何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2009/12/01 (Tue) 全力疾走秀吉



 読む速度が鈍足過ぎて完走する気配のまったく見えないフロイスの『日本史』ですが、秀吉の宗教観についてちょっと書いてあって、興味深いなぁと。いや、その、あくまでフロイスの書いたことなんですけどね! 実際はどうだったのかは分かりませんが、秀吉は禅宗を信仰していて、来世なんてものも、地獄も極楽も信じてはいなくて、死んだら皆まとめて一つの混沌に還っていくだけなのだと考えていたやらなにやら。本当にそうだった!と断定することはできずとも、何となく、らしい気がします。殿下っぽい。そのくせ、死の間際には夥しい数の神仏の名を記した誓紙(秀頼を盛りたてるっていうアレです)を書かせていたり、戦場へ行く際には随求菩薩の持仏を持って行っていたり、その辺もまた殿下らしくて、お前矛盾してんじゃん!とは言えない← ねじれにねじれて矛盾してるのが秀吉ですからね!(お前) 
 ただ、神として祀るよう命じたというのは、秀吉自身本当に本当の意味で自分が神になるとは思っていなかったのかもと。あくまで、神となることで豊臣家の権威を高めることに加え、自分という存在を後世に残すという欲望を満たそうとしたんじゃないの妄想が、もりっと。家康の場合は、本気で自分が神となることで徳川家を守り続けようとしていたような気もしますが。ガチで神仏を信じていそうな気もしますし。
 フロイスがあんまりにも、秀吉の目的は自分の名を後世に残すことだやら書くものですから、色々と勝手なイメージを抱いてしまっています。秀吉の、自分の名を後世の残すことに対する執念は、生物の生殖本能にも似た感じだなぁ、とか、はい← 来世も地獄も極楽も信じていない殿下だったからこそ、今生へ自分を焼きつけることに執着したのかも、と。というか人生全力疾走過ぎる。そんな考えを世の最底辺を彷徨っていた時期に得たのだしたら、もう、もだもだが止まりません(…) 

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