何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/11/16 (Mon) 設定と年齢



 宣言通り、重成の設定をちょっといじってきました。これからがっつり、重成を六角に絡ませていこうと思います(お前) 重成にとって、初めての師が義弼である妄想が止まりません。年老いた義弼が、ぽつぽつ、重成に対してだけは元亀争乱を駆け抜けてきた心情を独り言っぽく語っていたら良いなぁと。傍目からは、気難しい祖父と素直な孫、な光景に見えていたら萌えます←

 それから、私の中での年齢区分をしっかりさせようかなと。
 今まで、なんとなーく、

 糺、治房(三十代組)
 長秋、重成、秀頼(二十代前半組)

 というイメージだったのですが、よくよく考えてみたら、糺は二十代の方が自然なのかも…?という所に行きつきました。大した根拠は無いんですけどもね!(お前) 今まで糺を三十四歳だと思っていたのは『土屋知貞私記』に糺の年齢が三十四歳と載っていたからなんですが、その史料だと、重成の年齢は三十五歳という……。城に籠城していた長澤さんの書いた『長澤聞書』には、重成は二十四歳!とくどいくらい書かれているので三十五歳が誤りだとすると、糺の三十四歳もどうなのかしら、な疑問が起こってきてしまいまして。あと、重成の石高は七百石で、糺の石高は五百石です。もしも糺が三十四歳で五百石だった場合、五百石が少ないとは言いませんが、重成と同じく一手の将に冬の陣の際任じられていたにしては小身過ぎねぇかと。だって、治長家臣の米村さんと殆ど同じ石高←
 ですので、殆ど重成と同じ年齢、同じ立場だったんじゃないのかなぁと。一、二歳くらいの違いはあるかもしれませんが。だとすると、あの二人の仲の良さもしっくりくる気がします。


 治房(三十二歳)
 糺(二十四歳)
 秀頼(二十二歳)
 重成(二十二歳)
 長秋(二十一歳)
※夏の陣の時の年齢

 な具合で。長澤さんの言う通り、秀頼と重成の年齢を二十四歳にしたら、秀頼の生年に合わなくなったので、二十二歳にしました← こう見ると、大坂方は若武者が多かったんだなぁと思います。徳川方にも、直孝やら利常やら至鎮やら長晃やら忠直やら若いのがたくさんいましたから、こう、何か、血が滾りますな!その分、若いのに囲まれて高虎が気疲れしてないかちょっと心配です(余計な御世話だよ) 

 多分、皆秀頼の小姓出身だと思うので、その頃のぎゃーぎゃーやってる話を書いてみたいです。千の輿入れに、無駄におろおろする治房糺重成の三人とか(…) 完子の結婚にだだ泣きする糺とか、妄想が絶えません← 

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