何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/01/20 (Wed) 義賢のお母さん後日談


 『江源武鑑』をぱらぱらーと読んでいたら、天文二十二年(1553年)の項に「二十五日 屋形亡母ノ為に高島郡ニ四十九躰ノ石佛ヲ作ル奉行田中伊豆守資光ナリ」とありました。何かもう、え、ええええええええとしか言えません(義賢が作らせたと伝わっているのは四十体石仏ですけども) 『江源武鑑』は、氏綱兄さんから繋がる六角家の嫡流が存在したということで書かれているものなので、この場合の屋形とは義賢ではなく、氏綱兄さんの息子である義久です(『江源武鑑』の中だと義実)
 偽書疑惑が常について回る『江源武鑑』なので、何とも言えないのですけども、氏綱兄さんから繋がる六角家嫡流が存在したんじゃね?と思っている身としては、それでもアリな気がします。もしも、四十九体石仏を作らせたのが義久だとしたら、義賢は別妻の子ではなく、正妻であると思われる呉服様の子なのかもしれません。……何か、頭がえらいこんがらがってきました← 義賢が亡き母を追善するために四十九体石仏を作らせた、という言い伝えたが、どのような内容で伝えられてきたのかえらい気になります。「六角の屋形が作らせた」という内容で伝わっていたのなら、義久である可能性はあるような気はするのですけども。
 ということで、義賢は別妻の子なんじゃ?という憶測は、憶測を立てた翌日にぶち壊される憂き目に遭いました(…)

 色々と『江源武鑑』の他のところも読んでみたら、武田信豊に嫁いだ定頼様の娘は、本当は大原高保の子だったのを、定頼様が養女にして嫁がせたんだよ!ということも書いてあって、面白いです。あり得ない話でもない辺りが、凄く。それにしても、さらりと「誰々が天狗によって殺された」なんてことまで書いてあるのが恐ろしい……。

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