんが、長政の娘であるという説もあるらしいのを考えると、何だか色々妄想のし甲斐がありますね← 
 ただ、渡辺党の本幹地であろう渡辺館(これが一乗寺の城だと目されているっぽいです)に、長男である重さんではなく、弟の昌さんの方が籠もっていたというのは、一体どういう状況なんでしょうか。重さんの方は、義昭と一緒に槙島の方に籠もってた、とか?それから、磯貝さん一体貴方何者…!
 渡辺家とは関係ないですが、同じく『信長公記』で、義弼の籠もる鯰江城を攻める為に四つも付け城作らせたり、鯰江城を支援していた百済寺を焼き討ちにしたり、信様、大分義弼にイラッときてたっぽいですね←



 最後になってしまいましたが、76の中様より頂戴しました、某月の住人を頂き物の項目へアップさせて頂きました。もう、電波ぶりが完璧過ぎてによによが止まりません…!

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