何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/03/13 (Sat) 六角でごちゃっと


 今、無性に滋賀県に行きたいです←
三年ほど前に行ったことはあるのですが、当時は三成にドンはまりしていた時期だったので、六角や浅井関係の史跡をまったくもって周らなかったんです。どうやら、観音寺城は城マニアには堪らない史跡だそうで。私はそういうのはさっぱり分からないので、ただ六角の居城だってことでテンションが振り切れてしまいそうです。観音寺城で検索をかけると出てくる、城好きな方々からの賛辞に、自分のことでもないのに嬉しくなってしまうのは重症でしょうか…。ただ、本当に一日では周りきれないほどの規模を誇る城なのだそうです。さすが、増築増築増築!を南北朝時代から繰り返した城です。
 そういえば、ペーパーバックの城の本をぱらぱらーと立ち読みしていたら「箕作城を攻めるために、秀吉は城を囲むようにして火を放った」とかあったんですがマジか。一緒に箕作城攻めてた丹羽さんドン引きだろそれ。無茶苦茶です、殿下。籠城してる兵達を焼き殺す気満々じゃないですか。箕作城が簡単に落城したと『信長公記』には記されているそうですが『言継卿記』には、岩成友通さん(三好三人衆の一人)が援軍に来たりで、中々落とせなかったことが書かれているそうな。また、箕作城に籠城している城兵の抵抗も激しく、だからこその秀吉の焼き殺してやんよ作戦だったかもしれません。『信長公記』の、あっさり城は落ちたんだぜ!が正しいのか、はたまた、別の事実が存在するのか、妄想がくすぐられます。
 それにしても、代々、六角の人達が避難する先が甲賀というのに悶えが止まらないと言いますか……。そんな六角と甲賀衆の親しさを考えると、絶対に定頼様、甲賀衆で情報収集してますよね。実際に、逃亡中の義弼へ、望月吉棟さん(甲賀五十三家の一つである望月家の人でしょうか)が京の情勢を伝えていたそうです。同じく五十三家である三雲家は、箕作城を追われた後の義賢と義弼にも忠誠を尽くしています。鈎の陣(幕府の六角征伐により、甲賀に落ち延びた高頼ダディを甲賀の郷士が匿い、更には高頼ダディの味方として挙兵します。幕府軍を、地の利を生かしたゲリラ戦法で撹乱しました)で功をなした甲賀の郷士五十三家の中でも、高頼ダディより感状を与えられた二十一の家が甲賀の惣中で強い力を有していたことが、六角と甲賀の関係を現しているような気がします。所謂その五十三家が上忍と呼ばれる人達で、その家々が、一般的な忍者のイメージである下忍を抱えていたとかとか。なので、義賢と義弼の逃避行に従った三雲さんと一緒に、忍の人達も付き従っていたかもしれませんね。
 よくよく考えると定頼様、幾ら近江が京に近いとはいえ、若干情報通過ぎる気がしないでもなry も、妄想が、止まらない!(止めなさい) 忍を侍らせる定頼様を妄想して、悶えていようかと思います←

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