何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/01/04 (Mon) 義賢の話



 白い梟と義賢という組み合わせにはぁはぁしてました。干身です。
義晴に義賢が白い梟を贈ってるんですよ…!白い梟を腕にとまらせる義賢を妄想するだけで、ご飯が十杯いけます(梟を貰ったのは将軍の方です) 義賢の梟に顔もふもふさせたい← この頃確か、義賢は十八歳か十九歳くらい、だったでしょうか。まだ義弼は生まれてないですね。ちなみに、義賢十八歳の時に、多分、多分!姪っ子なんじゃないかなと思われる子が生まれてます。天文八年三月十九日に、細川晴元に娘が生まれたそうです。定頼様の娘が晴元に嫁いだのが天文六年ですから、生まれた女の子が定頼様娘の子でも不思議ではないなと!朝倉義景の最初の妻(娘一人を産んで病没)が細川晴元の娘だという話もありますし、もしかしたらこの天文八年に生まれた子かもしれません。あれ、でもそうなると、九歳で嫁いだことに(…)
 晴元は最初の正妻だった三条公頼の娘さんとの間に子供は生まれなかったのでしょうか。もしかしたら、三条公頼娘との間に生まれた子が、朝倉義景に嫁いだ子だったのかも。というか、この三条公頼娘さんはどうなったのでしょうか…。定頼様の娘と晴元が婚約するよりも前に死没していたのか、それとも、定頼様の娘と婚約するに当たり、離縁されてしまったのか、想像がくすぐられます。でも、後に晴元が三条公頼さんの三女(顕如の妻になる人)を養女に貰ったりしていますから、定頼様娘と婚約する前に、死没していたのかもしれません。……しかし、そうなると、相当早くお亡くなりになったということに……あ、頭が!

 とにかく、今は若武者な頃の義賢にはぁはぁしています。義賢が十九歳の時、伊勢の千草城という城(長野植藤という人の城だったそうな)を落としていますが、梅戸氏も協力したという話も聞きましたが本当なんでしょうか。もしもそうだとしたら、まさかの高実ちゃんフラグに漲りが止まりません。

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