何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/03/20 (Sat) 真田丸騒動


 日光東照宮の配祀として、秀吉まで祀られてるってマジですか。明治に入ってから祀られたらしいので、明治政府の意図とかが色々感じられますが、それにしてもびっくりしました。おまけに久能東照宮には、家康と一緒に、秀吉、信様までもが祀られているらしく……三英傑揃って祀られてるとか!久能東照宮の場合も、明治に入ってから祀られたのか色々と気になりますね。

 それでは、追記に「三人衆が五人衆になったよ!」の一連の騒動は全部狂言芝居だったんじゃ?な妄想を書き連ねてみようと思います。『落穂集』にあるその逸話が事実だったとして書いていますので、何かもう流し読みしてやって下さい。



 『落穂集』に「米村権右衛門(治長の重臣。治長から、助命嘆願に向かう千の手助けをせよという命を受け、城から出された)が物語った話」という形で、この「三人衆が五人衆になったよ!」の逸話は載せられています。この逸話、疑問に思う部分がちょいちょいあります。


 幸村が手柄を立てて、自分にかかっている疑いを晴らそう!と思い立ち、既に普請を始めていた又兵衛に無断で、その場所を奪ってしまった、というのは有名な話です。『落穂集』ですと、幸村は一応許可を求めています。治長に。はい、治長に。その治長は治長で、許可を出してしまいます。城に出丸を作るのですから(しかも前線)又兵衛が既に許可を得て、普請を始めていたことは想像に難くありません。であるにも関わらず、幸村に許可を出してしまった治長お前何考えてんだと言いたくなります。うっかり、又兵衛にも許可を出していたのを忘れていたのかもしれません。もしかしたら、又兵衛は治長ではなく、違う人に許可を取り(治長と同格だとすると速水さんくらいしかいませんが)普請を始めていたのかもしれません。しかし、それにしても奇妙な話です。

 そして、もう一つ。治長は又兵衛と明石さんの二人を三人衆に加えて五人衆とし、様々な相談に乗って欲しいと考えていました。しかし、又兵衛と明石さんは元々陪臣だった身。幸村、盛親、勝永ら三人の手前を憚り、実行に移すことが出来なかったと書かれています。そんな折、幸村に出丸を奪われ激怒した又兵衛の宥め役として、明石さんが使わされることになりました。まだちょっと又兵衛はゴネますが「又兵衛を三人衆に加える」という秀頼のお達しを受け、納得をしたそうです。また、明石さんに関しても同じく三人衆へ加えられました(説得役をこなしたことが秀頼の耳に入ったのかもしれません) とまぁ、すっかり、治長の望み通りになったわけです。実際の文にも「兼々大野か望みの如く罷成候と也」とあります。偶然と言ってしまえばそれまでですが、それにしても上手く行き過ぎなのでは?という疑問が浮かんでしまいます。

 上記二つの疑問、
・何故治長は、又兵衛が普請を既にしていたにも関わらず、幸村にも許可を出してしまったのか。
・何故こんなにも容易く物事が運んだのか。
 について、色々と妄想を巡らせた結果「皆の狂言芝居だったんじゃねぇの?」な妄想がですね、はい(…)
 気になったのは、この話に、まったくもって七手組が絡んでこないことです。又兵衛と明石さんを三人衆へ加えるということは、陪臣だった人を元大名だった三人と同じように敬うということです。三人衆の手前を憚っていた、というのも、納得出来る話ですが、元陪臣を敬うということに抵抗がありそうな人達をまだ忘れてはいないでしょうか……はい、我らが七手組の方々です←
 激怒した又兵衛の宥め役を明石さんに任せる、と話し合いで発言しているのは勝永、盛親、治長、兼相、有楽、頼長です。七手組の人が一人もいません。陪臣を豊臣家の直臣という立場であった元大名達と同じように扱うことに対して(もしかしたら)抵抗のあった七手組の反発を買うことなく、又兵衛、明石さんの加入を実現させる。そんな意図を持った狂言芝居だったのではないでしょうか。直臣と陪臣では、立場に雲泥の差があります。いくら、かつての石高が七手組よりも多かった又兵衛、明石さんでも、陪臣は陪臣です。よほどのことが無ければ主君の主君に目見え出来る立場ではありません。

 では、狂言芝居だったと仮定した場合、一体誰が加担していたのでしょうか。
まず、治長が首謀格にいたと思われます。幸村への普請の許可、明石さんを使わす話し合い、全てに絡んでいます。何より、又兵衛と明石さんを三人衆へ加えることこそ、治長の望みだったのですから、首謀者格にいたと想像するに難くありません。もしかしたら、秀頼へことの次第を説明し、又兵衛と明石さんを三人衆へ加えるよう進言したのは治長だったのかもしれません。本文中にある「秀頼公からの内意」という文が出るためには、誰かの働きがけが不可欠だったと思われます。
 次に、この狂言芝居を成立させるには、又兵衛が出丸の普請を始め、更には幸村の行いにブチ切れる必要がありました。又兵衛も噛んでいなくては始まりません。では、又兵衛をブチ切れさせた(ブチ切れる演技をさせた)幸村も狂言芝居に関わっていたのでは?と勝手に考えています。すんなり又兵衛と明石さんを三人衆へ加えることに納得したのも、元々、そのつもりだったからではないかと。
 ではでは「手勢を連れて出丸奪い返してくるわ!」と意気込む又兵衛を「俺が上にかけあってやるからちょっと落ち着け!早まったことはするなよ!!」と宥めすかし、城で話し合いの場を設けた薄田さんはどうでしょうか。……限りなく黒に近いグレーかなぁと。薄田さんが話し合いの場を設けたことで、明石さんを使いに出すということで話がまとまったわけですから、噛んでいる可能性は高いです。しかし、もしも狂言芝居に噛んでいなかったとしても、きっと兼相はこういう動きをするよ、という予想を立てていれば済む話というか← なので、黒に限りなく近いグレーということで一つ。
 盛親と勝永の二人は、話し合いの場で明石さんに任せるのが良いのでは?と発言していたり、又兵衛、明石さんの参入をあっさり受け入れたりしていたので、狂言芝居に噛んでいるように感じます。絶対に噛んでるぜ!とも言い切れないのですけれども。明石さんも関わっているように感じられますし、有楽と頼長は……何か、考えるのが面倒になってきました(…) この織田親子は突き詰め始めると終わりが見えないので保留ということで!

 ということで、真田丸を巡る一連の騒動は狂言芝居だったのではないのか?という妄想塗れな話に付き合って下さり有難う御座います。あくまで『落穂集』の記載が正しい!という仮定でもって話を進めていましたので、全部を鵜呑みにすると危険です!(いないとは思いますが!)
 ただ、もしもそうだったら面白いな、と思って下さる方がちょこっとでもいらっしゃったら、ちょっと嬉しいです。

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