何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/11/03 (Tue) 重成の設定


 重成の出自を、重茲の実子ではなく養子という設定に変更します。設定の所はまだ変えていませんが、後で変更を加えておきます。長秋の設定と良い、一度決めた設定をあれこれと変えてしまって大変申し訳ありません。ですが、養子という形が一番個人的にしっくりき、また、クイさんや13の許可も得られたので変更してしまおうかと。
 設定としては、

 佐々木三郎左衛門と宮内卿局との間に生まれた子。三郎衛門が死没した後、宮内卿局は重茲の別妻として迎えられる。しかし、重成は正式な子として認められなかった。母である宮内卿局が茶々の元に召し出され秀頼の乳母となった為、重成も豊臣家の奥で育つ。父のいない重成を哀れに思った茶々が秀吉に執り成し、重成を重茲の養子とした。重茲が秀次事件に連座したことで自害させられた後は、宮内卿局と共に近江の馬渕へ逃れる。暫くは六角義康の元で養育されていた。秀次事件のほとぼりが冷めた頃、茶々の声がかりで再び宮内卿局が召し出され、重成も秀頼へ仕える。

 な具合でしょうか。『太閤さま軍記のうち』に、重茲の妻子が処刑されたことが載っているので、恐らく宮内卿局さんは正妻ではなかったのではなかろうかと。
 茶々が秀吉に執り成し、重成を重茲の養子としたことは『明良洪範続編』に書かれています。近世中期に書かれた『明良洪範』の更に続編ですから、書かれている内容に信憑性があるかと言えば首を傾げざるを得ませんが、一つの可能性としてはアリかなぁと。六角義康の元で養育されたというのは『止戈談義』の佐々木義郷の元で文武を学び~な内容を元にしています。義郷は恐らくこの頃にはもう死没しているので、佐々木哲説では秀次に仕えた義康に登場願いました。というか、六角を重成に絡ませたのは完全なる趣味です(お前) 佐々木を名乗りながら六角と関わりが無いなんてそんなの……嘘だろ?← そんなこんなで、拙宅の重成は義弼に懐いてると思われます。重成の「片桐市正殺すっ」やら「まだ家康の首獲ってねぇもん!」という姿勢に佐々木の血を感じてなりません(…)

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