何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/11/14 (Sat) 六角のお姫様



 『センゴク』の最新刊を読んでいたら、まさかの畠山義綱の登場に、婿殿ぉおおお!と叫びたくなりました。だ、だって……義賢の娘の旦那!義弼の義兄弟!あんなに侘びしい姿を描かれてしまうと、読みながら鬱になってしまいます← ちょくちょく参考にさせて頂いております能登畠山専門のサイト様によると、大徳寺塔頭興臨院に所蔵されている過去帳に1593年没とあるそうなので、煩悶のあまり義綱が入水自殺したというのは伝説の域にとどまる話だと思われます。むしろ本当にそうだったら、義綱に嫁いだ義賢の娘が不憫すぎる。十歳の息子と離れ離れにされた挙句、その息子は十九歳で暗殺されて、更に夫が入水自殺とか!ないわ!
 義綱は、守護代という間の存在を排した、直接的な政治を行おうとしたら家臣の猛反発にあい追放されてしまったそうです。その後、暫く六角の元に身を寄せています。

 義賢の身内への接し方はなんかこう……萌えます(お前) 身内にはとことん甘い人だったのかもしれません。妹とその夫である土岐頼芸さんが追放されてきたら匿い、妹とその夫である晴元がきたら将軍諸共匿い、娘とその夫である義綱がやってきたら匿い、妹達の嫁ぎ先とは決して戦はせず。義昭上洛の際、義昭側につかず、三好三人衆側についたのは、当時三人衆に擁立されていた細川昭元が妹の子だったからかなぁと。あと、絶対潔癖だと思います。精神的に、すごく。義賢の出した「斎藤ありえねぇんだけど!」の文書を読むと、そんな感じがするなぁと。身内殺しはどんな事情があろうとも、許されざる悪とか考えていそうな。父親に逆らうとかマジあり得ねぇし的な。なので、長政の久政へのぷちクーデターに関して「悪い子だな!」とか思ってたらきゅんときます(…) きっとその潔癖ぶりが子育てによからぬ影響を与えたせいで義弼があんな子nげふんごふん。
 義賢の実際の血縁ではありませんが、本願寺顕如の奥さんが三条さん家の娘で、晴元の養女となり、さらに定頼様の猶子という形で顕如へ嫁いだということは、実質上晴元の元で育てられたということでしょうか。もしもそうだったら、えらく妄想を掻き立てられます。晴元の妻は定頼様の娘ですので、顕如の妻を育てたのは定頼様の娘だったりしたのかなぁと。完全に妄想ですが!
 それから、最近、北畠具教に嫁いだ定頼様娘のことを考えると、色々滾ってきます。『勢州軍記』によると、夫婦仲は悪く、嫡男が定頼様娘の子供である他は全て、別妻との間に生まれた子供なのだそうです。絶対に、夫婦間でプライドのぶつかり合いがあったに違いない← 定頼様娘が嫁いだ経緯からして、ぴりぴりした状態で迎えられたこと請け合いですし……。六角と北畠が戦!六角は伊勢の二郡を獲得する代わりに、娘を嫁がせるという形で和睦したそうです。六角と北畠は両方とも名家中の名家ですから、何か、色々妄想してしまいます(お前) おまけに、定頼様娘は、具教と不仲であったと伝えられるくせに、三瀬の変で自害したと伝わっていたり、三瀬の変を生き延びた後、北畠旧臣同士の諍いの仲裁に輿で乗り込んだとも伝わっていたりで、えらいことになってます。何にせよ、意志の強い人だったんだろうなぁと。
 どうでも良いですが、土岐頼芸に嫁いだ定頼様娘と、頼芸さんの別妻だった深芳野の二人は、やっぱり面識があったのでしょうか。ここも何か、あれこれと、はい(何だよ)

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