何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/10/28 (Wed) ロイヤリティの子供たち



 義賢の子供が一体何人いるのか、そういえばちゃんと数えたこと無かったなぁということで、ざっと書きだしてみました。今の所私が分かっている分だけですので、まだまだいそうですけども……

 畠山義綱室
 義弼(義治)
 高定(賢永)
 星合具親(北畠朝親)室 

 『寛永諸家系圖傳』にはこの四人が義賢の子供として、この順番で載っています。順番が生まれた順そのままを現しているのなら、畠山義綱室は義弼の姉かもです。それから、義賢の最初の正妻だった畠山義総の娘が死没した時期を考えると、義綱室と義弼の二人は畠山義総娘の生まれなのかもしれません。そうなると、下二人は後妻になった土岐頼芸娘の子供という可能性がありますね。高定は、頼芸さんと行動を共にしていることから、頼芸娘から生まれた子だと思われますが。
 そして『寛永諸家系圖傳』には載っていない娘がもう一人いたりします。『舟橋家譜』に存在が示されている娘で、船橋秀賢の妻だったそうです。同じく『舟橋家譜』で、秀賢の父方の叔母(舟橋枝賢の娘)が義賢の妻であるといった記載があります。もしかしたら、別妻として義賢に迎えられた枝賢娘から生まれた子であった為に、秀賢の妻は『寛永諸家系圖傳』にその存在が示されなかったのかもしれません。ということで、ちょろっと纏めると、

 畠山義綱室
 義弼(義治)
 高定(賢永)
 星合具親(北畠朝親)室
 舟橋秀賢室

 な具合でしょうか。
舟橋秀賢は、大坂城に招かれ秀頼に勉学を教えた人です。俊英として鳴らした人だそうで、何か秀頼に色々難しそうなことを教えています← 職制・法制・軍学・和歌・儒学等々。当時大坂城にあって秀頼の弓師範をしていた義弼とも、もしかしたら何かしらやり取りをしていたかもしれないなぁと。何てったって義兄弟!(お前) 秀頼が帝鑑図説を若干十五歳にして出版したことには、秀頼の素質の他に、きっと秀賢から受けた諸々の教育も影響しているような気がします。
 しかし、未だ義弼がちゃんと秀頼の弓師範を務められていたか不安です← 若い頃の気性の荒さを考えてしまうと、どうにも(…) 年食って落ち着いたのかもしれませんが。あ、でも逆に考えると、気性の荒い(きっとおまけにプライドも高い)義弼が弓師範をしてたということは、秀頼が温室でぬくぬくとしていただけじゃない証左に、ちょっとはなるような気がしないでもないです。何てったって若い頃の評され方が血気を好む婆娑羅の人← 杉谷善住坊を刺客に信様を殺そうとした張本人←← ……ぶっちゃけ、秀頼に良からぬことまで教えてないか心配になりました。

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