何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/03/29 (Mon) 六角の家臣とか



『戦国遺文 六角氏編』を流し読みしていたのですが、義弼のから感状を貰っていて、この新参の人誰!?と今まで思っていた黒川さん。定頼様の代から既に黒川姓の人が書状に顔を出してました(…)おまけに、甲賀五十三家の一覧を見たら、五十三家に黒川家の名前がありまして。おまけに二十一家でもあったとか……し、新参の人とか思っちゃってごめんよ黒川さん!また、伊庭の乱で功があったらしく、旧伊庭領を任すというお手紙を貰っていた杉山さんも甲賀五十三家の人でした。ただ、いまいち良く分からないのが狛さんでして……。六角家の家臣として、使いに出たり、放浪時代の義賢義弼父子にも付き従っていた狛さん。元々、山城の国人で、応仁の乱辺りまでは管領細川家の被官人をしていたそうです。文明十五年(1483年)に畠山政長、畠山義就の戦いにより没落したそうですから、その後、流れ流れて近江までやってきちゃったのでしょうか。諱の名乗りが漢字一文字な辺りとか、近江の狛さんと山城の狛さんは同じ一族な気がするような、しないような←

 ちょこちょこ、伊庭の乱の勉強をしようかなと思っているのですが、何か、凄く、涙目です(…) 状況が、錯綜し過ぎてて!第二次伊庭の乱の時は、浅井が影で伊庭さんの支援をしていたという説があるそうです。もしもそうだったらえらい萌えるのですけども!数え年で亮政二十三歳の、定頼様二十歳ですよ。足掛け六年続く第二次伊庭の乱ですが、お互い伊庭さん通り越して、この頃から意識し合っていたら滾り過ぎて腸捻転起こしそうです。そのまま大永五年の戦いに繋がる方向で一つ。問題は、第二次伊庭の乱が起こった時、そこまで浅井に力は無いと思われるところですね(…)
 取り敢えず、定頼様が船を牛車で兵庫から琵琶湖まで引っ張ってきて、鷲尾さんから「計略奇特なり」と書かれてしまうところに辿りつくため頑張ろうと思います。でっかい船が欲しかったのでしょうか定頼様……。多分、その船に兵を乗せて、九里さん(伊庭方)の岡山城へ奇襲を仕掛けたものと思われます。岡山城は水城だったので、効果てきめんだったのではないでしょうか。え、ちょ、そっちからかよ的な←
 そういえば、岡山城跡にある案内の看板がめっちゃ怖いです。「嗚呼 恨みは深し13ヶ年にして哀れ城滅ぶ」て。お、おおおう、となってしまいましたようっかり。

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