何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/03/10 (Wed) 行ってきましたその2




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 長谷川等伯展に、行って参りました。
水墨画や仏画も良かったのですが、やっぱり等伯の絵は金碧画が好きです。智積院で仏教研修をした時に見た秋草図や楓図の他に、萩芒図という絵を初めて見まして。ふおおおおとなってしまいました。この萩芒図が鶴松の菩提寺に描かれたものだったら、涙腺崩壊だったのですが、そんなことはありませんでした(…) 
 よく利休の紹介に使われるあの肖像画、あれって等伯が描いたものだったんですね。知りませんでした。肖像画繋がりで、図録に稲葉一鉄の肖像画についての解説があったのですけども、一鉄の生涯に若干慄きました。大永五年に浅井との戦いで父親と兄達五人を失ってるとか!大永五年にあった浅井の絡む戦いだと、浅見さんを倒し、江北の頭として台頭してきた亮政に「ちょっとお待ちなさい」とばかりに戦をふっかけてきた定頼様との戦いが浮かびますが、それ絡みなのでしょうか……。

 前半の展示にあった仏画は、等伯が絵師として成長する能登の土壌を作ったのは義総なんだよなぁと、はぁはぁしながら邪な目で眺めていました。義総が能登畠山の当主となってからは、義総の戦う前に勝つ外交戦略で、殆ど大きな戦は無かったそうです。当時は城下が戦火に晒されるのは当たり前で、常設した店舗を構える人は少なかったそうなのですが、義総居城の七尾城下には、常設のお店が幾つもひらかれていたそうな。京から文化人の公家さん達もたくさんやってきたり、夕方には寺の鐘の音がしみじみ響く地なのですよ…というような感想を、その地を訪れた公家(お坊さんだったかも)が書き残しているとか。
 義弼のお母さんは義総の娘なので、恐らくそんな七尾城で育ったものだと思われます。幼い義弼に、故郷の話を聞かせているのを妄想して、勝手に悶えてます←

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