何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/10/20 (Tue) 譜代についてあれこれぼやいてみました


 風邪をひいたせいか、ちょっと気分的にしょんぼりな具合になってます←
そんな状態でネットを色々回ったせいか、無駄にこう、吐きだしたくなったといいますか。追記で、大坂の役と譜代の世間様での扱われ方にぼやいているだけですので、スルー推奨です!











 私がまだ戦国時代にはまりたての頃に読んだ小説だったと思います。タイトルは遥か彼方過ぎて思い出せませんが、その小説の末尾についている解説で「歴史学と歴史小説は交わらない平行線である」というようなことが書いてあったんです。当時の私は、えええええそうなの?良いじゃん、交わっちゃいないよ!と思ったりもしていました。完全に、小説に書いてあることを史実だと鵜呑みにしていたわけです。今思うと、本当に我ながらアホだなぁ…と思うですが、それだけ、小説の書き手が上手いんですよね。本当にそうだったんじゃないかと思わされてしまいます。それは素晴らしいことだし、そんな風に読者に思わせる作家は称賛されてしかるべしだとも思っています。ですが、いくら本当のことだと読み手に思わせるほど、文章が巧みで秀逸だったとしても、創作は創作、フィクションです。史料を元に描いていたのだとしても、どうしても作者のフィルターがかかってしまいます。悪く言うと、作者の手垢でしょうか。その時点で、それはもうフィクションになっているのではないでしょうか。そもそも、その史料自体、それを書いた誰かのフィルターや時代の事情を通して書かれているわけで、事実をそのまま記したものであるわけがない。難波戦記や数多く存在する太閤記が良い例です。一級史料と言われる信長公記すら、事実を全てありのまま記したわけではありません。そんな史料を更に著者のフィルターを通して書いた小説や、完全に著者オリジナルのエピソードが書かれていたりする小説を読んで、それが真実だと、読む人が思ってしまうのは、ちょっとおかしいんじゃないかなぁと。色々と参考になるウィキペディア、あれも、項目によっては悲惨です。糺の項目にある、治長と糺が口論になり、あわや殺傷沙汰になりかけたことについて又兵衛が「双方とも死ねばよいと語った」と書いてあります。しかし、実際、私が発見できた史料では、両方とも切り合えば良いでしょうというニュアンスのことを言ったのは、北川宣雄です。しかも、二人を戒め、落ち着かせるために言い放った節があります。この北川宣雄の言い放った言葉を、譜代の人間である治長と糺を疎ましく思っている、という意味合いの又兵衛のセリフとして書いた小説が『城塞』です。それを真実と思い込んだ読者の方が、ウィキペディアの糺の項目に書いてしまったのかもしれません。司馬遼太郎の書き方もまた、罪つくりなんですよね……あたかもそれが裏付けのある真実であるの如く、神の視点から書いてるわけですから、読む側としては信じたくなってしまいます。お陰様で、茶々や治長含め譜代面子(重成除く)や秀秋や家康はえらい割を食ってるのではないでしょうか。司馬遼太郎の茶々嫌いは半端ない感じがしますし。何か恨みでもあるのかっていう位。
 そして小説では無いですが、難波戦記がこれまた曲者です。意図的に、牢人と譜代が対立している構図を作っているようにしか思えません。冬の陣の時、牢人達(新参衆と書かれていましたから、多分牢人達かと)が、天王寺に布陣した敵の備えが整わない内に攻撃を仕掛けようと進言します。その進言を、治長・又兵衛・七手組頭達が相談し、最終的に却下しているわけですが、これが難波戦記になると構図が変わります。進言する側に又兵衛が加わり、進言を却下した治長と七手組頭達へ「駄目だこりゃ」と文句を垂れている構図になっています。治長・又兵衛・七手組が相談して却下したということは、北川遺書記に書いてあることですから、江戸時代に軍記ものとして書かれた難波戦記とどちらが内容に信憑性があるかと言ったら、当然北川遺書記の方です。思うに、エスケープゴート役として譜代が選ばれたんじゃないかなぁと。何となくですけれども。
 で、結局何が言いたいのかと言いますと、譜代をあんまりいらない子みたいに言わないでね!それから、小説を真実と鵜呑みにはしないようにね!物語ではなく事実を知りたいのなら史料を当たった方が良いよ!という話です(…) 小説だと、とにかく、譜代はいらない子扱いですから……譜代がいなかったら、誰が兵站の手配と管理をするんだよ……。むしろ、あっと言う間に城内が瓦解するだろ牢人だけだったら……牢人と譜代が揃って初めて、かろうじてではあっても十万を超す軍勢を相手どれたわけでしょうよ……。あんな、譜代がいなければ勝てたみたいな物言いしなくても良いじゃない…!それから、まるで譜代が秀頼の信頼を得ておらず、秀頼は牢人をむしろ信頼していた、みたいなのも、読んでいてイ"ーーーーー!となります← 数十年の付き合い舐めるなよ!
 と、はい、あらかた吐き出しました(…) 二極対立の構造にしてしまえば、語るのは簡単です。世間様に流布している、ねねVS茶々女の戦いや、尾張出身VS近江出身、武断派VS文治派等々。譜代VS牢人の形にしてしまえば、これほどすっきりとしていて、読んでいる側も理解し易い構造は無いです。譜代がことごとくく牢人を厭い(ただし目立った活躍のあった重成は別扱い) 邪魔をするという展開にし、牢人はその妨害にあって満足な戦いも出来ず豊臣は滅亡していったという流れにすれば良いわけですから。『歴史と文芸の間』という、植村先生の本の題名を噛み締めながら、締めにしようと思います。お粗末様でした。





 

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