何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/03/17 (Wed) 七手組


 速水さんのデザインが出来ました!
鉛筆でざしょしょーと描いただけなのですが、13とクイさんの許可が出たのでこれで行きます!相も変わらず携帯写真な上に、幼稚園児並の画力なので、追記に隠しておきます。参考に見といてやっても良いぜ!という方は、ど、どうぞ!美初老が描きたかったのに…!速水さんは大坂方一の男前だと思います(性格的に) 忠義に生きる無口な男って、どれだけ人を痺れさせれば済むのかと。










hayami_kao.jpg
 多分、くっちゃべる大助の相手をしている時の顔です。子供か小動物にしか笑みを見せない速水さんだと萌えます(お前)

hayami_zentai.jpg
 ぼやけてしまいましたが、全体像的にはこんな具合で。肩当てと、桐紋+七の字の入った布は七手組の共通アイテムになりそうです。

 速水さんの他に、他のメンバーのデザインもざっくり決まったので、これから動かして行けたらなと!秀吉の近習組頭を務めていた頃の速水さんを妄想すると、ちょっときゅんときます←
 よくよく考えてみると、七手組って殆どが秀吉の黄母衣衆出身者ですから、戦経験のあるエリートなんですよね。頼包は父親から七手組の仕事を引き継いだ形なので、その枠ではありませんが。つまる所、七手組の方からしてみれば、治長・治房・重成・糺に加え、五人衆の中の幸村・勝永・盛親らは、戦を知らない小童共というように見えていたのかもしれません。勝永の父親は元黄母衣衆ですから、七手組メンバーの元同僚で、当然勝永を幼い頃から知っているでしょうし、豊臣に人質に来ていた歳若い頃の幸村も知っていたかもです。更に盛親にしても、若造だった姿を知っていたかもしれません。そんな風に、七手組側から考えてみると、色々と面白いなぁと。治長・幸村・勝永・盛親のはっきりと分かる戦の経験は、関ヶ原だけですから、上記のメンバーに対して反対したり(賛同することも勿論ありましたが)反対意見を述べていた七手組の気持ちもわかるような……。その上で、十分な戦経験があると七手組にも認められる又兵衛や明石さんを、五人衆として迎えたことは結構重要なことのように感じます。二人が陪臣であったことを考えると、なお。三人衆が五人衆になったよ!の話が本当だとして、色々と妄想してしまったので、また後日書いておきます!実はあれ、治長と又兵衛(と、もしかしたら幸村や明石さん諸々の人含めて)の狂言芝居だったんじゃね?的な……。

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